羽柴内閣の要ともいうべき久保村副総理が何者かによって誘拐され、「黒い十字軍」を名乗る犯人グループから多額の身代金と刑務所に収監されている囚人の釈放を要求する犯行声明が届けられた。
そして鎌倉、松平宗瑞邸。
「人命は何物にも代えがたい。ましてや久保村副総理は政権の重鎮だ。
見殺しにするわけにはいかない。
そこで政府としては犯人グループの要求を超法規的に呑む決定をした」
「だったら政府で勝手に取引すればいいじゃないですか?
わざわざ俺を呼び出した理由は何ですか?」
「まあまあ大事な話はこれからだ」
松平宗瑞を交えて斯波旭冴と牧村光平が何やら話している。
どうやら今回の事態に関連して、光平が呼び出されたらしい。
「君も知っての通り、テロリストの要求に屈しないのは国際的な常識だ。
このままでは我が国は世界の物笑いになる。
そこで犯人側が要求して来た取引の期日までに、君の力で久保村副総理を救出し、
犯人グループの実態を暴いて壊滅に追い込んでほしい」
「お断りします!」
光平は旭冴からの要請を即座に拒否した。
「おいおい、今回は即答かい(汗。もう少しくらい考えてくれても――」
「名もないか弱き市民を守る為とかならともかく、政治の尻ぬぐいなんか俺は真っ平御免です」
「正義のヒーローがそんなことでいいのかな?
好きな人だから助ける、嫌いな奴だから助けない、なんてそんな選り好みをして」
「挑発ですか? その手には乗りませんよ。
俺は自分で正義のヒーローなんて名乗った覚えはないですから」
光平は席を立って帰ってしまった。光平に事態解決を引き受けてもらえず、旭冴は頭を抱える。それをさっきからずっと同席しながら黙って見ていた宗瑞は、クスクスと笑い始める。
「ククク…だから言っただろ。光平君はおそらく引き受けん、と」
「仕方ありません。別口を当たってみます」
斯波旭冴は困ったように頭を掻きながら、東京の内閣府のオフィスへと戻って行った。
ここは、都内某所の地下牢。
副総理の久保村は、この場所に監禁されていた。
両手は自由だが、左足首に長い鎖の付いた足枷ほ嵌められている。
長期間にわたる監禁生活による疲労蓄積で、久保村の精神は限界に達しようとしていた。
そこへ今日も決まった時刻に高校生くらいの年頃の少年が食事を運んでくる。
「おい君、頼む。早く儂をここから出してくれ…」
「………」
「政府は…政府は何と言ってきておるんだ…?」
「………」
久保村からの懇願や問いを無視するように、少年は粗末な食事だけおいて無言のままさっさと牢から出て行く。やがて少年は執務室で専用にデスクに鎮座する一味のボスと思しき男のところへ行く。
「天凰輝シグフェルは動く気配は全くありません」
「どうやらシグフェルが政府の飼い犬という情報には、一部に誤りがあるようだな。
私たちの復讐計画に影響を及ぼす不安定要素があるとすれば、
それはシグフェルか巷で話題になりつつあるライオンレギウスくらいかと睨んでいたのだが、
お前に松平宗瑞をわざわざ狙撃させてのも徒労だったか…。
まあいい、あぶり出す必要が出てくれば、また次の手を考えるさ」
「副総理はどうします?」
「もう役には立たんだろう。どこか適当なところにでも捨てて来い」
「でもどうしてこんな手間のかかることを?
僕たちのターゲットを直接殺してしまえば簡単じゃないですか」
少年からの問いに、ボスの男は答える。
「詩郎、殺すなんて簡単すぎる。私たちの恨みはその程度では消えはしない。だから奴らの大事な物を全て壊すんだよ」
数日後、久保村副総理は都内郊外の道端に放置されているところを通行人によって発見された。
幸い特に怪我はなく無事に保護されたものの、この日以来、政界の重鎮と呼ばれ議員たちから畏怖されて来た久保村は何かと精彩を欠くようになり、以前とはまるで別人のように政権のお荷物と化していったのである。
さらに数日後、鎌倉の松平宗瑞邸。
邸の茶室に案内されているのは、現職の内閣総理大臣・羽柴藤晴である。
「お服加減はいかがかね?」
「大変結構でございます」
宗瑞から差し出されたお濃茶を飲み干し、美味しく頂戴した意を伝える藤晴。
「解散の時期はどうなりそうかね? 摂津君が大分いきり立って居ったぞ」
「ははは、摂津さんが先生のところにまでですか?
それは先生のお手まで煩わせてしまい恐縮です」
宗瑞にとっては別に解散の時期など本音ではどうでもよかったのだが、
摂津から頼まれていた手前、一応言い訳の立つように話だけはしておいたのである。
それに対して苦笑する藤晴から返ってきた答えは…。
「私は内閣改造に踏み切ろうと思います」
普通、内閣改造や党役員人事は選挙後に行うのが通例だ。
しかし藤晴は派閥順送り人事を排除し、真の有能足り得る人材を適所に配置するため、総選挙前に改造するという奇策に打って出たのだ。
総理たる自身の求心力が高まり、逆に政権の頸木だった久保村副総理の影響力が低下した今こそできる荒業だ。
「それは諸刃の剣だな。もししくじれば君の政治生命は終わりだ」
「元より政治の道を志した時から覚悟はしております」
「やってみたまえ。この宗瑞も出来る限りの支援はしよう」
「ありがとうございます」
翌日、羽柴藤晴内閣は内閣改造と、国難に立ち向かう新内閣の陣容の信任を国民に問うとして解散総選挙を行う意向を発表した。
安土プリンセスホテル、大宴会場・鳳凰の間。
自憲党近畿2府5県連合同決起大会・会場。
昨日、日本中を駆け巡った電光石火の内閣改造&解散総選挙の急報に色めき立ったのは、ここ新都・安土市を中心とする関西圏を地盤とする国会議員たちも例外ではない。
早速近畿選出の自憲党議員たちが集まり、近々迫る総選挙必勝を期して盛大な政治パーティーが、安土市内の外資系高級シティホテルで催された。
しかし実際のところは、今回の内閣改造で閣僚人事から干された議員たちの愚痴とやっかみを密かに言いあう場ともなっていた。
「やあやあやあ、松永先生じゃあありませんか!」
「これは摂津幹事長」
大阪選出の摂津幹事長と話しているのは、安土選出の松永久雄衆院議員。元防衛大臣である。
「この度は幹事長留任おめでとうございます」
「いやいやいや、松永さんの所属する久保村派からは今回大臣の起用はゼロだったことを考えると、何とも心苦しい」
「羽柴総理にもお考えがあってのことだとは思いますが、我が派閥にも優秀な人材は多く揃っていたのに、それを無視されたことは正直残念でなりません。
あまり大きな声では言えませんが、これまで政権を支えてきた久保村先生に対する、まるで恩を仇で返すような仕打ち。その上、あの仲里深雪のようなタレント議員が目玉サプライズ人事ですかww このままでは選挙結果次第で羽柴降ろしもあり得ますな」
摂津と松永の会話の中で話題に上がった仲里深雪とは、青森選出の自憲党衆議院議員。
元オリンピック銀メダリストのスキー選手であり、今回の内閣改造では異例の厚生労働大臣に大抜擢されていた。
「仲里みたいな小娘はすぐにボロを出すでしょう。案ずるには及ばん。
しかし久保村さんはもう歳だ。あれはもうアカン。
その時には、いよいよ久保村派から松永派への衣替えですかな?」
「ハハハ、そんな…滅相もない。
ただ周囲から是非にと推す声があれば、考えないわけにもいかんでしょうな」( ̄ー ̄)ニヤリ
「その時はこの摂津にも一言ご相談あれ。
お話次第によってはこの摂津、一肌でも二肌でも脱ぎますぞ!」
「あまりこういう場は好きじゃないな…」
「我慢してクリス。これも仕事よ」
「分かってはいるけど…」
イタリアの海運王コルティノーヴィス家の御曹司、クリストフォロ=エヴァルド=コルティノーヴィス3世と秘書兼マネージャーの村舞紗奈もパーティーに賓客として招かれていた。と言っても、クリス自身はあまり乗り気ではないようだ。
世界はレギウス問題による危機を迎えているというのに、パーティーに出席している議員たちの口から聞こえてくるのは自身の選挙の事ばかり。これではとても建設的な議論など出来そうもない。
そこへ、クリスの存在に気が付いた松永がやって来る。
「これはこれは、世界中の女性を魅了する天使のご登場だ!」
「松永先生、ご無沙汰しております」
「それで、この場にいるということは我が党のPR大使をお願いしていた件をお引き受け頂けるということかな?」
「いえ、今日はモデルのクリスではなく、コルティノーヴィス海運会社日本法人のCEOとして地元経済団体とのお付き合いも兼ねて来ただけです。それに僕にはこの国での選挙権はありませんので」
「そうか、それは残念だな」
このようにクリスと松永が立ち話をしていると、見慣れない若い男のボーイが松永を横を通り過ぎた瞬間、突然松永が立ち眩みをして倒れた。
「ううっ…これは一体、どうしたことだ……う、んんっ」
「大変だ! すぐに医務室に運ばないと!」
「私が連れて行きましょう。ホテルの医務室はどこに?」
「3階です!」
「あ、そこに君、一緒に肩を貸してくれ!」
「は、はい!」
パーティーの出席者と思われる年齢30代半ばの紳士が突如自分が松永を医務室へ連れて行くと申し出、ホテルのボーイと共にぐったりとしている松永を医務室へと連れて行った。
クリスや摂津達も心配して医務室まで同行する。数分後、松永は医務室で無事に体調を回復した。
「いや、どうも皆さん、ご心配をおかけし申し訳ない」
「どうやら大事に至らなかったようで安心しましたぞ」
「最初はすぐに救急車を呼ばなくて大丈夫か?と思いましたが…」
「いやいや、よしてくださいww 救急車なんか呼ばれた日には、ホテルの玄関で張っているマスコミ連中に何を書かれるか分かりませんよ、ハハハ」
「しかしどうして突然立ち眩みなんか?」
「それがどうもよく分からんのだ。
首筋が一瞬チクっと刺されたような気がしたと思ったら、急に気分が悪くなってねぇ…」
そこまで話したところで、松永は自分を医務室に運んでくれた紳士風の男に礼を言った。
「いや、誠にありがとう。貴方の適切な処置のおかげで大事にはならなくて済んだ。是非お名前を」
「これは申し遅れました。わたくし、ジョージ&スミス紫耀カンパニーの代表を務めておりますルフリート紫耀と申します」
ルフリート紫耀と名乗ったその紳士風の男は、松永や一緒に側にいたクリスや摂津にも名刺を差し出す。
「ルフリート紫耀? もしや、世界でも5本の指に入ると言われるあの投資家の?」
「大したことはしておりません。ただ世界各地でビジネスの簡単なお手伝いをしているだけですよ」
「摂津先生、どうやら今日、我々は素敵な出会いに巡り合えたらしいですな」
「いやぁ全くですな。これからも何卒よろしくお付き合いを」
「こちらこそ、日本を代表する政界の重鎮の方々との面識を得られたことは光栄です」
互いに打ち解けたように談笑する紫耀、摂津、松永の3人。
摂津と松永にしてみれば、思いもよらぬ金づるが向こうから近寄って来た認識なのだろう。
ただ一人クリスだけが、まるで書かれたシナリオのように出来過ぎた紫耀との出会いを訝しんでいた。
松永たちとの話を終え、ホテルの廊下へと出た紫耀は、先程松永が倒れる直前に不審な動きをしていた例の若いボーイの男とすれ違う。
「詩郎、よくやった」
「………」
紫耀にすれ違いざまに声を掛けられたボーイの男は、一瞬ニヤリと笑いながらも無言のまま立ち去って行ったのだった。