EPISODE27『ヤモリ探偵と女王蜂の月夜』

作:S-A様

 ここは安土市中心部にある高級中華料理店。その二階の天井裏に一人の男――いやヤモリの姿をしたレギウスが潜み、眼下の個室内の様子をうかがっていた。

 ゲッコーレギウスこと私立探偵・矢田守重は以前より久峨コンツェルンと政界や裏社会との癒着について調べを進めており、今夜は久峨コンツェルン幹部と有力政治家との密会がこの店で行われるとの情報をつかんで忍び込んでいたのである。

 

(くそ、贅沢なもの食ってやがる。フカヒレとか燕の巣とか、俺も一度は食ってみたいぜ)

 

 卓を囲んでいるのは四人。上座に座るのは安土市選出の衆議院議員、松永久雄元防衛大臣だ。滋賀県政を事実上牛耳ってもいる与党の重鎮の一人である。だがかねて久峨コンツェルンとの蜜月ぶりが指摘されており、目的のためなら手段を選ばない政治姿勢と相まって羽柴藤晴総理とは対立関係にある。

 

 他の三人はいずれも久峨コンツェルン関係者である。松永の隣にいるのは顧問弁護士の橘カオリ、まだ三十代半ばだが辣腕弁護士として知られ、総帥久峨景章の信頼も厚いという。松永と向かい合っているのは久峨製薬社長・北条智繁。経営者というより学者という雰囲気の人物で、実際学術論文を数多く発表し博士号を取得している。

 

(しかし何で薬屋が出てくる?松永は厚労関係は縁が薄かったはずだが)

 

 ゲッコーレギウスは呟きながらファイバースコープを覗き、四人目の男に目を向ける。橘と同年配の男はマーク・チャン、アジア地域担当の重役である。彼の父親は久峨コンツェルンと業務提携している香港の大物実業家であり、その縁で入社したという。だがその父親の裏の顔はチャイニーズマフィアの首領であり、日本の広域暴力団である安土新光会とも親密な関係にあるというアングラ情報はかねてよりあった。

 

(それが事実なら結構なスキャンダルなんだがな。なかなか尻尾を出しやがらねえ)

 

 ゲッコーレギウスはファイバースコープや超小型高性能収音マイクを操作しながら室内の様子をうかがう。だが交わされている話題は専ら先日の安土城占拠事件、および自憲党の勝利に終わった解散総選挙に関連するものであり、期待していたようなものは一向に出てこない。単に今後の政局に向けた協力関係の再確認だろうか?

 

 一度橘がちらと視線を上に向け、ゲッコーレギウスは思わずぎくりとしたが、橘はすぐに何事もなかったように視線を戻した。どうやら気づかれてはいないようだ。そうこうしているうちにお開きになったようで、階下の面々は帰り支度を始める。ゲッコーレギウスもその場を離れ、店外に出て裏手の路地に入り、矢田守重の姿に戻った。

 

「特に目新しい話は無かったな。今日は引き上げるか、それともこのまま松永をつけて・・・」

 

 と、いきなり背後から女の声が降ってくる。

 

「ネズミと思ったらトカゲ、正確にはヤモリか。どっちにしろようやく尻尾をつかんだわ」

 

 ぎょっとして矢田は振り返る。二十代後半と思しき若い女が立っていた。こいつはたしか橘カオリの秘書の・・・

 

「な、何の話かな?お嬢さん」

 

「とぼけても無駄よ、ヤモリのレギウス。お前がしばらく前からこちらを嗅ぎまわっているのは知っている」

 

 女――篠塚みちるは上衣の裏からサイを取り出して両手に持ち、構えをとった。

 

「くそっ、用心棒か!?」

 

 即座に矢田はゲッコーレギウスの姿に戻る。同時に篠塚もミツバチのレギウス――アピスレギウスに変身した。次の瞬間二人は互いに相手に襲い掛かり、戦いが始まった。だが

 

(くそ、強え!)

 

 アピスレギウスが手練れであるのはすぐに分かった。素早い動きでこちらを翻弄しつつ正確に急所を狙って刺突を繰り出してくる。ゲッコーレギウスは交わすのが精一杯だった。明らかに自分より上手だ。

 

「こいつは逃げるが勝ちだ!」

 

 ゲッコーレギウスは脱兎のごとく背を向けて走り出した。

 

「逃がしはしない」

 

 アピスレギウスも後を追う。

 


 夜の琵琶湖畔の公園。ゲッコーレギウスは執拗に追ってくるアピスレギウスから市街地中を逃げ回り、ようやくここまでたどり着いた。矢田守重の姿に戻り、辺りを見回して一息つく。どうやら振り切ったようだ。

 

「やれやれ、今日はとんだ厄日だったぜ、しょうがねえ、改めて出直すか」

 

「私からは逃げられない。知らなかった?」

 

 いきなり強烈なボディブローを喰らい、矢田は声も出せずに倒れて悶絶した。アピスレギウスは白目をむいている矢田の隣にかがみ込み、名刺やスマホ、収音マイクなどを回収して調べていく。

 

「矢田守重、私立探偵、ね。こいつが覗き野郎の正体か。カオリさんの読み通りに動いたわね。本当はもっと大物を期待してたけど」

 

 橘や松永らは今頃別の場所で二次会を始めているだろう。真に重要な案件はそちらで話し合われることになっており、あの店では盗み聞かれても差し支えない話題しか出ていない。

 

「背後関係も特に無いようだけど、今後もまとわりつかれるのも鬱陶しいわね。ここで始末しておくか」

 

アピスレギウスは毒針を取り出して矢田の首筋をつかむ。と、ふいに背後に何者かの気配を感じて後ろを振り返った。白い鳥のようなレギウス――イーグレットレギウスがそこに立っていた。

 

「出たわね、お邪魔虫」

 

 アピスレギウスは立ち上がって向かい合う。

 

「そこまでよ、悪のレギウス。それ以上の暴虐は私が許さない!」

 

「声の感じからすると未成年のようだけど。こんなところで夜遊び? あまりおいたが過ぎると羽を毟って丸焼きにしてやるわよ?」

 

「やれるものならやってみなさい!」

 

イーグレットレギウスはアピスレギウスに飛び掛かった。先手の一撃をかわしつつ繰り出されるサイの刺突を紙一重でかわす。二人は激しくぶつかり合い、応酬が続いた。

 

「なるほど、口だけではなさそうね。並のレギウスなら負ける事はまあ無いでしょうね」

 

「黙りなさい!」

 

「だが私はその上を行く」

 

 無感情な声とともにアピスレギウスの動きが急加速した。

 

「なっ!?」

 

 相手の加速にイーグレットレギウスは戸惑う。アピスレギウスの姿は残像のように周囲を飛び回り、拳を繰り出しても手応えがない。動きについていけない。さらに――

 

「あっ!」

 

 サイの切っ先が突然眼前に迫ってきた。かろうじて急所は避けたものの体をかすめ、血が滲む。続けざまに第二撃、第三撃、さらにこちらを翻弄しつつ攻撃が繰り返される。イーグレットレギウスは防戦一方になった。浅手ではあるものの体の数か所に傷を負っている。

 

「くっ、このままでは・・・あうっ!?」

 

 後頭部に衝撃が走った。背後に回ったアピスレギウスが肘打ちを喰らわせたのだ。さらに前方によろけるイーグレットレギウスの横に回り、腹に回し蹴りを叩きこむ。

 

「ぐは・・・っ!」

 

 イーグレットレギウスは数メートル吹き飛び、地面に叩きつけられた。

 

「さて、素顔を拝ませてもらいましょうか。一体どこの誰?」

 

 アピスレギウスは倒れているイーグレットレギウスに近づく。と、いきなり強いライトの光を浴び、さらに自分に向かってバイクが突っ込んでくるのを辛うじてかわす。そのまま通り過ぎるバイクから飛び降りたのは黒い狼男、ウルフレギウスだった。

 

「ちっ、次から次へと」

 

 アピスレギウスは舌打ちした。

 

「次は俺が相手だ。付き合ってもらう」

 

 ウルフレギウスは地を蹴ってアピスレギウスに向かい突進する。鋭い爪の一撃をアピスレギウスはサイを交差させて防いだ。次の瞬間ウルフレギウスは後ろに飛び退く。アピスレギウスの蹴りが腹をかすめていた。今度はアピスレギウスがウルフレギウスに向かい飛び掛かる。二人は公園中を走りながら攻撃の応酬を繰り返す。打撃音が続けて鳴り響いた。

 

(こいつはあの白いのよりずっと上手ね)

 

(駆け付けたはいいがちっとやべえかもな。さてどうするかね)

 

 やがて二人は距離を置いて対峙していた。次こそ決定的な一撃を見舞おうと互いに隙を狙い、機を伺う。そのまま時間が過ぎていった。

 

「フリーザートルネード!」

 

突然冷気の竜巻がアピスレギウスを襲った。アピスレギウスは間一髪で身をかわす。彼女だけでなくウルフレギウスも思わず竜巻の飛んできた方向に目を向けた。イーグレットレギウスが腹を押さえてふらつきながらも立っていた。

 

「助太刀するわ、狼さん!」

 

「おい、無理すんなよ?」

 

「大丈夫!まだやれる!」

 

「ちっ、往生際の悪い!」

 

 そこへさらに大声が聞こえてくる。

 

「大変だ!喧嘩だ、いや人殺しだ!誰か!誰かいませんかー!」

 

「これまでか」

 

 アピスレギウスは後方へ一回転するとそのまま夜空へ飛び去った。

 

「俺も行くぜ。あんまり無茶しないで養生しとけよ? おいおっさん、あんたも大丈夫か・・・ってあれ? いねえ。俺らが戦ってる間に逃げたか。まあいいや」

 

 ウルフレギウスもバイクを起こして跨るとそのまま走り去る。イーグレットレギウスはその場にへたり込み、霧崎麗香の姿に戻った。そこへ声の主である永原祐樹が駆け寄ってきた。祐樹は麗香が夜ごと家を抜け出して悪のレギウスに戦いを挑んでいるのを心配して、その都度後をつけていた。まるでストーカーだな、と祐樹は内心で自嘲していた。

 

「霧崎さん、大丈夫?」

 

「永原君だったのね。助かったわ、ありがとう」

 

「肩貸そうか?」

 

「お願い」

 

 麗香は祐樹の手を借りて立ち上がった。肩を借りて歩きながら麗香は悔しそうに呟く。

 

「完敗だったわ。強くならなければ・・・」

 

 祐樹は痛ましそうに麗香の横顔を見た。今夜は運が良かったがいつもこうとは限らないだろう。いずれ助けが来ないまま捕らわれるか、最悪殺されるかもしれない。それに義母に認められたいと言っても、レギウスを恐れているという義母の聡美にとって麗香が強くなることはかえって恐怖心を増幅させる結果にならないだろうか? だが麗香が義母との和解を切望していることを知っている祐樹はそのことを口に出せなかった。

 

(何かいい方法は無いかな)

 

 月明かりに照らされながら二人は公園の出入り口へ歩いて行った。


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