「すっかりお礼が遅くなっちゃってごめんなさい。麗香さん。改めて、助けて下さって本当にありがとうございました!」
安土城がそびえる安土山の麓、安土女学院のキャンパスの裏手にある洒落た雰囲気の喫茶店。ある休日の昼下がり、獅場俊一と楓花の兄妹に誘われて霧崎麗香はその店に来ていた。注文した温かい紅茶を一緒に飲みながら、楓花は嬉しさと憧れの眼差しで麗香の顔を見て言う。
「俺からも礼を言うよ。霧崎さん。あの安土城での戦いの時、霧崎さんがいなければ妹はゼルバベルの奴らに殺されてたかも知れないんだからな」
「そんな……当然のことをしたまでよ。お礼なんて」
同じレギウスとして何度か俊一と共闘してきた麗香だが、物静かで内向的な彼女の性格や、あくまで個人としての鬱屈した思いを胸に戦っているだけだという意識もあって、俊一とは戦闘では頼りになる仲間として認め合いつつも微妙な距離感は保ったままで親しく打ち解けたりはしていない。
今回いきなりランチに誘われたのも麗香としては驚いたし、正直なところ気は進まなかったのだが、どうしても自分に会いたがっていたという楓花に安土城占拠事件で助けられた件について感謝の言葉を贈られるとそんな気難しさも吹き飛んで思わず表情が緩み、恥ずかしげに目を逸らしながら穏やかな声で答えるのだった。
「でも素敵だわ……。麗香さんもうちのお兄ちゃんと同じで、レギウスの力を使って正義のために戦ってるんですね」
「えっ……」
尊敬の念に目を輝かせた楓花にそう言われると、麗香は困ったように視線をテーブルの上に落とし、そのままつらそうに口ごもってしまう。
「あれ? その……ごめんなさい。私、何か気に障ること言っちゃいましたか?」
「あっ、いいえ……別にそういう訳ではないわ。気にしないで……。でも私は、あなたが思ってるような気高い正義のヒーローなんかじゃない」
楓花が焦って謝ろうとするのを慌ててすぐに否定した麗香だったが、どうやら彼女が戦う動機には単純な正義感だけでは語れない、何か深い事情がありそうなのは楓花にも察せられた。
「まあ何て言うか、レギウスとしての生き方も戦う理由も人それぞれって奴だからな。……あ、楓花、スマホ鳴ってるぞ」
俊一が気まずい雰囲気を打ち消そうと口を挟んだその時、マナーモードで音が出ないようにしたままテーブルの上に置いていた楓花のスマートフォンが着信を知らせる点灯を始めた。兄に言われてスマートフォンを手に取った楓花は、親しい友達からの電話だと分かって申し訳なさそうに席を立つ。
「宮本さんからだわ。……あの、ちょっとごめんなさい。すぐ戻りますね!」
電話に出るため店の外へ出て行く楓花。彼女が席を外したのを見て、俊一は今の内にと声を低めて別の話を切り出した。
「そう言えば、黒津がこの前メールで教えてくれたんだけど……。ゼルバベルの奴ら、霧崎さんのご両親の病院を狙い始めたんだって?」
麗香の父親が院長を務める霧崎総合病院が先日、ゼルバベルの怪人の攻撃によって一時的な停電に陥った。俊一がそのことについて訊くと、麗香も小さくうなずいて表情を曇らせる。
「ええ。彼らは病院に対して何か要求を突きつけるつもりらしいわ。この前の停電は、そのための脅迫でどの程度の実害を病院に与えられるかのテストだったようね」
「その要求の内容は?」
「まだ分からない。でも国から病院にレギウス因子の分析が依頼されたから、そのデータを渡せとかそういう話じゃないかとは想像できるけど……」
「レギウス因子のことがもっと詳しく分かるようになれば、それを悪用して世界征服の武器にできるって訳か……まずいな」
聖具獣ミレーラという強力な新兵器を使うモスレギウスが現れたばかりでもあり、今後ますます厳しくなるであろう戦いのことを考えて俊一は苦りきる。自分たちとしても今のままでは、いずれどんどん増強されていくゼルバベルの戦力に対抗しきれない事態にもなりかねない。
「なるほどな。分かったよ。だったら俺も一緒に病院を見張って……」
「それは必要ないわ」
気を取り直したように明るい声で協力を申し出た俊一を、麗香は冷淡に拒絶した。
「私の両親の病院は私が守る。あなたの手助けは要らないわ」
「そんな水臭いこと言うなよ。今はとにかく俺たちの結束と連携が大事な時だと思うんだけど」
日増しに大きくなるゼルバベルの脅威に対抗していくためにも、ここは変な意地を張らずに力を合わせるべきだと反論しかけた俊一だが、表情を見るに麗香の決意は固い。やれやれと溜息をつきながら、俊一は手を伸ばしてテーブルの端にある店員の呼び出しボタンを押した。
「分かったよ。どうしても一人でやるって言うなら余計な手出しはしない。まあ、もし気が変わって人手が欲しくなったりしたらいつでも気兼ねなく呼んでくれよな。……あ、すいません。アイスコーヒーを一つお願いします」
やって来たウェイトレスにコーヒーを注文する俊一。伝票に追加の品を書き込んだその若い女性店員が去ってゆくのと入れ替わるように、外で友達と電話をしていた楓花が席に戻って来た。
「すみません。お待たせしました! ……って、あの、二人ともどうしたの? もしかして喧嘩とかしちゃってた?」
「いや別に。俺たちこういう距離感なんだよ。普段からな」
皮肉げに乾いた笑いを漏らす俊一を敢えて無視するように、お嬢様らしい上品な所作でティーカップを取って飲みかけの紅茶をすする麗香であった。
一台の特殊装備で固めた車両が安土市内を疾走していた。地球防衛軍ブレイバーフォースの特殊戦闘車両ブレイバーギャロップである。
この日、ブレイバーフォース日本支部の隊長である斐川喜紀は寺林澄玲を伴って一週間前に発生したブラックバスレギウスによるガソリンスタンド爆破事件の被害者が搬送された霧崎総合病院へ聴取のために向かっていた。
「これまでの話ですと、爆発の後で魚のレギウスが出て来て例の赤いライオンのレギウスと交戦していたところへカブト虫のレギウスが入って来て、魚のレギウスを倒した後でライオンのレギウスと戦い始めたそうですが、そうなると、カブト虫のレギウスはゼルバベルとは別物ということになるんでしょうか」
ブレイバーギャロップを運転していた澄玲が斐川に話しかけた。
「はっきりとは分からんが恐らくそうだろうな。もしそうならかなり厄介なことになりそうだが、政府の方でも今回の選挙に勝ってRATという自前のレギウス対抗組織を作った訳だから多少は楽になるかもしれん」
「そうだといいんですけどね・・・・」
二人が会話をしている間に車は霧崎総合病院の駐車場へと入っていった。病院のロビーに入った斐川と澄玲は出迎えた院長の霧崎靖尚に敬礼した。
「ブレイバーフォースの斐川喜紀と申します。こちらは寺林澄玲隊員」
「よろしくお願いします」
澄玲は頭を軽く下げながら言った。
「院長の霧崎靖尚です。お忙しいところ誠にすみません」
「いえ、こちらこそご無理を言って誠に申し訳ございません」
「どうぞこちらへ」
靖尚は病室へ通じるエレベーターへ二人を案内した。病室に入ると頭に包帯を巻いた一人の女性がベッドに横たわっていた。
「高山奈月さんです。三日前まで集中治療室で治療を続けておりましたが現在はある程度回復しております。とはいえ、まだ治療が必要な状態ですので手短にお願いします」
「分かりました」
斐川の声に応えるかのように澄玲は記録用のタブレットを開き、記録をとる態勢を整えた。
「ちょうど営業車の給油のためにあのスタンドに立ち寄った時に車が突っ込んできて大爆発を…。私の体にも火がついて熱く苦しかった・・、その時でした。どこからか白い鳥のレギウスが飛んできて私たちを近くの川まで運んで火を消してくれたんです」
「それでその鳥のレギウスは?」
「一通り火を消し終わった後、あの場所へと戻るように飛んで行きました。後のことは分かりません」
「そうですか、どうもありがとうございました」
斐川は奈月に一礼した。斐川が立ち会っていた靖尚の方に目を向けると、何かを知っているかのような表情をしているように見えたので、斐川は尋ねてみた。
「どうしました? 何かお心当たりでも?」
「いや、別に・・・・」
「そうですか。では今日の所はこれで失礼いたします。ご協力ありがとうございました」
斐川と澄玲は靖尚に敬礼すると病室を後にした。
「院長はあの鳥のレギウスについて何か知っているんでしょうか?」
澄玲は斐川に声をかけた。
「君もそう感じるか。確かに院長は鳥のレギウスについて何か知っているかもしれん。だが、今はそこに深入りしてもしょうがない」
「分かりました。あの後カブト虫のレギウスと戦っていたライオンのレギウスに狼と鳥のレギウスが加勢してますが被害者を救助したレギウスと同一と考えていいようですね」
「恐らくな。我々とは別に悪のレギウスと戦っているのがライオンのレギウスの他にいることは確かなようだ。いつかあいつらと仲間になれると嬉しいんだが…」
「私も理想だとは思いますが、そうすんなりとは・・・・」
会話を交わす二人の脇を、靖尚の後妻で外科医の聡美が通り過ぎていった。
「高山さんをお連れするときにブレイバーフォースの方のお話を聞いたけど、患者さんを助けたという白い鳥のレギウスというのはまさか・・・」
聡美は半信半疑の気持ちで靖尚に尋ねた。
「間違いない。あの子がやってくれたんだ。人知れず悪のレギウスと戦っているレギウスがいるとは聞いているが、もしかしたらあの子もその中にいるのかもしれん」
「ま、まさか・・・」
娘の麗香がまっすぐな人間であることは聡美自身も認めていたが、悪のレギウスとの戦いに身を投じているとまでは信じられない気持ちだった。それと同時に自分が彼女をそんな危険な状況に追い込んでしまったのではという思いも芽生えていた。
「麗香・・・・」
靖尚もまたレギウスとして悪のレギウスと戦うという危険な行為に身を投じている麗香の身を案じずにはいられなかった。
「……ボランティアはエゴか、って?」
一方、麗香と別れて家に帰ろうとしていた俊一と楓花は、バスを降りて近所の路地を並んで歩きながらそんな会話をしていた。
「うん。この前、学校の道徳の授業で考えたんだけど、例えばゴミ拾いをしたり困ってる人を助けたりって、基本的には誰かのためにやるんだから利他的なことじゃない?
でも良いことをしたら自分が気持ちがいいとか、誰かに褒められたり感謝されたりして嬉しいとか、そういう一面もやっぱり心のどこかにあるわけで、そうなるとそれって実は自分のためにやってる利己心なんじゃないの? っていう」
「ああ、そういうことか。学校の授業なんかでは割とよくやるテーマだよな」
楓花が何気なく兄に振ってみた、中学校の道徳の授業で先日扱われた興味深い論題。物事をかなり気楽に大らかに捉えがちな俊一としては、それはそうかも知れないが善意の行動の中にそのくらいの役得も望む気持ちが入っていても別にダメではないだろう、そこまで完璧に無私の精神を追求しなくても……と軽く考えて終わりの話だが、もし真剣に突き詰めて議論しようとすれば確かに難しい哲学になってくるだろうとも思う。
「もしかして、霧崎さんもそれで悩んでるのかな……」
「えっ……?」
「いや、何でもない」
麗香の家庭の事情がかなり複雑だということは俊一も何となく耳にしているし、彼女の両親が霧崎総合病院を経営しており、両親のためにその病院を守るという強い思いが麗香の戦う動機になっているのも察していた。
もしかしたら、麗香はつらい家庭環境を何とか打開するために、レギウスの力で頑張って両親とその病院に貢献しようとしているのかも知れない。そして生真面目な麗香のこと、それは純粋な利他的行為ではなく自分のためにというエゴイズムではないのかと心のどこかに自責の念を持っているということも。楓花に正義のヒーローのように讃えられて困惑気味に否定したのも、病院を守る戦いに俊一が助太刀するのを嫌がったのもそう考えれば筋が通るのだ。
「何だろう? 通交止めか?」
「事故だわ。自転車が……」
パトカーと救急車が路肩に停まり、周囲に人だかりができているのを見て立ち止まる二人。自転車に乗っていたアジア系の外国人らしき男性が車にぶつかって怪我をしたらしく、路上に倒れているのを救急隊員らが救命措置している。軽自動車を運転していたのは欧米系と思われる白人で、事故現場の前で警察の取り調べを受けているようだ。
「外国人同士の事故か……」
「安土も最近じゃ外国の人が多いもんね。お兄ちゃんのバイト先もそうだけど」
担架に乗せられて救急車に運び込まれる肌の色の濃い若者の顔を遠くから見ていた俊一は、不意に驚いて凝視するように目を細めた。頭から血を流して重傷のはずのその男の口元がほんの一瞬、にやりと笑うように小さく歪んだような気がしたのである。
安土城の隣にはイエズス会が司祭・修道士育成のために創建した神学校であるセミナリヨが置かれていたが、本能寺の変の際に安土城と共に焼失してしまっていた。しかし近年、安土城と共にその施設は復元され、現在では安土市の生涯学習活動の拠点となっていた。
そのセミナリヨから500メートルほど離れたところに安土女学院があり、お嬢様学校として認知されていた。この女子校の2年生である麗香は俊一や楓花と別れるとレストランの近くの花屋で花束を買い、そのまま教会へと向かった。この教会には麗香の実母である春香が眠っていた。
春香は麗香が小学6年生の時に病で他界、父親の靖尚は1年の恋愛期間を経て現在の妻である聡美と再婚したのであった。麗香は春香の墓に花束を手向け、春香のために祈りをささげた。
「お母様、あれからもう1年経ちます。世間のレギウスに対する目は厳しく、レギウスの悪事も後を絶ちません。聡美お母様も私のことを怖がっているままです。でも私はお母様から授かったレギウスの力を無駄にすることなく世の中のために使っていきます。そして、いつかは前のようにお父様、聡美お母様と笑いあえる日が来ることを信じています。そのためにも私はもっと強くなって見せます。お母様、見守っていてください」
天国の母に決意を語る麗香だったが、祈りを終えると自分の内心を自嘲するように乾いた溜息をついて暗くうつむく。
「世の中のために……その言葉に、決して嘘や偽善なんてないつもりだけれど」
キリスト教にも博愛という教えがあるが、自分を強く突き動かしているこの必死さは決してそんな純真無垢な愛や正義感ではなくもっと鬱屈した感情を原動力にしたものだ。そんな後ろめたさがあるから、もっと立派で真っすぐな志を抱いてヒーローをやっているように見える俊一にも近づき難くて素直に打ち解けられないし、さっきもせっかく差し伸べてくれた助けの手を無碍に払いのけてしまった。
「フン……気難しい娘だな。己のために戦うことの一体何が悪いのか俺には全く分からんが」
悩ましげな麗香の様子を、遠くからじっと窺っている黒い忍者装束の青年がいた。苅部睦月。魔人銃士団ゼルバベルに仕える元甲賀忍者の男である。母親の墓前から立ち上がってゆっくりとこちらへ振り向いた麗香に、木陰から出て来た睦月はその行く手を阻むように姿を見せる。
「あなたは……!?」
「貴様がイーグレットレギウスだな」
驚いて立ち止まった麗香が警戒の表情を見せるのを冷たく嘲笑うように、邪悪な愉悦を浮かべて睦月は言った。