生徒たち三人を人質に取り、カレドの学校を占拠した反政府ゲリラ組織・ベルシブ解放軍。
彼らはこの村に駐屯しているPKO部隊の撤退と、人質解放のための身代金の支払いを日本やジャマイカやトルコなど部隊を派兵している各国の政府に要求してきた。
「ベルシブ政府は人質に構わずカレドを爆撃する方針を明らかにしています。
ゲリラからすれば、人質が政府軍の攻撃の犠牲となれば独裁者の非道を喧伝する材料にできますし、
その前にどこかの国が身代金の支払いに応じれば大量の軍資金が手に入る。
どちらに転んでも悪い話ではないといったところですね」
「派兵している我々に身代金を求めるとは、随分とややこしいことをしてくれたものだな。
各国政府とよく連携して対応策を考えねばならんが、
反政府ゲリラに金を渡すなどすればベルシブ政府は当然ながら激怒だろう。
PKOの派遣国とベルシブを仲違いさせ、内戦を再開するのに邪魔な外国軍を撤退に追い込むのが狙いか」
羽柴藤晴総理大臣は大いに苦悩していた。彼の言う通り、これは非常に厄介な状況である。
カレドの人々を守るために駐留している各国の軍隊としては、子供たちの命を見捨てたとなれば治安維持部隊としての面目は丸潰れで住民の信頼を失うし、かと言って要求通りに反政府組織に身代金を支払うというのもベルシブ政府にとっては利敵行為で、今後の対ベルシブ外交が一気に暗礁に乗り上げてしまうことになりかねない。
自衛隊を突入させてゲリラと交戦し人質を救出するというのも、不戦を原則として海外派兵している日本にとっては一線を越える重大な決断であり後で大問題となるのは必至である。こうなるとそもそも自衛隊の派兵自体が間違いの元であって内閣の責任は免れないと、いずれを選択しても野党が激しく批判してくるのも明白であった。
「さしもの羽柴総理も大ピンチか……。
仕方ない。ここは敵に塩を送るとしよう。
ただし、遅効性の毒をたっぷりと染み込ませた特別な塩をな……」
この難局を乗り切ることができる必殺のジョーカーを、松永久雄は懐に隠し持っている。
彼がそのカードをここで切るのは決して羽柴総理や自憲党政権のためなどではなく、全て己の陰謀のための布石なのである。
松永は携帯電話を取り出すと、ベルシブにいるある人物に国際電話をかけた。
リカオンレギウスの攻撃を受けて倒れ、カレドの病院に緊急搬送された尾坂昌也と茨井加那子は瀕死の重傷で、医師たちの懸命の治療も空しくその命は風前の灯であった。
「先生、心拍が……」
「ううむ、駄目だったか。何ということだ……」
心電図のグラフの波が消え、二人の心臓の鼓動が停止したことが画面に表示されると、治療に当たっていた医師たちは無念の表情をにじませる。
だがそんな沈痛な空気に満たされていた手術室に、白衣を着た一人の若者が入ってきた。
「君は……!」
「遅くなりました。私、医師の冬宮琢磨と申します。
日本政府からの依頼で、この二人の自衛官の手術をするため参りました」
そう言って名刺を差し出す冬宮だったが、自己紹介の必要などはなかった。どんな怪我や病気も見事に治してしまうゴッドハンド。冬宮琢磨と言えば、ベルシブでは知らない者がいないくらいの名医である。
貧しい発展途上国の医療に貢献したいという志を抱いて数年前にアフリカへ渡り、その後もアジアや中南米などの各地を回って数多くの患者を治療してきた若い凄腕の日本人医師。今は紛争地帯のベルシブで活動しているその冬宮が、松永から連絡を受けてこの病院に駆けつけたのだ。
「不躾ながら、私は自分一人でオペをするスタイルでしてね。
助手は要りません。皆さんは外へ出て下さい」
「し、しかし冬宮先生、二人は残念ながらもう……」
「確かに心肺停止している状態とはいえ、まだ完全に死亡してはいないはずです。
逆転の望みは残されている。何とか蘇生できるよう手を尽くしてみます」
手術室から他のスタッフらを追い出した冬宮は一人きりになると、持参したケースから愛用の手術道具を取り出し、仮死状態となっている尾坂と茨井の蘇生オペレーションに取り掛かった。
それから数時間後――既に陽は沈み、外はすっかり暗くなっている。
冬宮は手術室にたった一人で籠もったまま、あれから一度も外に出て来ていなかった。
「冬宮先生、大丈夫でしょうか……?」
「もう五時間も一人だけで籠もりきりだぞ。さすがに心配だな」
様子を見に行ってみようと、医師と看護師たちが手術室のドアを開けようとしたその時……ドアが凄まじい力を内側から受けて軋み、たちまちバラバラに砕け散った。
そして手術室の中から、魚人のような姿をした人外のモンスターたちが出て来たのである。
「きゃぁっ!」
「な……何だお前たちは!?」
驚いて悲鳴を上げる医師と看護師。だが二体の怪人の後ろから、してやったりという笑みを浮かべて平然と出て来たのは冬宮であった。
「恐れる必要はありません。重傷患者二名、この通り無事に快復しました」
「か、快復しただって……?」
「どうやら私の出る幕ではなかったようです。
生命の危機が二人の体内に眠っていたレギウス因子を呼び起こし、
この超人の姿への覚醒を促したようですね」
生死の淵を彷徨っていた尾坂はメカジキの化身ソードフィッシュレギウスに、茨井はテッポウウオの化身アーチャーフィッシュレギウスにそれぞれ変貌して蘇ったのだった。
生命の危機に直面すると、人体が死を回避するために眠っていたレギウス因子を起動させ、超人的な生命力を持つレギウスに自分を生まれ変わらせることで復活するというのは過去にいくつも事例が確認されてきた現象である。
「その……二人とも、大丈夫なのかね」
医師が恐る恐る問いかけても、ソードフィッシュレギウスとアーチャーフィッシュレギウスは無言のまま反応を示さない。
やがて二人は自分たちを囲むように立っていた医師たちを押しのけて急に猛然とダッシュし、病院の窓ガラスを割って建物の外へと飛び出していった。
「実戦テストと行きますか。早速……」
皆が唖然として言葉を失っている中、冬宮はにやりと笑ってそう呟いた。
「俺たちは……」
「どうしてここに……?」
意識を取り戻した時には、尾坂と茨井はレギウスの姿となって、朝に自分たちが重傷を負った場所である学校の前に立っていた。
それまでの記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。それなのに、今の状況はなぜか二人とも完璧に理解できていた。
あのリカオンレギウスを指揮官とするベルシブ解放戦線が生徒たち三人を人質に取って校舎の中に籠城している。日本も他の国の政府も、あまりに複雑な政治上の問題とレギウスを擁する相手の戦力の強さゆえに迂闊に手が出せないでいるのだ。
であれば、レギウスとなった今の自分たちにできること、すべきことは何か。それは考えるまでもないことであった。
「行くわよ。尾坂三尉」
「了解です。茨井二尉」
尾坂と茨井――ソードフィッシュレギウスとアーチャーフィッシュレギウスは互いにうなずき合うと、学校への突入を開始した。
「な、何だ貴様らは!?」
校門の前に立っていた見張りのゲリラ兵が驚き、慄きながらアサルトライフルを撃ってくる。だがレギウスと化した二人のボディは銃弾を浴びても傷一つつかない。
「ちょっと静かにしてなさい!」
アーチャーフィッシュレギウスは右腕に装備された銃からビーム弾を発射し、その兵士の足を撃った。
負傷して動けなくなった見張りをその場に放置して、前進した二人はレギウスの優れた感覚で人質が閉じ込められている教室を特定すると、大きくジャンプして三階の窓ガラスを突き破りその部屋に飛び込んだ。
「そこまでだ! 人質は返してもらうぞ!」
「何っ!? レギウスだと……?」
リカオンレギウス一人さえこちらにいれば勝利は確定だとタカをくくっていたゲリラたちは、突如として二体のレギウスが敵として出現した誤算に慌てふためく。
「おのれ。俺が相手だ。捻り潰してやる!」
ゲリラたちが混乱に陥る中、リーダーのウェズレイ赤木だけはさすがに怯まずリカオンレギウスに変身して襲いかかってくる。
ソードフィッシュレギウスは接近して格闘で相手をいなし、アーチャーフィッシュレギウスは遠距離からビーム弾を撃って的確に彼を援護射撃した。
「尾坂三尉!」
「任せて下さい!」
アーチャーフィッシュレギウスが横からビーム弾を連射して牽制し、その隙に距離を取ったソードフィッシュレギウスが右手から光の刃を伸ばして斬りかかる。
だがリカオンレギウスも負けじと口から炎弾を吐き、突っ込んでくるソードフィッシュレギウスを迎撃した。
「消えて無くなれ!」
「そうは行くか!」
ソードフィッシュレギウスのレーザー刀が、飛んで来た炎弾をバラバラに切り刻んで消滅させる。そのまま疾風の如く接敵したソードフィッシュレギウスは光の刃を力強く一閃し、リカオンレギウスの胸を斬り下げた。
「ぐおっ……!」
「メイク・マイ・デイ! ってね」
すかさず突進したアーチャーフィッシュレギウスは右手のパンチをリカオンレギウスの首に打ち込み、手の甲から伸びた銃口を敵の喉元に突き刺した。
有名な映画のヒーローを真似た科白と共に、押しつけられた銃口から強力なビーム弾が零距離発射されてリカオンレギウスの喉を貫く。リカオンレギウスは崩れるように教室の床に倒れ込み、そのまま絶命した。
「みんな無事か? ケガはないか?」
「怖かったでしょう? でももう大丈夫よ」
変身を解いた尾坂と茨井は縛られていた生徒たちの元へ駆け寄り、縄をほどいて救出した。
こうしてカレドはゲリラの占領から解放され、作戦失敗を悟ったベルシブ解放戦線は計画を放棄して奥地へ撤退。政府軍との本格開戦に至る前に事態は収拾されたのであった。
「何ということだ。殉職したかと思われていた二人の自衛官がレギウスに……」
未明の総理官邸。深夜の内に急転した事件の顛末を報告された羽柴総理は大きな溜息をついた。
今回ばかりは判断に窮して有効な対策を打ち出せず、その間に二人の自衛官のレギウスへの覚醒という奇跡が転がり込んできて運良く助けられた格好である。
「これで今日の選挙も何とかなりそうですな。いや良かった」
「何とかなるどころか、ヒーローの活躍に大騒ぎの国民は俄然、
自衛隊の派兵を決めた総理の支持に回りますよ。
災い転じて福となすとはこのことで、今回の選挙は見込まれていた以上の圧勝もあり得ます」
事件解決に安堵した自憲党の長老議員たちがそんな話をしている。
外交上や政治上、どんな選択をしても厄介な問題となるのは避けられないところだったが、たった二人のレギウスが個人の戦闘でゲリラを殲滅して撤退に追い込んだとなれば、そうしたややこしい事態も招くことなく全ての難題がシンプルにクリアされたと言えるだろう。
上官の命令無しに勝手に戦闘行為をした二人の自衛官についてはやはり責任が問われなければならないが、事の性質上、あまり厳しい罰を与えるのは相応しくなく軽い処分で済ませるのが妥当であろう。
「いや総理はつくづく悪運が強い。こんな万に一つのラッキーが都合良く起こってくれたのも、
きっと総理の日頃の行ないが良いからではないでしょうか」
そう言って愉快げに笑う松永の言葉は単なるありきたりな追従なのか、あるいは政敵への皮肉か、それとももっと深い何かの意味を秘めたものなのだろうか。
妙な引っかかりを覚えつつ、徹夜でカレドの事件の対応に当たっていた羽柴はいよいよ決戦となる解散総選挙の投票日の朝を迎えて改めて襟を正すのであった。