安土市の北、琵琶湖に浮かぶ人工島の上に築かれた、
地球防衛軍ブレイバーフォースの日本支部基地。
数年前に東京から移転してきたばかりの、
最先端科学の粋を尽くして建設された大型軍事施設である。
「隊長、もう大丈夫なんですか?」
「ああ。こんなのは掠り傷だ。
ゼルバベルが本格的に動き出そうとしているこの緊急時に、
いつまでも休んでなんかいられないよ」
スクィッドレギウスとの戦いで負傷していた斐川喜紀隊長だったが、
顔に絆創膏を貼りつけた痛々しい姿ですぐに戦列に復帰した。
女性隊員の寺林澄玲は気遣いの言葉をかけるが、
喜紀は平和を守る使命への熱意にあふれた様子で気丈に振る舞う。
「これまでは水面下で鳴りを潜めていたゼルバベルが、
いよいよ大規模なテロ作戦を公然と実行するようになってきたか…。
我々としても、フェーズを一段階引き上げて対応しなければならないね」
「仰る通りです。松井参謀長」
現場指揮官である隊長の上に立って作戦を指示するのは、参謀本部長の松井邦弘。
今年で還暦の60歳になるベテラン司令官だが、
最近は寄る年波のせいか、若い頃の覇気や切れ味が衰え気味だと指摘する声もある。
「そこで、だ。我々日本支部としてもこの事態に対処するため、
戦力補強が必要と判断して急遽メンバーを増員することにした。
君らもよく知っている顔だが、改めて新隊員を紹介しよう。入りたまえ」
松井に促されて基地のブリーフィングルームに入ってきたのは、
ハンサムでどこか気取った顔つきの若者だった。
進藤蓮隊員。24歳。
優秀さを買われ、2年前に日本支部からフランス支部へ転属となっていた青年である。
「お久しぶりです、皆さん」
「進藤隊員…」
新メンバーの加入と聞いて期待していた喜紀の表情が、
蓮の姿を見るなり急にどんよりと曇り出す。
「ゼルバベルの攻勢に対抗するため、
フランス支部に要請して進藤隊員を日本に復帰させることにしたんだ。
見知らぬ外部の人材よりも、皆も前から馴染みのある仲間の方が、
連携面での支障も少ないかと思ってね」
「いや、本部長、それはどうでしょうか…」
チームワークを考えるならば、この人事はかえって逆効果ではないかと澄玲は頭を抱える。
以前、蓮が日本支部にいた時から彼と喜紀は水と油、犬猿の仲なのである。
「聞きましたよ、斐川隊長。
ゼルバベルのレギウスを相手に戦闘力では圧倒していたのに、
人質を取られた途端に戦えなくなってボコボコにやられちゃったそうじゃないですか」
早速、からかうような軽口を飛ばしてきた蓮に対し、
喜紀はうつむき加減に視線を逸らしつつ苦々しげに答える。
「…人命救助を最優先しての判断だった。
いくら敵を撃滅するためとはいえ、
まだ未成年の女性市民を構わず死なせてしまうわけには行かないだろう」
「でも、もしあそこで隊長が倒されてしまっていたら、
あのレギウスは更に多くの市民を殺傷していたかも知れないんですよ」
「それは、確かにそうだが…」
「であれば、心を鬼にしてたった一名の人質を見捨てた方が賢明な選択でしょう。
無論、全員を漏れなく完璧に守り通せれば理想的ですが、
現実はそんなに甘くはないんじゃないですか。
シビアで薄情なことを言うようですけど、
時には少数を犠牲にして多数を守るという損得勘定も必要だと俺は思いますね。
株の世界で言うところの損切り、ストップロスって奴です」
「それが、お前がフランスで学んできたことなのか。
人の命はそんなゲームのような冷淡な計算なんかで扱っていいものじゃない。
俺たちがあらゆる命を守ろうとベストを尽くさなくなってしまったら、
悪に蹂躙されるしかない無力な人々は一体どうしたらいいんだ」
どんな命をも救うべく常に全力投球することこそ自分たちの使命だと考える喜紀と、
人類全体を守るためには一部の犠牲に目を瞑るのもやむなしと割り切っている蓮では、
職務に対するポリシーが正反対で意見が合わない。
二人の間に険悪な空気が流れ、緊張感が漂った。
「う~ん、隊長のお気持ちはまあ分かるんですが、
何と言うか、俺より1歳年上なのに心は隊長の方が若いですね」
「何だと! 数が少なければ市民に死者が出ても構わないなんて、
お前それでも正義のブレイバーフォース隊員か!」
「まあまあ二人とも。落ち着いて下さい」
蓮の小馬鹿にしたような台詞に激昂して怒声を上げる喜紀だったが、
澄玲が間に入って何とか二人を宥めた。
「隊長の信念も、進藤隊員の理論も分かりますが、
今は喧嘩している時じゃありません。
こうしている間にもゼルバベルは次の作戦に向けて動き出しているかも知れないんですよ。
仲間同士で言い争うより先に、私たちにはすべきことが山ほどあります」
「ああ…そうだな。済まない」
「はいはい、ごもっともです」
頭を冷やして自分を戒めるように頷く喜紀と、
またふざけたような口調でにやけながら同意する蓮。
「もう一つ気になるのは、斐川君を助けてくれたという、
赤いライオンのレギウスという奴だね。
我々のデータにはない、未確認レギウスがまた現れたわけだ」
議論が収まったのを見計らって松井本部長が言う。
突如として戦場に現れ、リザードレギウスを攻撃して人質を救い出したライオンレギウス。
ゼルバベルと戦っていたところを見るとその構成員ではなさそうだが、
その正体は全く不明である。
「あの戦いで窮地を脱することができたのは彼のお陰でした。
ゼルバベルから市民を助けたという行動から推測すれば、
彼は決して悪のレギウスではなく、今後もまた我々の味方になってくれる可能性があります」
「それはどうですかね。
人質の救出やゼルバベルの撃退に繋がったのは偶然で、
単に凶暴性に任せて目の前の敵に襲いかかっただけとも考えられますよ。
楽観的な見方は避け、まずは最悪のケースを想定して厳しく警戒すべきです」
ライオンレギウスへの見解を巡って、またも意見が対立する喜紀と蓮。
再び論争が火蓋を切ってしまう前に、素早く澄玲が口を挟んだ。
「私としては、どちらの可能性もあると思いますね。
ライオンレギウスは我々の味方かも知れないし、敵かも知れない。
現状、何か判断を下すにはまだ情報不足なわけですから、
今はどちらの場合にも対応できるよう柔軟な姿勢で構えつつ、
彼の正体を知るために少しでも多くの情報を集めるべきです」
「うむ。寺林君の言う通りだね」
松井がそう言って頷いたので、喜紀と蓮もひとまず異論を呈さず沈黙する。
ブレイバーフォースの基地に事件発生の通報が届いたのは、その時であった。
「はい、ブレイバーフォースです。
えっ、ゼルバベルのレギウス出現!? 場所は?
…分かりました。春ヶ台ニュータウンの河川敷ですね!」
電話に出た澄玲の声に、喜紀と蓮の表情が強張る。
澄玲が受話器を置くと松井は立ち上がり、直ちに隊員たちに指令を下した。
「よし、斐川隊長と進藤隊員は直ちに現場へ出動せよ。
寺林隊員は基地に残ってオペレーターとして二人をサポートだ」
「了解!」
松井の命令に敬礼で応え、喜紀と蓮は共に事件現場へ急行した。