EPISODE13『動乱のベルシブ』

 

ベルシブ共和国は、日本の南、フィリピンとグアムの中間に位置する東南アジアの島国である。

日本の本土とは距離があるが領海を接している隣国であり、

太平洋戦争中には日本軍が占領統治していた歴史もあって日本との繋がりは深い。

ただし現在の日本との関係は、良好とも険悪とも単純には言えない微妙で複雑なものであった。

 

「この辺りは反政府ゲリラの襲撃が多い所よ。注意してね」

 

熱帯雨林を貫いている狭くデコボコした山道を、一台の軍用トラックが走っている。

トラックを運転している陸上自衛隊の尾坂昌也三尉に、

助手席に座っている彼の上官の茨井加那子二尉は警戒を促した。

 

「このトラックには、村の子供たちが食べるパンが積んであるんですからね。

 ゲリラなんかに奪われて、子供たちにひもじい思いをさせるわけには行きませんよ」

 

二人はPKO(国連平和維持活動)のためにこのベルシブへ派遣された日本の自衛官である。

太平洋戦争での日本の敗戦後、晴れて独立を果たしたベルシブだったが政情は安定せず、

現在は軍事クーデターで政権を掌握したロナルド・ファン・ダイク大統領の独裁政権と、

民主化を求める反政府レジスタンスとの間で内戦状態。

日本や周辺の東南アジア諸国の働きかけによってひとまずの停戦が成立したものの、

散発的な戦闘やテロは各地で起こっており、油断はならない状況であった。

 

「まあ、もし襲って来たらその時は私がこの銃で蜂の巣にしてやるまでだけどね。

 どこからでもかかって来なさいって奴よ」

 

「僕らの本分はあくまで平和維持のための活動で、敵の撃滅じゃないんですからね。

 戦闘になればまた日本国内で厄介な問題になるのは目に見えてるんですし、

 もし襲撃されてもノリノリで応戦したりしないで下さいよ」

 

この国における自衛隊の活動内容は停戦監視や治安維持の他、

ベルシブ国民への食糧の配給やインフラ整備、医療支援など多岐に渡る。

内戦で荒れ果てたベルシブの復興を手助けし、人々を笑顔にしていくこの仕事に、

尾坂はこの上ないやり甲斐を感じている一方で、

危険な任務でこそ血が騒ぐ自他共に認めるバーサーカーの茨井はやや物足りない様子である。

 

「ま、平和が何よりってのは私も分かってるんだけどね。

 ゲリラの過激派がもっと色々やらかしてくるかと思ってたけど、

 意外とお行儀良くしてるのは結構なことだわ」

 

「銃なんて、ずっと撃たずにいられたらそれが一番ですよ」

 

運転席のカーナビゲーション画面を確認して、尾坂がアクセルを強く踏み込む。

目的地の村まではあと1時間ほどの道のりである。

舗装されていない土と泥の悪路を、トラックは唸りを上げて走り抜けて行った。


「なぜ攻撃しなかったんだ!?」

 

尾坂たちを乗せた自衛隊のトラックが走り去った後。

密林の木の枝に腰かけ、スナイパーライフルを持ちながら遠くを見つめている少女に、

木の下に集まった仲間のゲリラたちは怒声を浴びせた。

 

「見れば分かるでしょ? あれは政府軍の車両じゃない。

 日本の自衛隊を攻撃しても、私たちの立場が悪くなるだけでメリットはないわ」

 

抑揚の乏しい無感情な声で、迷彩服を着たその少女――伊波シノは男たちに言葉を返す。

彼女は太平洋戦争中に移民してきた日系人の子孫のベルシブ人で、

反政府レジスタンス組織・ベルシブ解放戦線に属するゲリラの少女兵である。

 

「メリットがないだと? そんなことはないだろう。

 自衛隊に被害が出れば、元々PKO派兵に反対が多かった日本の世論は一気に撤退に傾く。

 停戦を破るのに邪魔な外国の軍隊がいなくなれば、

 独裁政権を倒すためにまた思う存分戦えるじゃないか」

 

「今すぐ戦闘を再開しても勝ち目は薄いわ。

 それに、そんなことをすれば日本だけでなく世界中を敵に回して、

 私たちは孤立してしまうわよ。

 第一、飢えた村人たちに食糧を届けてくれているのを私たちが妨害なんてしたら、

 これは一体何のための戦いなのか分からなくなってしまうし」

 

抑圧されているベルシブ国民を解放するために独裁政権と戦っているはずの自分たちが、

そのベルシブ国民への食糧供給を邪魔して飢餓を促進したのでは抵抗運動の大義が根底から崩れてしまう。

大柄な年上のゲリラ兵たちにも怯むことなく、シノはそう言い返した。

 

「ケッ、ちょっと可愛くて上層部の連中のお気に入りだからって調子に乗りやがって。

 お前さんが幹部に昇格してからというもの、生ぬるい戦い方ばかりでストレスが溜まるぜ」

 

「私は勝利への最適解だけを追求しているつもりよ。今に分かるわ」

 

人々を苦しめている非道な独裁政権を倒し、ベルシブに自由と民主主義を取り戻すための正義の戦い。

10歳でベルシブ解放戦線に拉致されゲリラとして育てられるようになってからずっと、

そんな戦いの大義については洗脳にも近いレベルで教え込まれてきたシノだが、

実態は無差別テロや一般市民からの略奪、彼女自身もされたような誘拐による人員調達など、

正義と呼ぶには大いに問題のあるやり方が見られるのは否定できない。

首脳陣から目をかけられ幹部クラスに出世できたのを利用して、

もっと解放軍らしい真っ当な戦い方をすべきだと組織の方針に口を挟んできたものの、

彼女に反発する者も多く、シノは次第に孤立するようになっていた。

 

「おい、どこへ行くんだ?」

 

「商談の時間よ。新品のマシンガンと弾薬が、もうすぐ届く頃だわ」

 

木の上から身軽に飛び降りたシノはそう言うと、

愛用のスナイパーライフルを担いでジャングルの奥へと歩いて行った。


「これだけで宜しいのですか? もう少し買っていただけると思っていたのですが……」

 

オットー・ケクラーは、ヨアヒム・フォン・ヒンデス伯爵がオーナーとなっている、

ヨーロッパの某国の大手軍需産業系企業のセールスマン――いわゆる死の商人である。

ベルシブ国内に密かに武器を運び込んだケクラーはシノにそれを渡して代金を受け取り、

更に次回の取引について発注を受けたのだが、シノが買い求めた銃と弾丸は、

ケクラーが売る算段でいた数の半分ほどでしかなかった。

 

「申し訳ないけど、こっちも財政は火の車でね。贅沢はできないの。

 それに今は政府軍と停戦中で、しばらく私たちの方から協定を破るつもりはないから、

 今までのように大量の銃弾はすぐに消費する予定がないわ」

 

「左様ですか……。密林での行動に特化したこの新型ドローンも、

 ベルシブ解放戦線にきっとお買い上げいただけると考えて開発したのですが」

 

シノに見せるため、実物を一機持参して性能テストを披露するつもりでいたドローンも、

今は必要ないとシノは購入を見送った。

 

「あなた方のビジネスにとっては不都合でしょうけど、

 ベルシブに真の自由を取り戻すためには、ただ闇雲に暴れればいいってわけじゃない。

 私がそう意見して余計な殺戮を控えるようにしているの。

 だからテロ用の無人機も、当面は使わないわ」

 

「なるほど。まだ若いながらもよく考えていらっしゃるのですな。

 承知致しました。ベルシブの解放の実現を、私どもも心から応援しております」

 

父親ほどの年齢のケクラーは、鷹揚に笑ってシノの意向を了承した。

若い女の方が男を相手に何かと話を進めやすいと言われて兵器会社との折衝を任されているシノだが、

今回ばかりはもっと商談が難航するかと覚悟していただけに、

意外なほどスムーズに取引がまとまって胸を撫で下ろす。

 

「ご理解いただけて嬉しいわ。ありがとう。ケクラーさん」

 

冷徹なゲリラとして育ってきたシノも、ケクラーの理解ある態度に安堵し、

わずかに頬を綻ばせて素の笑顔を覗かせた。


だが……。

兵器を売って利益を上げる死の商人としては、内戦の当事者にシノのような良識や節度などは望まない。

戦争をとにかく激化させ、泥沼化させてこそ武器の需要が高まって儲かるのだ。

シノとの商談を終えたケクラーは、ゲリラのブレーキ役となっている彼女を排除するため密かに動き出した。

 

「新型ドローンの試運転にはちょうどいい。

 あの小娘がいなければ、ベルシブ解放戦線はまた過激路線に傾くだろう」

 

東南アジア特有のスコールが降る中、

シノは密林の木陰でスナイパーライフルを胸に抱くように持ちながら雨宿りしている。

激しい豪雨を物ともせず、ケクラーが遠隔操作するドローンはジャングルの木々をかき分け、

シノの元へと高速で飛んで行った。

 

「あれは……!?」

 

接近する小型の暗殺メカの気配にシノが気づいて咄嗟に振り向いた。

先ほどケクラーが見せてくれたあのドローンに間違いない。

何が起きたのかをシノはその瞬間に悟ったが、もはや手遅れであった。

 

「可哀想だが……邪魔者は消えろ!」

 

ドローンのカメラから送られてくる映像を見て照準を合わせながら、

遠くでケクラーがレーザーの発射ボタンを押す。

超高熱の破壊光線がドローンから放たれ、シノに襲いかかった。

 

「きゃぁぁっ!!」

 

「な……何だ!?」

 

突如、強烈なフラッシュが焚かれたように画面が異常な明るさになり、

映像を凝視していたケクラーは戸惑いながら片手で目を覆った。

レーザービームの命中より一瞬だけ早く、雷がシノの真上に落ちたのである。

 

「ううむ……。これでは死体さえ残らんか」

 

爆発が収まった後、ケクラーはドローンを何度も周回させてシノを探したが、

雷とレーザーの直撃を続けざまに受けて木端微塵に吹き飛んでしまったのか、

シノの遺体はどこにもなかった。

思わぬアクシデントに横槍を入れられた格好だが、とにかくケクラーの目論見は成功である。

穏健派のシノを失ったゲリラたちはまた過激化し、狂犬のように暴れ出すだろう。

ベルシブを沈める血の海と、それがもたらす自社の利益の拡大を頭に浮かべてケクラーは愉快げに笑った。