EPISODE14『復活のソルジャー(前編)』

 

 羽柴藤晴総理大臣が内閣改造の直後に発表した解散総選挙。

 かくして選挙戦が始まり、日本各地で候補者たちが熱く鎬を削りながら有権者に支持を訴えた。

 レギウス問題というかつてない国難の中で今後の日本の舵取りを決めるものとなるだけに、選挙に対する国民の注目度は高く、普段は低調な投票率も今回ばかりはかなりの数値になるだろうと予測されている。

 

「どうなるかねえ……。まあ普通に行けば、自憲党がまた勝って羽柴総理の続投だろうけど、

 レギウス問題に関してはなかなか完璧とは行かないから不満の声もあるし、

 民革党もそこを突いてかなり頑張ってるみたいだからまだ分からないよな」

 

 朝、安土江星高校2年B組の教室。

 自分の席に座ってスマートフォンでネットニュースをチェックしながら、獅場俊一は恋人の稲垣千秋に選挙の話題を振ってみる。

 

「俊一も政治に興味あるの?」

 

「ま、それなりにな。来年は俺たちも選挙権を持つ歳になるんだし、

 そろそろこういうのも自分なりに考えとかないとダメだろ」

 

「そうね。うちのお爺ちゃんも同じこと言ってた。

 国民の一人として、政治に無関心じゃいけないぞって」

 

 日本の選挙権は18歳からということで、現在17歳の俊一や千秋にとっては来年からいよいよ可能となる政治参加を見据えて今までになく意識することになる選挙でもある。

 ホームルーム前の教室がいつものように他愛もない遊びや雑談で賑わう中、一部の真面目な生徒たちの間では選挙を巡る政治談議もぽつぽつと交わされている。

 

「今回の選挙は、レギウス問題をどうするかっていうのがやっぱり大きいからね。

 ここだけの話だけど、獅場君にとっては他人事じゃないでしょ」

 

 「ああ。それは確かにあるよ。あまり過激な党が勝って、

 レギウスはみんな危険物扱いで拘束なんてことになったら困るしな」

 

 安土城占拠事件の際に俊一がライオンレギウスだと知った永原祐樹が周囲の耳を憚って小声で言うと、俊一もそっとうなずいた。

 政府がレギウスにどう対応すべきかについてはまさに百家争鳴といった状況で、楽観的すぎる寛容主義から徹底した排斥論まで様々な意見が出されて激論となっている。

 レギウスである俊一にとっては、自分にも直接関係してくる重要な問題である。

 

「後は外交かな。ベルシブの独裁政権はかなり悪どいことやってるみたいだし、

 難民の受け入れに関しては俺は民革党の言う通りもうちょっと積極的でもいいと思うんだよな。

 生きるか死ぬかのレベルで困ってる人が多いんだから、日本が助けてあげるべきだよ」

 

 俊一にとっては、同じベルシブ難民の後輩であるジュマート富樫のこともあってどうしてもベルシブの人々に肩入れしたくなるのだが、こうした人道的な問題に対しては特に敏感なはずの羽柴総理が、なぜかベルシブ難民の受け入れに限っては以前からどうにも及び腰なのは不思議であった。

 

「PKOでベルシブに行ってる自衛隊はどうなるかねえ……。

 民革党とかはこれについては断固反対だからな。

 現地の人たちからは復興の手助けをしてとても感謝されてるみたいだけど、

 でも自衛隊が向こうの内戦に巻き込まれるリスクもあるしなあ……」

 

 鯨井大洋が、自衛隊の海外派兵というもう一つの重要な争点を口にする。

 内戦で荒廃した政情不安のベルシブをPKOという形で支援するという現政権の方針についても賛否両論で、左派の野党の多くは強く反対しているのだが、最近ではこのテーマはレギウス問題というあまりにセンセーショナルな話題の陰に隠れて霞んでしまった感がある。

 だが投票日の直前になって、これが羽柴政権を揺るがす激震を招く大事件になってしまうのである。


 ベルシブ共和国西部の村・カレド。
 ここは内戦の際、独裁政権に抗戦する民主派ゲリラの根拠地となり、政府軍による激しい空爆を受けて無惨な焼け野原と化してしまった場所である。
 自衛隊員の尾坂昌也と茨井加那子は、PKO活動の一環としてこの村に駐留して復興支援に当たっていた。

「オハヨーゴザイマース!」

「よう。おはよう!」

 かつてはオランダの植民地で、太平洋戦争では日本軍が占領して短期間ながら日本領だった時期もあるベルシブでは当時に移住した日系人の子孫も多く、今なお日本語が一部通じる地域も少なくない。
 朝、警備のために機関銃を提げながら通学路に立っていた尾坂は、登校する地元のベルシブ人の子供たちから元気良く日本語で挨拶されると、敬礼しながら明るい笑顔で挨拶を返した。

「爆撃で破壊されてしまった学校も、ようやく建て直せたんだよな。
 子供たちも嬉しそうで良かった」

 校舎を建て、電気や水道をそこに引き、学用品や給食用の食糧など必要な物資を輸送して、一度は失われてしまった子供たちの教育環境を取り戻すミッションを果たしたのは尾坂らの部隊である。
 テロや戦闘が起きてしまう恐れは今なお無いとは言えないので、毎日、登下校する生徒たちが危険に遭わないよう見守るのも彼らの任務だ。

「巡回完了。異常無しよ。そっちはどう? 尾坂三尉」

 村の農地の方をパトロールしていた茨井が戻ってきて、尾坂と敬礼を交わす。

「こちらも異常ありません。茨井二尉。
 子供たちも無事に登校しています」

「平和よね~。私たちが忙しい時ってのはろくでもない有事ってことだから、
 このまま何事もないのが一番なのは分かってるけど」

 ベルシブ軍も反政府ゲリラも近頃は大人しく、停戦が破られる兆しはない。
 現地の人々や隊員たち自身の安全を守るため、羽柴政権の下でかなり臨機応変に動けるよう制約が緩和されたとはいえ、自衛隊は憲法上の問題もあって戦闘には参加しないという原則の下で派兵されているのだが、命懸けの危険な任務でこそ血が騒ぐという生粋のバーサーカーな茨井にとっては、日本を発つ時に覚悟していたほどのハードさがない現状はやや拍子抜けであった。

「俺は戦闘よりも、炊き出しとか土木工事とか、
 こういう市民の暮らしを助ける任務の方が皆の役に立ててる実感があって楽しいですけどね。
 この村の人たちもとてもフレンドリーで、仲良くなれた人も大勢いますし。
 このまま銃を撃つ機会なんて一度もなく終わるのが何よりですよ」

 復興支援を通じた地元住民たちとの交流を楽しんでいる尾坂は、むしろ今の任務に大いにやり甲斐を感じているようである。
 剣道の有段者で、武道としての勝負事には子供の頃から熱中してきた彼だが、命のやり取りとなるとどうしても苦手で、自衛官としての覚悟が足りないと茨井にはよく説教されている。

「ところで、今夜はジャマイカ軍がダンスパーティーを開くそうよ。
 私たち自衛隊にも招待が来てるから、一緒に行きましょ」

「ジャマイカっていうと、やっぱりレゲエダンスですか。
 茨井二尉もそういうの好きですよね……。
 この前のナイジェリア軍との交流会でもノリノリでバスケ対決を楽しんでましたし」

 独裁と軍拡の路線を取り国際的に孤立を深めているベルシブは、アメリカや他の東南アジア諸国の軍隊が国内に入るのを断固として拒否しており、そのためPKOで駐留しているのも欧米の主要国や近隣のASEAN加盟国ではなく、中南米や中近東やアフリカ等の比較的マイナーな国の軍隊ばかりである。
 主要国で唯一、ベルシブが駐留を受け入れたのが日本の自衛隊で、これは日系人も多いゆえの住民の親日感情を考慮しての特例だと言われるが、そんな心温まる話が本音なのかどうか、ロナルド・ファン・ダイク大統領の真の意図は分からない。

「いいじゃん。あんたは生真面目過ぎなのよ。
 そういう息抜きもたまには大事だって……」

 茨井が言いかけたその時、校門の前に一台のトラックが停まった。
 軍用トラックのようだが、自衛隊や他国の軍の車両ではない。
 二人が警戒する中、トラックから降りてきたのは人間ではなく、犬か狼のような姿をした怪人であった!

「レギウス……!」

「この学校は我々が占拠する。邪魔者はどけ!」

 迷彩服を着たゲリラ兵たちと共にトラックを下りたリカオンレギウスは、学校の敷地内へ押し入ろうと校門の方へ向かってきた。

「日本の自衛隊だ! この先は行かせないぞ!」

「止まりなさい! 止まらないと撃つわよ!」

 すかさず校門の前に立ち塞がって機関銃を構える尾坂と茨井。
 リカオンレギウスが警告を無視して前進を続けたため、二人は銃のトリガーを引いて発砲する。

「バカめ。そんなマシンガン如きで、この俺の硬い装甲が破れるか! 死ね!」

「うわぁぁっ!」

「きゃぁぁっ!」

 銃弾の雨を物ともせず、リカオンレギウスは口から超高温の炎弾を吐いて二人を攻撃。
 爆発が起こり、学校のグラウンドまで大きく吹き飛ばされた尾坂と茨井は全身に大火傷を負って倒れ込んだ。

「邪魔者は片づけた。すぐにかかれ!」

「ううっ……ま……待て……っ」

 命に関わる重傷で動くこともできない尾坂と茨井を尻目に、リカオンレギウスに率いられて校舎内へ突入するゲリラ兵の集団。

 教室から響いてくる生徒たちの悲鳴を聞きながら、二人は力尽きて意識を失ってしまった。


 かくして、ベルシブ解放戦線はカレドの学校を占拠し、校内にいた生徒たちの中から選んだ三名を人質に取って校舎に立て籠もった。

 

 

「この学校は民主化レジスタンスの前線基地として使用する。

 政府軍の奴らめ。攻撃できるものならやってみろ!

 ここを爆撃などすれば、子供たちまで木端微塵だぞ!」

 

 良識ある穏健派の幹部だった伊波シノを失ったベルシブ解放戦線は、過激派の急先鋒で以前からシノとは対立していたウェズレイ赤木=リカオンレギウスの指揮の下、休戦協定を破ってカレドを拠点に政府軍との戦闘再開に打って出たのである。

 捕らえられた生徒たちは縄で手足を縛られて学校の教室の中に監禁され、政府軍の攻撃を封じるための人質、いわゆる人間の楯として利用されてしまうことになった。

 


 日本はベルシブのほぼ真北にあるため、両国の間には時差はない。

 総選挙の投開票日のちょうど前日、日本時間の午前9時前に発生した自衛隊が駐留する村での学校占拠事件のニュースは、すぐに日本中を駆け巡って震撼させた。

 

「和平に合意して矛を収めたと思われていた反政府ゲリラが、

 突然こんな非道なテロに出てくるとは……」

 

「ベルシブ解放戦線の幹部の一人が数日前に死亡したという未確認情報もあります。

 上層部の顔触れや力関係が変わったこと、また仲間にレギウスの覚醒者が現れたことで、

 今まで抑え込まれていたゲリラの中の過激派が一気に勢いづき、

 休戦協定を守る方針でいた穏健派を押し切ってこの凶行に走ったようですね」

 

 国家安全保障担当首相補佐官の斯波旭冴から報告を受けながら、羽柴藤晴総理大臣は焦りを募らせていた。

 戦闘は行わないことを原則とし、仮に戦闘するとしても人間を相手に戦うことしか想定していなかった自衛隊は対レギウス用の強力装備を有していない。

 戦車の砲弾や戦闘機のミサイルならさしものレギウスと言えども倒せるかも知れないが、ゲリラが生徒たちを人質に取っている以上、学校ごと吹き飛ばすような爆撃をするわけにも行かないのだった。

 

「反政府ゲリラたちは校舎内に監禁している生徒たちを人間の楯に利用して、

 ベルシブの政府軍と戦闘を始めるつもりのようです。

 しかし冷酷な独裁者として知られるあのファン・ダイク大統領が、

 人質の命に配慮して敵への攻撃をやめるとは思えません」

 

 人質に取られた生徒たちは全員ベルシブ国籍であるため、本来、日本を初めとする他国の政府や軍には彼らを救出する義務はない。

 治安維持のため現地に駐留しているPKO部隊としては子供たちを見捨てるという選択をするわけにも行かないが、戦闘によるゲリラの制圧というのは中立を破って内戦の片一方の勢力と全面対決することを意味するもので、非常にデリケートな問題でもある。

 

「レギウスと交戦して負傷した、二名の自衛隊員はどうなった?」

 

「同じくPKOでカレドに駐屯していたトルコ軍とウルグアイ軍の兵士によって、

 火傷を負って倒れていた学校の敷地内から救助されました。

 しかし二人とも意識不明の重態で、助かるかどうかは……」

 

 ゲリラの隙を突いて学校のグラウンドに突入した他国の友軍によって身柄を回収された茨井と尾坂は、病院へ搬送されたものの生死の境を彷徨っており容態は非常に危険だという。

 もし殉職となれば、自衛隊をベルシブに派兵して以来初めての犠牲者である。

 

「よりによって選挙の前の日に、これは最悪の事態ですぞ総理。

 自衛隊の海外派兵には以前から反対の声も多かったのに、

 それを押し通した末に隊員に死者を出したとなれば政権にとっては大ダメージ。

 逆風は必至で、国民やマスコミの騒ぎようによっては明日は我が自憲党の惨敗もあり得ます」

 

「人の命が懸かっているこんな時に、政局の心配が第一かね?

 確かにこれは派兵を決断した私の責任だ。

 国民には明日の選挙で存分に裁いてもらうことになるだろう。

 しかし今はそんなことよりも、一人でも多くの人命を救うためベストを尽くす。

 それだけではないのかい?」

 

「そ、それは仰る通りですが……」

 

 大勝も見込まれていた総選挙の雲行きが一気に怪しくなったことを嘆く閣僚を、羽柴は一喝した。

 そんな総理の姿を、感心したように眺めているのは元防衛大臣の松永久雄である。

 

「さすがは羽柴総理。自らの保身になど目もくれない辺り、全く肝が据わっていますな」

 

「笑ってる場合じゃありませんよ。松永さん。

 総理の仰ることはもっともですが、本当にこれで政権が倒れることになったらどうするんですか?」

 

 なおもうろたえる閣僚の一人に、松永はにやりと笑って言った。

 

「確かに、責任から決して逃げない総理の態度はご立派とはいえ、

 後のことも考えればそう簡単に潔く皆で腹を切るというわけにも行きませんからな。

 仕方がない。ここはこの私が一肌脱ぐとしますか。

 総理のため、党のため、そして天下国家のために……フフフ……」