第5話『覚醒(後編)』

 

「グォォォ…!」

 

 突如として野球選手の一人が変身したオウルレギウスはマウンドの上に立つと、両手を大きく広げ、左右の掌から黒い煙を噴き出した。

 

「うっ……!?」

 

「うわぁぁっ……!」

 

 それは、人間の神経を麻痺させる有毒ガスであった。噴射された黒煙はすり鉢状の野球場のフィールド内に渦を巻き、そこにいた選手たちを次々と呑み込んでゆく。

 

「ううっ……」

 

 放出され続ける煙はフィールド全体を覆い、各自の守備位置に散っていた小谷工業高校のナインや、ベンチにいた安土江星高校のメンバーを逃げる暇もなく昏倒させる。バッターボックスに立っていた俊一も真っ先に毒ガスを浴び、持っていたバットを落としてその場に突っ伏してしまった。

 

「俊一! 俊一っ!」

 

 応援に来ていた観客席の生徒たちも悲鳴を上げて逃げ出そうとする中、千秋は避難するのも忘れ、毒ガスの渦に呑まれた俊一に向かって叫ぶ。

 

「早く逃げろ! こっちまで煙が来るぞ!」

 

 誰かからそんな声をかけられても、パニック状態の千秋には聞こえていない。オウルレギウスは無慈悲に掌から毒ガスを噴射し続け、フィールド上に充満した黒煙は間もなく彼女のいるレフトスタンドへも届こうとしていた。……その時である。

 

「……?」

 

 煙の中。俊一が倒れていたバッターボックスの付近で、赤い炎のような光が眩しく輝いている。驚いた千秋はスタンドの柵から身を乗り出しながら目を凝らしてフィールドを見つめた。


「俺は……」

 

 毒ガスを吸い込んで猛烈な痺れと息苦しさを感じた時、俊一は自分もこれで死んでしまうのだと覚悟した。だが、苦痛で意識が遠のきそうになったのはほんの一瞬。数秒後には、彼は眩しい赤色の光に包まれながら、立ち込める毒ガスの濃霧の中で平然と立ち上がっていたのだ。

 

「何だ、この光は……?」

 

 まるで体内から燃え上がっているかのような赤色の光は、俊一の全身を徐々に異形の何かへと変貌させてゆく。そして気づいた時には、俊一は鬣の生えた獅子のような仮面をつけた、真っ赤なライオン型の超戦士の姿となっていたのである!

 

「き、貴様……! まさかレギウスだったのか!」

 

 黒い霧の向こうで、オウルレギウスの影がそう叫びながらたじろぐ。自分が何者なのかということを、言われてようやく俊一は悟った。

 

「まさか……俺は……」

 

 死の危険を感じると、人体の防衛反応としてレギウスの因子が目覚める可能性が高い。以前、ニュース番組に出ていた専門家はそう説明していなかっただろうか。

 信じられないような話だが、理屈を呑み込むだけならばさして時間はかからなかった。レギウスの因子を持っていた俊一は毒ガスによる生命の危機に直面し、身を守るためにレギウスに覚醒したのだ。

 

「し……死ねッ! 殺してやる!」

 

「っ……!」

 

 畏怖の念に駆られて冷静さを失ったのか、声を上擦らせて叫びながら襲いかかってきたオウルレギウスのパンチを、ライオンレギウスと化した俊一は右腕で受け止めた。

 

「つぁッ!!」

 

 長く鋭い爪の生えた左手で、ライオンレギウスはオウルレギウスの胸を斬りつけて反撃した。オウルレギウスは胸から火花を散らし、怯んで数歩後退する。

 

「この力は……」

 

 反射的に繰り出した一撃は、オウルレギウスに決して小さくないダメージを与える威力があった。自分の強さに戸惑う俊一だったが、オウルレギウスは激昂し、わなわなと身を震わせながら猛烈な殺意をこちらに向けてくる。

 

「こ……この球場の人間を全滅させるのが俺の使命なんだ!悪いが、お前にはここで死んでもらうぞ!」

 

 絶叫しながら突進してきたオウルレギウスのタックルを、ライオンレギウスは素早く身を捻ってかわした。普段の俊一ならできないはずの芸当で、身体能力が飛躍的に向上している。

 

「そうは、させない……!」

 

 まだ思考や実感が全く状況について行っていない中ではあるが、今ここで自分がやるべきことだけははっきりしていると俊一は思った。偶然にも手に入れることになったレギウスの力を使って、目の前にいる大量殺戮を企むこの凶悪な怪人と戦うんだということである。

 

「来いっ!」

 

 黒煙を片手で払いのけたライオンレギウスはファイティングポーズを取り、襲いかかってくるオウルレギウスを敢然と迎え撃った。


「な……何が起きてるの?」

 

 観客たちが逃げ出した後、スタンドにただ一人残っていた千秋は濃霧に覆われたフィールドを見つめる。二つの異形の影が、黒煙の中で火花を散らしながら戦いを繰り広げていた。

 

「ウォォッ!!」

 

 獅子の仮面をつけ、赤色の装甲を全身に纏った獣人のような戦士が、オウルレギウスと激しく格闘している。濛々と立ち込める毒ガスを物ともせず、ライオンレギウスは両手の鋭い爪で敵を続けざまに斬りつけ、オウルレギウスの装甲に次々と裂傷を作っていた。

 

「まさか……俊一?」

 

 バッターボックスの上でぶつかり合う二体のレギウス。両者の動きが巻き起こした風が周囲の毒ガスを吹き払ったが、そこに倒れていたはずの俊一の姿はなかった。

 

「俊一が……レギウス……!?」

 

 強烈なパンチを受けてマウンドまで殴り飛ばされたオウルレギウスは、指先から黄色く光るビームを発射してライオンレギウスを狙った。だがライオンレギウスは同じように手から赤い炎のような光弾を放ち、オウルレギウスが撃った光線に正面からぶつけて対消滅させる。

 

「そんな……嘘でしょ…!」

 

 千秋の驚愕をよそに、黒煙の中での戦いはライオンレギウスの一方的な優勢で進んでいた。鉄拳を叩き込み、オウルレギウスをマウンドの上に殴り倒したライオンレギウスは、先ほどのように片手をかざして掌に赤い光弾を生成する。

 

「あっ……!」

 

 止めを刺すのか。そう思った刹那、体が痺れるような感覚がして千秋はその場に倒れ込んだ。戦いに夢中になる余り、観客席まで流れてきた毒ガスに気づかずに吸い込んでしまったのだ。大きな爆発音が球場に響くのを聞きながら、千秋は意識を失った……。