第4話『覚醒(前編)』

 

 ある日の放課後。琵琶湖のほとりに広いキャンパスを構える安土江星高校のグラウンドで、俊一は所属しているサッカー部の練習に汗を流していた。

 

「お疲れ様で~す!」

 

 練習を終えてユニフォームから着替える俊一。自由で開明的な校風の江星高校は制服の着用義務があるのは式典などの時のみで、普段は私服での通学が認められているため、俊一が着たのは制服ではなくカジュアルな赤いYシャツと白の長ズボンである。

 

「えっ、野球部の試合に出てくれって?」

 

 練習後、クラスメイトで野球部員の石崎悠也に声をかけられた俊一は、友人である彼から思わぬ頼み事をされて驚く。

 

「ああ。実はうちの部で今、インフルエンザが大流行しちゃってさ。部員が一気に10人も倒れて、メンバーが足りなくて困ってるんだ」

 

「この大事な時に、そりゃご愁傷様だな。最近流行ってるみたいだからな~」

 

 江星高校の野球部は部員が18人しかいないため、病気というやむを得ない理由とはいえ一度に10人の離脱は痛すぎる。今度の週末には県大会の一回戦があるのだが、野球は選手が最低9人いなければフォーフィッテッドゲーム(没収試合)となり、戦わずして負けということになってしまう。

 

「だから最低、あと1人はいてくれないと困るんだ。お前さ、昔は結構な野球少年だったって言ってたろ。その腕を見込んで、病欠になった奴らの代役を頼みたいんだよ」

 

「いや、まあ確かに、中学に入った時に部活を野球かサッカーかで迷ったくらいには野球は得意だったけどな」

 

 運動神経抜群の俊一は他のスポーツをさせてもそれなりに器用にこなせるし、バットでボールを打つ快感がたまらなくて、昔は大の野球好きだったのも事実である。だが今では完全にサッカーの道を選んでおり、野球選手としての腕は既に錆びついてしまったと言っていい。しかしそれでも、困っている友達を放っておくのはやはり俊一としては忍びなかった。

 

「分かったよ。しょうがないな。でも野球なんてしばらくやってないから、プレーの出来は全く保証できないぞ」

 

「いや、出てくれるだけでも十分ありがたいよ。サンキューな。他にも何人か運動部の知り合いに声かけてるところだから、何とかして最低限の人数は集めてみせる」

 

「でもさ、相手って結構強いところなんだろ? そんなどうにか数だけは揃えたようなメンツで大丈夫なのかよ」

 

「さ、さあ……それは知らん」

 

 江星高校が一回戦で対戦するのは、甲子園の出場経験もある強豪・小谷工業高校。俊一のような専門外の穴埋め要員でも通用するレベルの相手ではなさそうだが、とにかく不戦敗よりは曲がりなりにでも試合をした方がマシである。俊一は渋々、野球部の助っ人の役目を引き受けることにした。


「頑張れ俊一! かっ飛ばせ~!」

 

 こうして、野球部の試合に急遽ベンチ入りすることになった俊一。スタンドには千秋が他の生徒らと共に応援に来てくれたものの、試合は予想通り非常に厳しい展開となった。

 

「あーあ、こりゃきついな」

 

 他の部から代役をかき集めて何とか規定の人数の出場選手を確保した安土江星高校だったが、そんな付け焼刃のスカッドで勝ててしまうほど高校野球の世界は甘くない。県内屈指の打撃力と評される小谷工業高校の猛打を浴び、主力を欠く江星高校は1回でいきなり3失点。2回にもまた3点、ピッチャーを交代して修正を図った3回と4回にも2点ずつを奪われ、前半戦だけで早くも0-10と無惨なまでの大差をつけられてしまった。

 

「ここで俺かよ。参ったな…」

 

 絶体絶命の5回表、ツーアウトというところでいよいよ俊一の打順が回ってきた。高校野球のルールでは5回終了の時点で10点差以上開いていればコールドゲームとなるため、ここで俊一が1点でも取れなければアウトになった瞬間に江星高校の負けが決まってしまう。

 

「ま、試合に出てくれただけでもこっちとしては大感謝なんだ。プレッシャー感じる必要なんて全然ないから、気負わずのびのびとやってくれ」

 

「ああ。そうさせてもらうわ」

 

 悠也に気遣いの声をかけて送り出され、俊一がバッターボックスに立つ。対する小谷工業高校のピッチャーはエースの西島宏。1年生の控え投手くらいなら上手くやれば討ち取れる自信もなくはなかった俊一だが、プロの球団からも注目されているという全国クラスの逸材が相手ではさすがに分が悪い。

 

「イチかバチか、思い切って勝負するしかなさそうだな」

 

 自分如きがあれこれ策を弄しても、どうにかなるような相手ではない。豪速球であっさりとツーストライクを取られた俊一は、余計な小細工を捨てて無心で挑むことにした。

 

「俊一、ファイト~!」

 

 観客席の最前列で応援の声を張り上げる千秋。素人のバッターと見ての油断ゆえか、西島が投げた3球目のストレートはわずかにコースが甘くなる。

 

「もらったっ!」

 

 猛スピードで飛んできた球を、遂に俊一のバットが捉えた。甲高い快音と共に、ボールは空高く打ち上がる。

 

「あぁ……ダメか」

 

 あわやホームランかと思われた打球は逆風を受けて空中で失速し、残念ながらスタンドには届かずに落下する。センターを守る小谷工業高校の外野手・寺井慎之介が、グローブを嵌めた片手を掲げて落下地点で待ち構えた。

 

「ジ・エンドだな」

 

 捕球ミスというラッキーなアクシデントが起こってもくれず、落ちてきたボールが正確にキャッチされてバッターアウト。スリーアウトで5回が終了し、江星高校のコールド負けがこれで決まった。
 だが、ボールを取ったこの外野手に球場の全ての視線が集中したその時、恐るべき怪現象が起こったのである。

 

「グォォォ…!」

 

 それは、俊一たちが数日前に安土城で見たのと同じ光景だった。白球を握った手を天に突き上げたまま、野獣のような咆哮を発した彼の体が淀んだ黒い光に包まれ、まるでフクロウを擬人化したようなおぞましい怪物の姿に変貌したのだ。

 

「て、寺井!?」

 

「怪物だ!」

 

 各自の守備位置についていた小谷工業高校の選手たちが、突如として異形のモンスターと化したチームメイトに驚愕する。バッターボックスに立つ俊一も唖然とする中、フクロウの怪人は手に持っていたボールを凄まじい握力で握り潰し、足元に投げ捨てた。

 

「もしかして、またレギウス!?」

 

 先日のマンティスレギウスと同種の怪物の出現に、スタンドで応援していた千秋も驚いて顔を引きつらせる。

 

「グォォォォッ!!」

 

 フクロウの怪人――オウルレギウスは凶暴な雄叫びを発して周囲を威嚇しながら歩き出し、外野から俊一がいるバッターボックスの方へと向かってきた。

 

「俊一、逃げて!」

 

「くっ……!」

 

 非常事態の発生で球場が騒然となる中、俊一に迫ってくるオウルレギウス。果たしてどうなるのであろうか…!?