第47話『神に造られし聖具獣(前編)』

 

およそ千年前――異世界アレスティナ

 

「完成じゃ」

 

洞窟の奥に築かれた秘密の研究所。

暗がりの中で、魔術師アビメレクは嘆声を上げた。

 

「神の使徒であるにも関わらず、己らが生み出された本来の目的を忘れ、

 勝手気ままにこの世界を闊歩しておるレギウスども……。

 そんな不逞の輩を退治するための聖なる武器が、ようやく完成したわい」

 

黒魔術に精通したこの老人が造り上げたのは、ドラゴンやペガサス、

グリフォンやシーザーといった様々な幻獣の形をした魔道具であった。

人間の肩に乗る小鳥ほどの大きさの、貴金属で造られたそのカラクリ人形たちは、

今やアレスティナ人たちの脅威となっているレギウスに対抗するために生まれてきた神秘のメカである。

 

「よくやった。老師アビメレクよ。

 このアレスティナの各地で猛威を振るっているあの怪人どもをこれで駆除できる。

 偉大なる唯一神ウェスパもさぞお喜びであろう」

 

紫色のフードを被った男が、そう言ってアビメレクをねぎらった。

その顔はフードの奥に隠れていて、暗い洞窟の中ではよく見えない。

 

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神話によれば、レギウスとははるか神代の昔、

ウェスパという神が自らに仕える騎士とするために力を授けた超人たちの子孫なのだという。

だが現在、世界中に繁殖したレギウスは自分たちを生み出した神を崇めるのも忘れ、

神の意志を具現するために与えられたはずの巨大な力を己の思うままに用いている。

この背信を憂いたウェスパ神から啓示を受けたアビメレクは、

そんな不忠の賊徒と化したレギウスたちを討つための武器を開発したのである。

 

「後は、こ奴らに命を吹き込む特殊な魔法をかけるだけじゃ。

 人間の中からレギウスを討伐できる強い勇者を探し出し、

 その者を使命へと導きながら共に戦うのがこ奴らの役目となる」

 

「言っておくが、あまり複雑に物を考えるような知性や感情は不要だぞ。

 強い自我を持てば、いずれレギウスのように神に従わなくなる者が出てくる。

 我らの神であるウェスパに忠誠を尽くす絶対服従の本能と、

 適格者を選んで共にレギウスと戦う任務を果たせる機能だけがあればよい」

 

「分かっておる。こ奴らは所詮、道具に過ぎんよ。

 この世を再び神が支配する楽園に変える、そのためのな」

 

呪文と共に魔石から神秘的なエネルギーが注がれ、

ミスリル製の無機質なカラクリ人形たちに命が吹き込まれてゆく。

生命の萌芽を促す魔力を最大限にまで注入すれば、

物質を人間並みに高度な心を持つ人工生物に変えることすらも可能である。

だがフードを被った男の言うように、今回はそこまでは必要なく、

与えられた目的に沿って動く単純な自律プログラムだけが宿れば十分なはずだった。ところが……

 

「ど、どうしたことだ! 魔石が暴走しておる! 

 魔力の放出が止まらん!」

 

「何をしている! 早く魔石を止めろ!」

 

ここで想定外の事故が発生した。

突如、魔石が制御不能に陥り、エネルギーの放射が止まらなくなってしまったのである。

進化を引き起こす魔力がカラクリ人形たちに際限なく浴びせられ、

あふれんばかりの生気がその内部に流れ込んでくる。

 

「グォォォォ……!」

 

「キォォォォ……!」

 

「まずいぞ。このままでは人形どもが……!」

 

命が芽生えたカラクリ人形たちが動き出し、咆哮を発する。

大量の魔力を浴びて命と心を急速に成長させた彼らは、

やがて思い思いに鳴き声を上げながら研究所の中を歩き回り始めた。

 

「封印を! すぐに封印するのだ。アビメレク!」

 

「ダメです! 間に合いません! うわぁぁぁっ!!」

 

アビメレクが叫んだ刹那、魔石のエネルギーは更に勢いよく放射され、

巻き起こった大爆発が研究所を周囲の洞窟ごと跡形もなく吹き飛ばした。


それから永い時が流れ――現代。

 

「働け働けえっ! 怠けている奴はこの鞭で叩きのめすぞ!」

 

トゥルジア大陸とバイアピオス大陸のちょうど中間に浮かぶヨシェル島は、

古代神ウェスパを信仰するヨシェル人たちの国である。

トゥルジア大陸の全土を統一したジェプティム王国に属国として臣従し、

以前までは信教の自由と国内の自治を広範に認められていたが、近年では状況が違っていた。

 

 

 

「もう限界です。少しだけ休ませて下さい……」

 

「このままでは熱中症で死んでしまいます。水を飲ませて下さい……」

 

「ダメだ! 役に立たない奴は首を刎ねるぞ!

 奴隷どもが偉そうに休憩など取ろうとするな!」

 

2年前、ジェプティムのファラオ(国王)・ネルカフラー16世が病のため退位し、

息子のナディセス1世が15歳の若さで後継者に即位すると、

ジェプティムは属国に対する寛容だった統治方針を一変させ、

それまで認められていた自治権の多くを剥奪。

ヨシェルも国家としての主権のほとんどを奪われて圧政下に置かれ、

民はファラオの奴隷にされて過酷な労役に駆り出されていたのである。

 

「栄光ある我らのファラオは、いずれは全世界の帝王となられる御方だ。

 偉大なるジェプティムがこのアレスティナを制覇するには、

 海を越えてバイアピオス大陸へ攻め出すための軍船が必要なのだ。

 神の化身たるファラオのために貢献できる栄誉に感謝しながら死ぬ気で働け!」

 

ヨシェル島の山に広がる森林を伐採して大量の木材を調達し、

ジェプティム軍のための船を造るのが奴隷たちの仕事だった。

鞭と剣を持ったジェプティム人の監督官に脅されながら、

斧で木を切り、それを担いで運び出し、組み立てて船を建造する作業に、

奴隷たちは休む暇もなく汗を流す。

 

「慈悲深い名君だったネルカフラー様がファラオだった頃には、

 こんなひどい扱いはなかったのになぁ……」

 

「今のファラオのナディセス陛下は戦は強いが、

 とても冷酷で恐ろしい御方だ。

 俺たちヨシェル人のことは、きっと言葉を話す家畜ぐらいにしか思っておられないだろう」

 

「国を率いる士師様がもっとしっかりして下されば少しは違うのかも知れないが、

 まだ年端も行かないお子様だしなぁ……。

 神様がお選びになった聖なる英雄を批判する気なんて毛頭ないけど、

 どうしてあんな少年に神託が下ったのか未だに分からん」

 

「ああ、何でこんな悲惨な世の中になってしまったんだ。

 神様はもうヨシェルを見放してしまわれたのかなぁ……」

 

ヨシェル人は神ウェスパに選ばれた特別な民族(=選民)であり、

神はいつか必ず地上に降臨してヨシェル人を苦難から救い出して下さる。

大昔から伝わるそんな信仰だけを心の支えにして、

奴隷たちは歯を食い縛って厳しい賦役に耐え続けるのであった。

 

「可哀想だなぁ……。

 人間って、どうして同じ人間に対してこんなに残酷な人が多いんだろうな」

 

炎天下で重労働に従事させられている奴隷たちの様子を、

空の上からじっと見つめている一匹の小さな竜がいた。

貴金属でできた美しい赤色の体を太陽の光に輝かせながら、

ドラゴンはヨシェルの人々に同情するように目を細めてグルグルと鳴いた。


「どうか、セレネナのご助力をお願いします」

 

「………」

 

その頃、セレネナ貴族共和制連邦の構成国の一つ、

クレッセン公国の国主であるシュティルナ・ハールシェン公爵は、

連邦からの密使としてヨシェルを密かに訪れ、

国の統治者であるエルウェイ・リアンと宮殿の一室で面会していた。

 

「我がヨシェルは長年ジェプティムの属国として仕えてきましたが、

 今のファラオに代替わりしてからというもの、

 ジェプティムによる圧政は日に日に厳しさを増すばかりです。

 過酷な重税と奴隷労働を課され、我が国の民はとても苦しんでいます」

 

「………」

 

ヨシェル島を領土とするヨシェル士師国は、士師(しし)と呼ばれる、

神託によって選ばれた聖者を元首に戴く宗教色の強い国家である。

他国の王や皇帝のように世襲制ではなく、

貴賤を問わずあらゆる身分の中から最も相応しい人物を神が見出して指導者に任命するという、

人選方法にかけては人智を超えた完璧な制度である――と、信じられてはいるのだが、

このかつてない苦難の時代に神が選んだ士師はどういうわけか、

民族の救世主となるにはあまりに若すぎる少年であった。

 

「精鋭のセレネナ軍と力を合わせれば、

 きっとジェプティムをこの国から追い出すことができるはずです。

 事成った暁には、僕らを救って下さったお礼は何でもします。

 万一の時には兵を送って我がヨシェルを支援していただけるよう、

 何とぞお願い致します……!」

 

「………」

 

ジェプティムの圧政に耐えかねているヨシェル人たちはもはや反乱もやむなしと考えており、

もし決起に至った際にはセレネナからも援軍を送るという密約を結んでほしい――

懇願するようにそう申し入れてきたエルウェイの顔をじっと見つめて、

シュティルナは彼の器量を素早く推し測ろうとした。

 

「(一人の少年としてならば、間違いなく神に喜ばれる善人なのでしょうけれど……。

 一国の主としては頼りないと言わざるを得ないわね。

 まして将帥として戦場に立つ姿なんてとても想像できないわ)」

 

顔立ちの整った可愛らしい美少年で、人柄も優しく温厚そうではあるが、

エルウェイはまだ12歳。いくら何でも子供すぎる。

将来的な素質はともかく、少なくとも現時点では、

民族を率いて大国ジェプティムと渡り合えるような英傑にはとても見えない。

 

「ご事情はよく分かりました。

 国に帰って諸侯に仔細をしかと報告し、連邦議会にて対応策を協議します。

 直ちに兵を送るのは難しいかと思いますが、

 長年の友好国である貴国を救うため可能な限りの善処はさせていただきます」

 

「……お願いします」

 

直ちに兵を送るのは難しいが善処する……。

結論は連邦議会での今後の協議次第とはいえ、

シュティルナが体よく要請を断ろうとしているのはエルウェイにもよく分かった。

藁をも掴む思いで密使を呼んでの相談だったが、

やはりセレネナ側から色よい反応は得られなかったのである。

 

「それと一つ、確認しておきたいのですけれど……。

 ジェプティムに対する戦というのは、

 本当に士師であるあなたご自身のご意志なのかしら?」

 

「そ、それは……」

 

シュティルナの指摘は厳しく、鋭かった。

反乱への軍事支援という一大事を持ちかけてきたエルウェイだが、

この12歳の少年が民族の窮状に耐えかねて自ら戦いを決意したわけではなく、

不満が鬱積して既に暴発寸前になっている周囲の声に押されて、

やむなく戦う方向に動かされてしまっているだけではないのか。

主軸となるヨシェルの総大将がそんな曖昧な覚悟しかない状態では、

セレネナとしても彼らと運命を共にすることになる共闘は考えものである。

 

「あなたはまだ年齢的にも難しいでしょうけれど、

 ただ周りの意見に流されているだけでは君主は務まらないわ。

 焦る気持ちも分かりますが、ご自身の責任において国をどう導くべきか、

 落ち着いてじっくりとお考えになった方がよいでしょう。

 それが結局は、あれこれと意見を言ってくる家臣や民たちのためにもなるはずです」

 

「はい。お言葉、肝に銘じます……」

 

エルウェイはがっくりと肩を落とした。

勇気を出して臨んだセレネナとの交渉は不調に終わり、

ただ自分の至らなさを痛感させられるだけの結果となったのである。


「随分と冷たいんじゃないの? シュティルナ」

 

士師との会談を終え、外の吹き抜けの広間に出たシュティルナを、

明るく勝気そうな若い女性の声が呼び止めた。

 

「なぜあなたがこの国に来ているのかしら? キャンヴェリオン卿」

 

リーネ・キャンヴェリオン。

シュティルナと同じく弱冠18歳で公爵位を持つセレネナ貴族の一人で、

連邦構成国の一つであるフリュージア公国の国主を務めている。

 

「連邦議会が選んだ正式な使者はこの私のはずよ。キャンヴェリオン卿。

 私を無視して、この国と勝手に交渉を進められたりしては困るわね」

 

「今のヨシェルの状況は、私も自分の目でしっかり見ておきたいと思ってね。

 ただのお忍びの視察よ。国使を差し置いての交渉なんてとんでもない。

 それくらい分かってるわよね。エギル♪」

 

「グゥゥ~!」

 

リーネの肩には、赤い機械仕掛けの小さなファフニールが乗っている。

主人であるリーネに話しかけられると、エギルと呼ばれた竜は頷くように鳴き、

斧のような刃がついた尻尾を可愛らしく左右に振った。

 

「相変わらずあざとい甘え方ね。犬みたい」

 

シュティルナの肩に飛び乗り、そう言ってエギルを冷笑したのは、

同じく貴金属で造られた青い小型のペガサスである。

尻尾は銃のようになっており、途中で折れ曲がった銃身が、

まるで標的を探すかのようにゆっくりと左右に揺れ動いている。

 

「そういうお前はいつもながら可愛げないよな。

 お高く止まってて、まるで猫みたいだ」

 

「何ですって?」

 

「何だよ!」

 

「やめなさいって、エギル」

 

「ソロンも、静かにしなさい」

 

ソロンと呼ばれたペガサスは雌で、雄のエギルとは性格が合わず、

主人同士の仲が悪いこともあってよく喧嘩している。

リーネとシュティルナに叱られて、二匹の幻獣は不満げに押し黙った。

 

「状況を見るためと仰るけれど、

 現地の実情を調査して議会に報告するのも使者に任された役目だわ。

 そんなに私が信用ならないかしら?」

 

「何かと及び腰なあなたのことだから、

 どうせ消極的なことしか報告しないでしょ?

 私にしてみれば行けそうな突破口がある状況でも、

 危険だからやめましょうとあなたは言うはずよ」

 

「あなたのような迂闊な人を使者に選ばなかった大統領は実に賢明だったわ。

 あなたならどんな危険があっても気にも留めずに、

 戦えばきっと勝てます、戦いましょうと軽率に諸侯を煽るでしょうからね」

 

リーネとシュティルナは、セレネナを代表する同い年の若い有力貴族にして、

その性格や政治方針は水と油、事あるごとに火花を散らしている犬猿の仲である。

ここ百年足らずで台頭してきた新興のキャンヴェリオン家は連邦内の革新派の旗手であり、

逆に建国当初から国政の中心を担ってきたハールシェン家は伝統ある保守派の盟主であった。

 

「あなたも分かっているはずよ。シュティルナ。

 このままジェプティムの野心を放置しておけば、

 やがては私たちのバイアピオス大陸が彼らの標的になる。

 その時には、属国としてジェプティムに仕えているヨシェル人たちが、

 彼らの尖兵となって私たちの国に攻めて来るのよ。

 現に今、ヨシェルの奴隷たちが造らされているのは私たちを攻めるための軍船でしょ?

 だったら、ここで多少の犠牲を払ってでも、

 ヨシェル人たちの決起を応援してジェプティムの出鼻を挫いておくのが得策じゃないの?」

 

「無茶だわ。多少の犠牲程度では済まないでしょう。

 武力が脆弱なこの小国を防波堤にしてジェプティムの大軍を喰い止めるとなると、

 どれだけの血を我がセレネナの兵が流さなければならないことか」

 

「私なら、あのナディセスとかいうファラオが出陣してきたところを、

 奇襲で討ち取って一撃ね」

 

「冗談を言っている場合じゃないでしょう。

 そんなに簡単に行けば誰も苦労はしないわ」

 

自信満々のリーネの軽口を、シュティルナは笑いもせずに一蹴した。

どうやらヨシェル問題を巡る対応については、

またもこの二人の政治的対立の火種となりそうな気配である。

 

「いずれにしても、これは私たち二人だけで決める事柄ではないわ。

 続きはヘルメシュタの連邦議会でやりましょう。

 きっと多くの諸侯はあなたのような過激な意見には反対だと思うけど。

 行きましょう、ソロン」

 

「ええ。シュティルナお嬢様」

 

シュティルナが立ち去り、ソロンも翼で羽ばたきながらそれについて行く。

振り向きざまにソロンが小馬鹿にしたようにフッと笑うと、

エギルは対抗するようにペロリと舌を出した。

 

「相変わらず嫌味なところあるよね。シュティルナさん。

 こんなに可哀想な人たちなんだから親切に助けてあげればいいのに」

 

「国と国との付き合いってのはそう単純なものでもないのよ。エギル。

 まして戦争ともなると、どうしてもね……。

 シュティルナの言うことも分からなくはないけど、

 ヨシェルの内部にも戦おうっていう声がある以上、

 もうちょっと積極的にこっちから手を打ってもいいんじゃないかと思うけどね」

 

軍事大国ジェプティムとの戦争となるとセレネナにとっても大難題であることは、

無論リーネもよく承知している。

だが、いずれジェプティムはバイアピオス大陸へも攻めて来るのだ。

今やるのか先送りにするのか、結局は時間の問題だけではないのかとリーネは思う。

 

「さてと、ちょっとエルウェイに会って話をしてこようかな。

 あんな冷たい堅物と会談したばかりじゃ気が滅入ってるでしょうから、

 少し元気づけてやらなきゃね」

 

リーネはエルウェイとは以前から交易を通じて懇意にしており、

個人的にも愛着が湧いて弟のように可愛がっている仲でもある。

シュティルナにも言った通り、国使ではない彼女が勝手に話を進めるわけには行かないが、

国と国との外交というような畏まった席ではなく友人として、

彼の率直な本音をこの機会に聞いておきたい気持ちがリーネにはあった。

 

「僕、ちょっと遊んできていいかな。

 山の向こうに綺麗な池があって珍しい魚が泳いでるのをさっき見つけたんだ」

 

「いいけど、あまり人目につかないように気をつけてよ。

 何か妙なこととか、役立ちそうな情報があったらすぐに戻ってきて報告して」

 

「分かった! じゃあね!」

 

エギルは嬉しそうに、赤い斧がついた尻尾を振りながら宮殿の外へ飛び去っていった。

相変わらず元気一杯で可愛いな、とリーネは小さく笑い、

士師への面会を求めるため近くにいた廷臣に声をかけたが、

しばらくして返ってきたのは今すぐには会えないという答えだった。

 

「士師様は今、ご家臣と極めて重要なお話をしておられます。

 誠に恐縮ですが、もう少々お待ち下さいませ」

 

「分かったわ。気にしなくて結構よ」

 

正式な国使でないとはいえ、他国の要人を待たせるほどの重要な話となると何だろうか。

リーネは少し心配になりながら、吹き抜けのある広場に佇んでしばし時間を潰すことにした。


「士師様、どうかご決断を!」

 

「………」

 

シュティルナとの会談を終えたばかりのエルウェイを待っていたのは、

ヨシェル軍のアブシャロム・ゼラク将軍からの直訴だった。

 

「これ以上、民がジェプティムの圧政に苦しむのを黙って見過ごされるおつもりか?

 セレネナが何と申そうとも、かくなる上は戦う以外に道はございませぬ。

 武器を取って立ち上がり、横暴なジェプティム人どもをこの聖なる国から追い払うのです」

 

「でも……」

 

セレネナから援軍を取りつける交渉に失敗した以上、

ジェプティムに対する武装蜂起は勝算もなく無謀と判断せざるを得ない。

そうアブシャロムに伝えたエルウェイだったが、

強硬派の急先鋒であるアブシャロムは簡単に諦めてはくれなかった。

歴戦の武将で、父親ほどの年齢でもある豪胆なアブシャロムの迫力に押されて、

エルウェイはすっかり怯んでしまっている。

 

「落ち着かれよ、アブシャロム将軍」

 

横に控えていたギデオン・サヴィア将軍が口を挟み、熱くなるアブシャロムを制止した。

エルウェイよりちょうど10歳年上のギデオンはアブシャロムよりはずっと年下だが、

ヨシェル随一の剛勇で知られる剣の名手で、エルウェイが兄のように慕っている忠臣でもある。

 

「私も、このような一大事は十分に熟慮を重ねてから決めるべきだと思う。

 貴殿のお言葉通り、ヨシェルの民は今この瞬間も苦痛にあえいでいるわけだが、

 焦って無理に戦を起こして万一にも敗れるようなことになれば、

 反逆者の烙印を押された我らの立場は更に悪化してしまうし、

 最悪の場合、ヨシェルの国や民族そのものが地上から滅ぼされる結果にもなりかねない」

 

戦場では敵無しと謳われたギデオンは生粋の武人だが、

だからと言って無闇に主戦論を振りかざして戦いたがるような浅墓な男でもない。

彼としては、とにかく士師であるエルウェイが子供ながらに頑張っているのを助けたい、

その一心で誠実に助言しているだけである。

 

「ありがとう。ギデオン」

 

忠義の発言に感謝の意を示してから、

エルウェイは再びアブシャロムの方へ向き直って言った。

 

「僕は僕なりに、この問題を解決するために一生懸命に考えている。

 もう少しだけ時間をくれないか。アブシャロム将軍」

 

「承知しました。致し方ありませんな……」

 

血気に逸るアブシャロムを何とか引き下がらせたものの、

実際にはどうしたらいいのかエルウェイには分からないのが正直なところだった。

強大なジェプティムに戦争を挑むというのはやはり危険すぎるとは思うが、

ではそれ以外にこの難局を乗り越えられる良い方法があるのかと問われれば、

現状エルウェイには何も答えようがない。

 

「ギデオン、僕はどうして神様に選ばれたのかな……?

 この国を守るなんていう大変な使命が、僕に果たせるとはとても思えない」

 

「偉大な神の御心は、我々人間よりも遥かに高い次元にありますから、

 私のようなちっぽけな武辺者が推し測れるものではございません。

 ただ一つ言えるのは、至高の神であられるウェスパは全能にして無謬であり、

 エルウェイ様をこの国の指導者に選ばれたそのご判断も、

 決して誤りなどではないはずだということです」

 

すっかり自信をなくしてしまっているエルウェイに、

ギデオンは励ますように言った。

 

「そうだね。自分にはとても無理だと思えるような使命でも、

 神様が僕にお与えになったものならば、

 始めから不可能だなんてことは絶対にない。

 そう信じて、何とか頑張っていくしかないよね」

 

「お一人だけで、孤独な戦いをせねばならぬなどとは思いなされますな。

 私は士師にお仕えする騎士として、これからも全力を尽くし、

 エルウェイ様のために精一杯励ませていただきます」

 

「ありがとう。ギデオンといいアブシャロムといい、

 僕は良い家臣たちには恵まれているんだ。

 そのことはいつも忘れないようにしないとね」

 

とにかく神を信じ、家臣たちを信じて努力を続けていくしかない。

エルウェイは顔を上げ、自分にそう言い聞かせて前を向いた。


だが……。

渋々納得したような素振りでエルウェイの前を去ったアブシャロムはその頃、

配下の兵たちを集めて密かに動き出そうとしていたのである。

 

「もはやこれまでだ。

 あのような未熟な子供に国を導くことなどできはせん!

 このわしが立ち上がらねば、地獄のようなヨシェルの窮状はいつまで経っても変わらぬ!」

 

「し、しかし将軍……! 

 いくらエルウェイ様がご年少とはいえ、士師とはウェスパの神が選ばれた聖者。

 神が任ぜられた聖なる英雄を人間の考えで廃したりすれば、

 恐ろしい天罰が下るのではありませぬか?」

 

「分からぬのか。神の御心は既に士師になど宿っておらん!

 今の士師は神ではなく、祭司どもが勝手に選んだイカサマだ。

 考えてもみよ。本当に神がお選びになったのならば、

 この苦難の時代に、あんな無能で弱々しい子供が国主になるはずがあるか?」

 

エルウェイの器量に見切りをつけたアブシャロムは、

もはや現行の士師という国制には神の加護はないと判断し、

自らの力でヨシェルを救うべく立ち上がることにしたのである。

有力軍人のアブシャロムによる軍事クーデターであった。

 

「されど、ジェプティムは今や世界を制さんばかりの勢い盛んな強国。

 セレネナからの援軍も得られそうにない現状で乱を起こしたところで、

 果たして我らに勝ち目がありましょうや」

 

「セレネナからの支援については、わしが改めて独自に交渉して取りつける。

 あの惰弱な少年には思いもよらぬ方法で、

 外交の手本というものを見せてやるわ。

 それに、人智を超えた奇跡ならばわしの身にも起きているのだ。

 これこそ神ウェスパの思し召し。

 わしに立ち上がれと告げる神の啓示というものだろう」

 

「ま、まさか……!」

 

「見るがいい。実体を失った士師に代わってこの国を救うのは、

 古代から受け継がれた神の騎士の力だ!!」

 

アブシャロムが全身に力を込めると、彼は炎のようなどす黒い魔力に包まれ、

頭に角の生えた凶暴なウサギのような怪人に変貌した。

レギウス。その中でも特に強力な幻生種のアルミラージレギウスである。

 

「レギウスの力さえあれば、ジェプティムの大軍とて恐れるに足りず!

 このわしが士師に代わって国政を代行し、ジェプティムとの戦いの指揮を執る。

 肝心の獲物が逃げてしまってからでは遅いのだ。

 この宮殿にいるセレネナのキャンヴェリオン公爵を直ちに捕らえろ!」


「それにしても、あの歳で一国を背負って立てなんて、

 ウェスパっていう神様も随分と過酷な試練を課すものよね。

 エルウェイは純粋でいい子だから、少しでも力になってあげたいところだけど……」

 

独り言を呟きながら吹き抜けの広場でエルウェイとの面談を待っていたリーネ。

その時、武装した十人ほどの兵士たちが広場に乗り込んできたかと思うと、

剣や槍を構えながらリーネを物々しく取り囲んだ。

 

「フリュージア公国のキャンヴェリオン公爵だな?」

 

「だったら何だと言うのかしら?」

 

リーネは怯むことなく立ち上がり、兵士たちを睨み返した。

ヨシェル軍の兵であるからには彼らはエルウェイの配下のはずだが、

エルウェイが自分に何か手出しをしろと命令したなどとは考えにくい。

これは何か異常事態が起きているとリーネはすぐに悟った。

 

「実は貴公にご相談がありましてな。

 ジェプティムに対する反乱への援兵をお願いしたく参上つかまつった」

 

「その件は言われなくても賛成してあげたいところだけど、

 あまり無礼な態度で頼まれると首を横に振りたくなるわね。

 そもそも、私をこんな風に脅して意見を強制したところで、

 共和制の連邦国家であるセレネナは私の一存だけでは動かない。

 それくらいは理解してるでしょ?」

 

「無論のこと。ゆえに策を一つ考えましてな。

 貴公には縄についていただきたい。――捕らえろ!」

 

「っ!」

 

兵士たちは一斉にリーネに襲いかかったが、

リーネはセレネナの名だたる貴族の中でも随一の武勇を誇る女戦士である。

飛びかかってきた兵士の一人に華麗なハイキックを見舞い、

持っていた剣を弾き飛ばしてみせたリーネは、

次の瞬間には腰から抜いた長剣を一閃し、

二人目の兵士が突き立ててきた槍の穂先を斬り落とした。

 

「見事なものだな。小娘よ。

 だがいかなる勇者であろうとレギウスの力には敵うまい」

 

「レギウス……!」

 

兵士たちの後ろから姿を見せたアルミラージレギウスに、

さしものリーネも息を呑んで後ずさる。

 

「フフフ、死の恐怖に怯える必要はないぞ。殺しはせん。

 貴様には大事な外交の手札になってもらいたいのでな」

 

アルミラージレギウスは口から緑色の煙を噴き出してリーネに浴びせかけた。

強烈な眠気を引き起こす麻酔ガスである。

 

「うぅっ……こ……こんなもの……っ……」

 

抵抗空しく眠りに落ち、意識を失って床に倒れ込んでしまったリーネの首を、

アルミラージレギウスは乱暴に掴んで持ち上げながら不敵に哂った。

 

「これで、セレネナを戦争に引きずり込めるぞ!」