第54話『安土城占拠事件・番外編①』

 

*画像は、エレクトロニック・アーツのPCゲーム『ザ・シムズ3』のスクリーンショットを使用しております。


時間は少し遡り――人質の全員解放という驚きの決定が下される少し前のこと。

ダニール・ナザロポフ大佐が率いるゼルバベルの軍団が占拠した安土城では、

人質にされた大勢の観光客たちが城内に閉じ込められ、

いくつかのグループに分けられて別々の部屋に監禁されていた。

 

「あ……暑い……喉が渇いた」

 

「こんな狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めにされたんじゃ、

 熱が籠もってたまらんな。熱中症になりそうだ……」

 

よく晴れたこの日、安土城の中も気温がかなり上がっており、

数十人の人間をまとめて小部屋に押し込めたせいで発生する熱気も手伝って、

天主の3階にある茶道具などの展示室に監禁された人質たちは蒸し暑さにうだっていた。

そこへ機関銃を提げたチャン・クネ少佐が現れ、高圧的な口調で意外なことを告げる。

 

「大事な人質である皆さんが暑さで倒れるのは、我々の望むところではありません。

 今から飲み物を提供します。ナザロポフ大佐の慈悲に感謝して一人ずつ順番に受け取りなさい」

 

全部で20人ほどいるその部屋の人質たち一人一人に、紙コップに入った冷たいジュースが配られる。

まるでワインのような不思議な色の液体は甘く飲みやすい味で、

当然ながらアルコールが入っている様子もない。

暑苦しさに参っていた人質たちは戸惑いながらも与えられた飲み物を喜んで口にした。

 

「ちゃんと水分補給をさせてくれるなんて、

 思ってたほど劣悪な扱いはされないみたいで良かったな」

 

「でも、すぐに解放するつもりなら人質の体調管理なんて気にしないでしょうし、

 わざわざ飲食の用意をしてくれるってことは、

 ゼルバベル側もそれなりの長期戦になるのを考えてるってことじゃないですか?」

 

「つまり、あと何日もここに閉じ込められたままってこともあり得るのか……」

 

不安げにそんな会話をする人質たちだったが、拘束が長引くという悲観的な予想はすぐに外れた。

長期戦どころか、彼らはそのわずか一時間後には全員解放されることが決まったのである。

ただし条件は、内閣総理大臣・羽柴藤晴がたった一人で人質を迎えに安土城へ来ること……

 

「総理、私たちを助けに来てくれるかしら?」

 

「あの羽柴首相なら、きっと来てくれますよ。

 国民の命と暮らしが第一!って、いつも口癖のように言ってる人ですし」

 

「いや、政治家なんて、どうせ本音では自分の保身のことしか考えちゃいないさ。

 テロリストが銃を構えて待ってるところに一人で丸腰で出て行くなんて、

 国のトップが俺たちのためにそんな危ないことするわけないじゃないか」

 

例え羽柴総理が危険を厭わず大急ぎで人質を助けに来たとしても、

東京から遠く離れた安土へ到着するまでにはまだしばらく時間がある。

人質たちが飲んだ赤いジュースに含まれていた成分はその間に、

彼らの体内にじっくりと染み渡るように回っていった。

 

「う~ん、やっぱりアルコールか、カフェインでも入ってるのかな。

 酔うのとはちょっと違う感じだけど、何となく気分が高揚するというか、

 変な元気が湧いてくるというか……」

 

「フフッ、特製のエナジードリンクが効いてきたようね。

 後は手筈通りに彼らを解放すれば……」

 

まるで強壮剤を飲んだ時のような妙な覚醒作用が少しずつ人質たちに現れ始めたのを観察して、

チャン・クネはこの後の展開を楽しみにするように冷酷な笑みを浮かべた。


さて、チャン・クネが「エナジードリンク」と呼んだ、

人質たちの一部が何も知らずに飲まされた謎の液体の正体は何だったのか?

話は、この安土城占拠事件が起こる一週間前に遡る。

 

日曜日の昼下がり、街へ買い物に来た獅場楓花。

 

「どれにしようかな~」

果物屋の前でフルーツを選んでいると……

 

背後から楓花に忍び寄る怪しげな金髪の男が……

 

「さてと、あの娘なら博士がご所望のモルモットに相応しいかな」

 

ロシア系を思わせる顔立ちの、この野性味ある風貌の白人男性はセルゲイ・ベグノフ大尉。

ナザロポフ大佐の部下で、同じく旧ソ連のルガツォフ人民共和国軍コマンド部隊の出身。

残酷な凄腕のソルジャーとして西側諸国からも恐れられた屈強な軍人である。

 

「きゃっ!?」

「静かにしな。お嬢さん」

 

不意に後ろからベグノフに襲われ、睡眠薬に浸したハンカチを鼻と口に押し当てられる楓花。

必死に抵抗しようともがくが、気持ちの悪い眠気が込み上げてきて意識を失ってしまう。

 

眠らせた楓花を担ぎ上げ、路肩に停めていた車へと運び込むベグノフ。

この時、運悪く楓花が持っていたスマートフォンが上着のポケットからこぼれ、

地面に落下してしまった。

 

「……ん? 何だ?」

 

だが、不運はすぐに幸運へと転じた。

ちょうどこの時、安土の街を愛用のバイク・ヴォルフガンダーで気ままに走り回っていた黒津耕司が、

偶然、果物屋の前の道路を通りがかった際に事件現場に遭遇し、

気絶した楓花が車の後部座席に乗せられる瞬間を目撃したのである。

 

「誘拐犯か……。正義のヒーローごっこで何でもかんでも首を突っ込む気もねえが、

 やっぱ放っちゃおけねえな」

 

歩道に落ちていた楓花のスマートフォンを素早く拾った耕司は、

再びヴォルフガンダーに飛び乗って勢いよくエンジンを吹かし、

楓花を乗せて走り出した車を追跡した。