第33話『可憐なる白鷺の憂鬱』

 

「オラァッ!!」

 

「たぁっ!」

 

オルカレギウスとセンチピードレギウスが去った琵琶湖のレイクブリッジの上で、

今度はライオンレギウス対ウルフレギウスの戦いが始まった。

ウルフレギウスの手荒いパンチがライオンレギウスを殴りつけ、

ライオンレギウスも負けじとカンフーとムエタイの技で蹴り返す。

 

「そんな……! やめてよ二人とも!

 どうして二人が戦わなきゃいけないの!?」

 

困惑する千秋をよそに戦闘を続ける二人。

荒っぽい喧嘩殺法で攻めまくるウルフレギウスに対し、

ライオンレギウスは押され気味になりながらも、

訓練を積んできた格闘技の型に忠実な蹴りと突きとで反撃していく。

 

「二人とも、戦うのはやめて!」

 

千秋が叫んだ瞬間、両者が放ったストレートパンチが同時に相手に命中し、

クロスカウンターの形になって二人は互いに数メートル後ろへ吹っ飛んだ。

 

「お願い! もうやめてってば!!」

 

両者の間合いが開いたところで千秋が間に割って入り、涙目になりながら必死に制止する。

それを見たライオンレギウスが、構えていたファイティングポーズを先に崩した。

 

「やめよう。千秋は本気で心配してる」

 

「フン、しょうがねえな」

 

戦闘中止に合意したライオンレギウスとウルフレギウスは、

同時に変身を解いて俊一と耕司の姿に戻った。

もう泣き出しそうになってしまっている千秋とは対照的に、

人間の素顔を見せた二人の目には予想に反してさほど殺気立ったような鋭さはない。

 

「ごめん千秋。泣くなよ。冗談だ」

 

「ちょっとしたお遊びだっての。ぶっ殺す気なんてお互いねえから」

 

「えっ、そうなの……?」

 

笑いながら千秋の元へ歩み寄ってくる俊一と耕司。

二人ともあくまで小手調べに軽く一戦交えてみただけで、

本気で相手を倒そうというまでの意図や敵意などはなかった。

そんなことは分かるはずもない千秋がパニックを起こしてしまったので、

俊一と耕司はばつが悪そうに彼女を慰める。

 

「もうっ! 冗談で殴り合いとかやめてよね。びっくりしたじゃない」

 

「悪かったよ。ほら、男って結構ヤンチャなところあるからさ。

 女の子はこんなこと絶対しないだろうけど」

 

「野郎にはな、拳で分かり合わなきゃなんねえ時ってのもあるんだよ」

 

「バカっ……! もう全然意味分かんないわよ」

 

千秋の幼馴染だった耕司と今のボーイフレンドである俊一では、

感情がもつれて喧嘩になってしまってもおかしくはないだけに、

どうなることかと冷や汗をかいた千秋だったが、

二人の互いに対する態度は思ったより冷静なようでひと安心であった。

 

「千秋の彼氏にしちゃ、いまいち弱くて頼りねえな。

 そんなんで大丈夫なのかよ」

 

「悪かったな。まだまだ修行中なもんでね。

 悔しいけど、お前の方がかなり戦い慣れてる感じだな」

 

ライオンレギウスも稲垣家での特訓の成果を見せて善戦したものの、

今の戦いは戦闘経験で上回るウルフレギウスの方がいくらか優勢で、

まだまだ力不足を実感せざるを得ない俊一であった。

 

「取りあえず、さっきは助けてくれてありがとうな。黒津。

 それに学校でも、もしお前がいなかったら危なかった」

 

「千秋を助けただけだ。お前を守ってやる筋合いはねえな」

 

「その、余計な詮索だったら悪いんだけどさ……。

 さっきのムカデみたいな怪人のこと、仇って言ってたよな。

 もしかして、お前の家族を襲ったのはただの強盗じゃなくて、

 あのレギウスなんじゃないのか」

 

「おい千秋、こいつにあの事件のこと喋ったのかよ」

 

耕司に睨まれた千秋は、申し訳なさそうに肩をすくめた。

 

「ごめん。綾乃ちゃんのこと、前からずっと気になってたから、

 俊一にも何か助けになってもらえることがあるかも知れないと思って……」

 

「そういうの要らねえって。これは俺の戦いだ」

 

他人がこの件に関わろうとしてくるのは迷惑だ。

そうはっきりと拒絶しつつ、耕司は俊一に言った。

 

「あのムカデのレギウスは俺が倒す。手出しはするな。

 ただ、事件の犯人があいつなのかって質問にはちょっと答えられねえな」

 

「答えられない?」

 

「ま、お前らがあれこれ勝手に推測するのは自由だがよ。

 あまり好奇心が過ぎると、ややこしい厄介事にも巻き込まれちまうから気をつけろ」

 

耕司はそう言って会話を一方的に切り上げ、

停めてあったヴォルフガンダーに跨った。

 

「待てよ。そのバイクはどうしたんだ?

 こんなの、どう見ても普通のバイクじゃないだろ」

 

「さあな。お前も欲しかったら、俺の伝手で頼んでやるぜ」

 

冗談めかして煙に巻いた耕司はヘルメットを被り、

スピードメーターの下にあるボタンを押してヴォルフガンダーの装甲を内部に収納。

普通のバイクに戻すと、勢いよくエンジンを吹かしてそのまま走り去ってしまった。

 

「耕司くん……」

 

「何だかよく分からない奴だな……。

 ただの不良に見えて、実はもっと複雑な裏がありそうな感じだけど、

 それは俺たちには話しにくいことなのかな」

 

思ったほど話せない相手でもなさそうだとは感じつつも、

予想していた以上に謎めいた部分もある。

黒津耕司という男との邂逅を果たした俊一は、そんな印象を抱いたのであった。


耕司の妹・綾乃が入院している霧崎総合病院には、

オルカレギウスに襲われてケガをした人々が搬送され、

外科は運び込まれた大勢の重傷患者であふれ返っていた。

 

「田中さん、担当医の霧崎聡美です。よろしくお願いしますね。

 それでレントゲン検査の結果ですが、骨にも小さくヒビが入っておりまして……」

 

霧崎総合病院の外科医の一人、霧崎聡美は、

この病院を代表する腕利きの女医にして、院長である霧崎靖尚の妻でもある。

靖尚とは医療の仕事を通じた職場恋愛を経て3年前に結婚した。

 

「ううっ……レギウスが……! シャチのような化け物が……!」

 

「落ち着いて下さい。伊藤さん。

 もう大丈夫ですよ。怖かったでしょうね」

 

異形の怪物に襲われて危うく殺されそうになったとあって、

患者の中にはパニックを起こしたりトラウマを抱えたりと、

心理的な傷を負ってしまった人も少なくない。

凶悪なレギウスの被害者たちのこうした痛ましい姿を、

聡美は医療の仕事を通じて今までにも数多く見てきているのだ。

 

「やっぱりレギウスというのは恐ろしい……。

 被害を受けた患者さんたちとこうして直に接していると、

 どうしてもそう感じてしまうわ」

 

「確かに、破壊や殺戮のために使えば大変な惨事を引き起こせるほど、

 レギウスが凄まじい力を持っているのは私たちがこれまで散々見てきた通りだ。

 だが、決して全てのレギウスが力を悪事に用いようとしているわけじゃない。

 あの子に対しては、どうか偏見を持たないようにしてやってくれ」

 

「ええ。偏見や差別なんていうのは私も大嫌いよ。

 あの子が悪い子じゃないのはよく分かってるつもり。

 他ならぬあなたの血を引いた子ですものね。でも……」

 

靖尚と聡美の夫婦にとって、レギウスとは決して医療の仕事だけで関わる存在ではなかった。

聡美が気難しげに想うのは、一緒に住んでいる霧崎家の一人娘のことである。


安土市加茂川町。

琵琶湖の水郷の傍に広がるこの閑静な高級住宅街に、霧崎夫妻の自宅はある。

安土女学院に通う高校2年生の霧崎麗香は、

この家で両親と暮らしている霧崎家の一人娘であった。

 

「…昨夜、レイクブリッジで発生したレギウスによる殺傷事件の続報です。

 警察の発表によりますと、胸を斬られて重態となっていた被害者1名の死亡が確認されました。

 これで死者は合わせて4人ということになります。

 霧崎総合病院前と中継が繋がっています。山本さん?」

 

「はい、現場の山本です。

 昨夜出現したゼルバベルの構成員と見られるレギウスの襲撃により、

 この病院に搬送された負傷者は全部で17名。

 そのうち4人が既に死亡しており、病院によりますと、

 更に2人が未だ意識不明の重態とのことです。

 病院は昨夜からまるで野戦病院のように騒然となっており、

 医師たちが夜を徹して懸命の治療に当たっています」

 

「………」

 

つらそうにニュースの映像から目を背けた麗香は、

心配して足元にすり寄ってきたペットの黒猫の背中をそっと撫でた。

天国にいる母が麗香の10歳の誕生日プレゼントに飼ってくれた、

ルクレツィア(愛称:ルク)と名づけられたこの7歳の雌猫だけが、

今の自分の本当の理解者のような気がする。

 

「大丈夫よ。ありがとう、ルク」

 

霧崎靖尚の現在の妻である聡美とは、麗香は血の繋がりはない。

麗香を産んだ実母は病気のために既に他界しており、

靖尚は3年前、同じ病院で働く女医の聡美と再婚したのである。

両親からはレイクブリッジで起こった事件のため、

仕事が忙しくて今夜は帰れないという連絡が昨晩の内に届いている。

 

「レギウスは恐ろしい。お母様も、きっとまたそう感じているわ」

 

マザー・テレサに憧れて医者になったという聡美はとても愛情深い女性で、

当初この継母との関係はお互いぎこちない面もありながらも良好だった。

ちょうど1年前、麗香の身に未知の変化が起こったあの日までは……

 

「あっ……」

 

置いてあった麗香のスマートフォンに新たなメールの着信があった。

近所に住んでいる親しい友人からである。

暗く憂いに沈んでいた麗香の顔に、明るい光が射した。


俊一や千秋のクラスメイトの一人・永原祐樹は、

麗香と同じ安土市の加茂川町に住んでおり、

中学校までは麗香と同じクラスだった昔からの友人でもある。

 

「またあんな事件があったんじゃ、霧崎さんも相当堪えてるだろうな……」

 

朝、学校へ行こうと自宅を出た祐樹が気にかけているのは、

やはり昨夜のレイクブリッジで発生した無差別テロ事件のことである。

凶悪なレギウスがまたしても暴れて大惨事を引き起こした。

このようなショッキングな犯罪は一般市民に大きな不安と警戒心を抱かせるし、

その一方で、別の一部の者たちを追い詰めてしまっている面もある。

 

「でもやっぱり気になるなぁ。

 あの赤いライオンみたいなレギウス、一体誰なんだろう」

 

『#謎のライオンレギウス』。

SNSや匿名掲示板などのインターネット上で、

昨夜から話題沸騰となっているのはそんな正体不明のヒーローのことである。

オルカレギウスが暴れているところに突然現れて立ち向かい、

人々を守って激闘を繰り広げた赤い獅子のような姿のレギウス。

目撃者の一人が咄嗟に撮影したという不鮮明な画像がネットに上げられると、

「一体何者なんだ!?」と様々な憶測や議論を呼んだ。

 

「ブレイバーフォースの隊員とかじゃないみたいだし、

 人知れず正義のために戦っているレギウスの覚醒者が、

 この街のどこかにいるってことなのかな」

 

考え事をしながらバス停に向かって歩いていた祐樹。

その時、彼が前を通りがかった一軒の家の庭から悲鳴が聞こえた。

 

「な、何だ……?」

 

驚いて祐樹が立ち止まった刹那、彼の目の前の煉瓦造りの塀が内側から突き破られて砕け、

黒い野牛のような怪人が家の庭から道路に飛び出してきた。

 

「グォォ~! 小僧、見たな!」

 

「レ、レギウス……!?」

 

祐樹をぎろりと睨みつけたヌーレギウスは、

庭の畑の手入れをしていたこの家の老夫婦を頭に生えた鋭い角で刺し殺し、

現場から逃走しようとしていたところであった。

 

「ちょうどいい。貴様もついでに死んでもらおう。

 偉大なるゼルバベルの恐ろしさを市民どもに見せつけるため、

 犠牲者は一人でも多い方がいいからな!」

 

「だ、誰か助けてっ!」

 

レイクブリッジを襲撃した昨夜のオルカレギウスと連動して、

ヌーレギウスも人々を無差別に殺戮し、社会に混乱を巻き起こそうとしていたのだ。

祐樹の命を奪おうと角を向けてにじり寄るヌーレギウス。

だがその時、上空から飛来した小型の竜巻がヌーレギウスに命中し、

その重厚な巨体を弾き飛ばした。

 

「ぐぬ……何奴だ!」

 

「き、霧崎さん……!?」

 

祐樹の眼前にひらりと着地してヌーレギウスの前に立ちはだかったのは、

白い翼を持つ鳥人のような超戦士・イーグレットレギウスであった。

 

「レギウスの力を悪事のために使おうとするテロリスト……許さないわ!」

 

「ほざくな。レギウスの力はこの世界を制覇するために、

 遠い先祖の騎士から受け継がれたものだ。

 どこのどいつか知らんが、生意気な口を利くなら捻り潰してやるぞ!」

 

頭に生えた二本の角を向けて猛然と突進するヌーレギウスだったが、

イーグレットレギウスは翼の羽ばたきによって作り出した揚力に乗って軽やかにジャンプし、

華麗に空中回転して体当たりをかわす。

 

「フリーザートルネード!!」

 

「な、何いっ!?」

 

イーグレットレギウスは再び手から発した魔力で竜巻を起こしてヌーレギウスにぶつけた。

ただし、今度はただの竜巻ではない。

魔法で発生させた冷気を高速回転させ、絶対零度の突風として撃ち出したのである。

 

「おのれ! 覚えていろ!」

 

竜巻が当たった右半身を氷漬けにされたヌーレギウスは、

捨て台詞を吐いて退却していった。

 

「霧崎さん……」

 

「………」

 

変身を解除したイーグレットレギウスの白い装甲が、

まるで空気に溶け入るかのように光の粒となって消えてゆく。

安土女学院の制服を着た可憐な少女の姿が、そこに現れた。

 

「さっきは気遣いのメールありがとう。

 ケガはないかしら? 永原くん」

 

風と氷の魔法を操る白鷺の化身・イーグレットレギウス。

それこそが霧崎麗香のもう一つの顔なのである。