第31話『餓狼の哀歌』

 

「危ないっ!」

 

謎のレーザービームを浴びて空中に浮き上がったサッカーのゴールポストは、

勢いよく回転しながら俊一と千秋の上に落ちてきた。

咄嗟にライオンレギウスに変身しようとする俊一だが、

ほんの一瞬、周囲の目を気にして逡巡している間に動きが遅れてしまう。

 

「しまった……!」

 

もはや間に合わないかと思われたその時、

間一髪、横から飛んできた黒い炎弾がゴールポストに命中した。

ゴールポストは爆発し、木端微塵に吹き飛ぶ。

 

「あっ……!」

 

振り向いた俊一と千秋が目にしたのは、

まるで血に染まったかのような赤色の鋭い爪を持つ、

黒い狼の戦士――ウルフレギウスの姿であった。

グラウンドにいる野球部員たちの上に降ってきたもう一本のゴールポストとクロスバーも、

ウルフレギウスは掌から発射した灼熱のエネルギー弾で跡形もなく焼き尽くす。

 

「あいつか。さっきのビームを撃ったのは」

 

俊一が校舎の屋上を見ると、そこには背中に羽を生やした蛾のような怪物の姿があった。

反重力光線でゴールを浮かせ、グラウンドにいた生徒たちを襲ったのはこのレギウスだったのだ。

地上からの視線を受けた蛾の怪人――モスレギウスは声を発することもなく、

背中の羽を動かして素早く屋上から飛び去った。

 

「………」

 

以前、安土城でマンティスレギウスが暴れた時にも俊一と千秋を危機から救った、

正体不明のウルフレギウス。

モスレギウスが撤退したのを見ると、この謎の戦士も無言のまま、

踵を返して悠然とその場から去っていった。

 

「狼のレギウス……。一体何者なんだ?」

 

俊一と千秋、その他大勢の野球部員たちはその正体を確かめる術もなく、

ただ呆然と立ち尽くしてウルフレギウスの背中を見送るしかなかった。


夕刻。昼の営業時間を無事終了したそば屋の上総堂を一旦閉めた稲垣岳玄は、

夜の再オープンを前にしばしの休息を取り、

店のすぐ裏にある自宅の縁側で座禅を組みながら静かに瞑想に浸っていた。

 

「頭領、ただ今戻りました」

 

「うむ。ご苦労」

 

今日はそば屋の仕事は休ませて忍者として偵察に出していた、

弟子のチャンウィット・タンクランが帰還して庭先に跪く。

岳玄はじっと座って瞑目したまま、チャンウィットに報告を促した。

 

「やはり頭領の仰っていた通りです。

 ここ数日の間に、久峨コンツェルン傘下の複数の企業が、

 ヨーロッパ各国の支社から外国籍の社員たちを大量に日本に呼び寄せている模様」

 

「単なる社内の人事異動などではあるまい。

 ゼルバベルがいよいよ日本制圧に本腰を入れるべく、

 海外の支部から戦力を補強し始めたようじゃな」

 

日本有数の大財閥・久峨コンツェルンの正体が、

実は世界征服の野望を掲げる魔人銃士団ゼルバベルであるということは、

今はまだほとんどの人が夢にも思っていない極秘情報ながら、

岳玄ら甲賀忍軍にとっては以前から周知の事実である。

 

「表向き、彼らは一流企業に勤めているエリートのビジネスマンたちですが、

 裏ではネオナチのような不穏な過激主義を信奉している者も多く、

 そうしたファシストの残党らが世界征服やレギウスによる優生思想を唱えて、

 ゼルバベルの闘争的なイデオロギーに共鳴しているようです」

 

「日本とて、それは大して変わらぬよ。

 未だに成仏できずに燻り続ける第二次世界大戦の亡霊が、

 またも世界を戦火で焼き尽くそうと企てておる……」

 

屋敷の外からは、有権者に支持を訴える選挙カーの演説が聞こえてくる。

選挙が近いとあってレギウスの問題についても政策が活発に議論され、

様々な意見が飛び交って紛糾しているのが現状だった。

 

「人類の脅威であるレギウスとは、断固たる態度で戦っていかねばなりません!

 レギウスは敵! レギウスは排除!

 社会に潜伏しているレギウスたちを全て摘発し、

 専用の施設に収容して隔離するというのが我が党の公約です。

 市民の皆様の安全を守るため、全力でレギウスに立ち向かっていく所存ですので、

 どうか清き一票をよろしくお願い申し上げます!」

 

「やれやれ、こうも極端な意見が政治家からも聞かれるようでは、

 俊一君ももうしばらくはレギウスだということを秘密にした方が良さそうじゃな」

 

戦力を大幅に増強したゼルバベルが近く大攻勢に出てくるであろうこと、

社会からの有効なサポートが当面はまだ望めそうもなく、

むしろ世の中全体が敵となってしまう未来すらも今は決して否定はできないこと。

ライオンレギウスである俊一にとっては険しい試練の道が今後も続きそうだと、

岳玄は彼の前途を慮って深く嘆息するのであった。


霧崎総合病院。

安土市の中心部に立派な病棟を構える大手の私立病院で、内科、外科、皮膚科、

呼吸器科、産婦人科など、大学病院にも劣らないほどの多くの科を備えている。

最新の設備と腕利きの名医を揃えて医療レベルも高く、市民からの評判も非常に良かった。

 

「よう、今日は遅くなっちまったな」

 

「お兄ちゃん!」

 

安土江星高校のキャンパスを出た黒津耕司は愛車のバイクで街を走り抜け、

近くの書店に寄って手早く買い物をしてからこの霧崎総合病院を訪れた。

14歳になる耕司の妹・黒津綾乃は難病のため、

もう1年近くもこの病院で入退院を繰り返しているのだ。

 

「買ってきてやったぞ。お前の大好きなイケメンモデルのアルバムだ」

 

「きゃっ! クリス様の写真集! ありがとうお兄ちゃん!」

 

イタリアの人気モデル、クリスことクリストフォロ・エヴァルド・コルティノーヴィス三世は、

綾乃だけでなく日本中、いや世界中の多くの女性たちの憧れの的である。

見舞いの品として兄から贈られたクリスの新作写真集に、

病室にいた綾乃は感激してベッドの上で目を輝かせた。

 

「で、体調はどうなんだ。やっぱり苦しいか」

 

「前よりは、少し楽になったかしら。

 急な発作が起きるようなことも最近は減ってきたし……。

 今朝はちょっとだけ、看護師さんに付き添ってもらって病院の外を散歩したの」

 

「そうか……」

 

綾乃の病気は、まだ治療法が見つかっていない新種の難病である。

体内に入った毒によって徐々に全身が侵され、衰弱して最後には死に至る。

投薬によって何とか進行を食い止めてはいるものの、

それもいつまで持つかは分からず、毒を完全に取り除いて治すのは困難であった。

 

「病状は快方に向かっていますので、近々また一時退院できる見込みです。

 ただ、やはり無理な運動などは禁物ですし、急な再重症化も十分あり得ますから、

 薬を毎日欠かさず、くれぐれも用心しながら自宅療養していただく必要があります」

 

「分かりました。完治ってのは、やっぱり難しいんですね」

 

院長の霧崎靖尚から妹の容態について説明を受ける耕司は、

学校で見せていた柄の悪さが嘘のように礼儀正しく、

いかにもヤンキーという粗暴で不真面目そうな外見には似合わないほどである。

綾乃が見せているひとまずの快復傾向には安堵しつつも、

それがあくまで一時的なものでしかないことには表情を曇らせる耕司であった。

 

「我々ができるのは、あくまで対症療法。

 つまり病を根元から治すのではなく、表面に出てくる症状を和らげているだけに過ぎません。

 綾乃さんの病気については研究と治療法の開発に全力を挙げていますが、

 現在の医学ではなかなか特効薬を作るのは難しく、私も力不足を痛感しています」

 

「いえ、先生。手を尽くして下さりありがとうございます」

 

一礼して病室を出て行った耕司は、駐車場に止めてあったバイクに跨り、

エンジンを吹かして爆音を轟かせながら夜の街へと走り去っていった。

やり切れない思いと、それを燃料にした激しい闘志の炎を胸に抱きながら……。

 

「待ってろよ母さん、綾乃。仇は必ず討ってやる……!」


「えっ、強盗殺人事件……?」

 

琵琶湖の湖畔に掛けられたレイクブリッジは、

夜はライトアップされて暗い湖面の上に美しく浮かび上がり、

ロマンチックな雰囲気が漂う有名なデートスポットになっている。

グラウンドで発生した事件の事情聴取ですっかり遅くなってしまった学校からの帰り道、

俊一はその橋の上に佇んで夜の湖を眺めながら、

耕司の知られざる過去について千秋から話を聞いていた。

 

「そう。耕司くんの家、1年前にナイフを持った強盗が乗り込んできて、

 お母さんが耕司くんの目の前で刺されて死亡。

 妹の綾乃ちゃんって子も大ケガをさせられたの。

 綾乃ちゃん、何とか命は助かったんだけど、

 その時の刺し傷が原因で体に毒が入っちゃったみたいで、

 今も病気が治らなくて入院しているわ」

 

「それだけのことがあれば、黒津の奴があんな風にグレたのも無理はないのかな。

 俺だって、もしそんな経験したら絶対普通じゃいられないと思うし」

 

14歳の綾乃は俊一の妹の楓花と同い年でもあり、

もし楓花がそんな悲惨なことになったらと思うと耕司の心痛は俊一にもよく分かる。

不良やヤンキーなどというのは俊一の大嫌いな種類の人間ではあるが、

千秋も今の耕司の状態には困惑している様子なのを見て、

彼のことがどうにも心配になってしまう俊一であった。

 

「でも変なのよね……。

 綾乃ちゃん、私とも昔から仲良しだったんだけど、

 耕司くんが怖い顔で絶対来るなって言うから一度もお見舞いに行けてないのよ。

 ナイフで刺されて毒で重病っていうのも、

 何か隠してるみたいなちょっと不自然な説明の仕方だったし」

 

「傷口から菌が入って病気に感染ってのはよくあるわけだし、

 そんなにおかしな話だとは別に思わないけど、

 それにしてもそこまで治療に手こずって長引くものなのかな。

 余程、運悪く厄介な病原菌が体に入ってしまったとか……」

 

その時、橋の下で何かが爆発するような水飛沫が上がり、

巨大な影が水中から飛び出してレイクブリッジの上に飛び乗った。

 

「グォォ……!」

 

「か、怪物だ!」

 

「レギウスだ~っ!」

 

突如として湖の中から出現したのは、シャチのような姿をした恐ろしげな怪人であった。

鋭利なヒレの形になっている両手をカッターのように振るい、

その怪人――オルカレギウスは橋の上にいたカップルたちを無差別に襲って斬りつける。

 

「俊一っ!」

 

「ああ、任せろ。変身!!」

 

暗闇の中、拳を握り締めた俊一の体に赤い炎のような魔光が迸る。

走りながらライオンレギウスに変身した俊一は、

若者たちを襲撃していたオルカレギウスに猛然と飛びかかった。

 

「俺が相手だ!」

 

「現れたな! ライオンレギウス!」

 

無数のライトに彩られて煌めくレイクブリッジを舞台に、

ライオンレギウスとオルカレギウスの激しいバトルが始まったのであった。