第20話『非情なる戦士の道』

 

「フフフ、孫の命が惜しいか岳玄。
 稲垣千秋を解放してほしければ、直ちに降伏しろ!」

 

魔法で空中に作り出されたスクリーンの中で、
千秋を人質に取ったオセロットレギウスは苅部師走の姿に戻り、
爆弾のスイッチを見せつけて岐阜にいる岳玄らを脅迫した。

 

「少しでもおかしな真似をすれば、
 すぐにこのボタンを押して貴様の孫娘を木端微塵に吹き飛ばす。
 それが嫌ならば我らの邪魔立ては諦め、
 潔く白旗を上げて膝を屈することだな」

 

「しまった…! 迂闊だったか」

 

見事に裏をかかれた形となり歯噛みする岳玄と敦。
子供たちについては完全に部外者扱いで一切の情報を教えず、
戦時だという状況を伝えて外出を控えるなど警戒させるようにしなかったのも失策であった。

 

「例え爆弾で粉々になってしまったとしても、
 彼女の美しい姿は僕がしっかり絵に描き残しておくからご心配なく。
 いつでも孫の顔を思い出せるように、
 完成したら甲賀の里にこのイラストを送りつけてやるよ」

 

緊迫した状況の横で、小西李苑は縛られた千秋の姿を画用紙にスケッチし、
じっくりと眺めて観察しながら下描きを進めている。

 

「いわゆる『捕らわれの姫君』ってのは、
 僕が特に好んで絵にするシチュエーションの一つでね。

 被写体のクオリティもなかなか高いし、
 これは久々の傑作になりそうな予感がするな」

 

「ふざけるな! うちの娘を弄ぶような真似をして、
 許されると思っているのか!」

 

「フフフ、許さなければどうすると言うのだ? 甲賀の若旦那よ。
 可愛い娘を救うためには、貴様らの選択肢は降伏しかないと思うのだがな」

 

激昂する敦を嘲笑うかのように、
冷笑した師走は指先で爆弾のスイッチを軽く撫でる。

 

「さあ岳玄! 孫を助けたければ武器を捨て、潔く降参しろ!
 貴様らが大人しく捕虜になりさえすれば、
 孫は必ず無事に解放すると約束してやるぞ。
 その後、貴様ら自身がどうなるかについては保証はしかねるがな。ククク…」

 

苅部睦月が変身しているジャガーレギウスは勝ち誇ったように肩を揺らし、
改めて岳玄ら一同に降伏を要求した。

 

「頭領、どうしますか…?」

 

「仕方がありません。ここはまず千秋ちゃんの命を…」

 

チャンウィットが当惑しながら岳玄に判断を仰ぎ、
小鈴は千秋を助けるのを優先すべきではないかと意見するが、
ここで彼らが屈してしまえば西濃ダムを破壊するゼルバベルのテロは阻止できない。
監禁場所がこれほど離れていては、一瞬の隙を突いて千秋を救出するというのも不可能だ。

 

「父上…!」

 

「是非に…及ばず」

 

敦も動揺を隠せない中、やがて岳玄はおもむろに口を開き、
覚悟を決めたようにそう言った。

 

「ほう、それはどういう意味だ?
 やむなく降参するということか、それとも孫の命は見捨てて戦うのか」

 

「知れたことよ…」

 

千秋の祖父である以上に、甲賀忍軍を率いる頭領として、
忍びの世界の非情な掟に従って岳玄は決断せねばならない。

まだ迷いが捨て切れない様子の敦に、岳玄は耳打ちするように小声で言った。

 

「かくなる上は、あの可能性に賭けるしかあるまい。

 千秋の身に奇跡が起こるのを信じ、運を天に任せるのみじゃ」

 

「しかし、そう上手く行く確率など…」

 

「上手く行かねばそれまでのこと。

 無念だが、これも忍びたる者の苛酷な定めというものよ」

 

「何の話をしている! 降伏か否か、早く返事をもらおうか」

 

他人には意味が分かりかねる二人の相談に、

苛立ったジャガーレギウスが怒鳴り声を上げて回答を催促する。
意志を固めた岳玄が向き直り、断腸の思いで答を口にしようとしたその時、
何かが風を切るような音と共に、映像の中で異変が起こった。

 

「あっ…!」

 

固唾を呑んでスクリーンを見ていた小鈴が思わず声を上げる。
画面外から飛んで来た二枚の手裏剣が拘束されていた千秋の体を掠め、
一枚は胴体を、もう一枚は足首を縛っていた縄をそれぞれバラバラに切り裂いたのである。

 

「誰だ! …うわぁっ!?」

 

驚いて振り向いた師走と李苑の頭上に、小麦粉を詰めたビニール袋が降ってきて炸裂する。
袋から飛び出した小麦粉が煙のように舞い散り、周囲の視界を覆ったかと思うと、
天井から一つの小さな人影が飛び降りてきて着地した。

 

「姉ちゃん、逃げて!」

 

「健斗っ!」

 

小麦粉爆弾で師走らを奇襲し、千秋と甲賀忍軍の窮地を救ったのは、
車のナンバープレートから落ちた水滴の跡を頼りに追跡してきた健斗だった。
駆け寄って千秋の口から素早く猿轡を外し、
手を引いて立ち上がらせ逃げるように促す健斗。

 

「健斗! よくやったぞ!」

 

映像を見ていた敦も、思わず歓声を発さずにはいられなかった。
留守番に残しておいた健斗が、まさかの活躍で千秋を助けたのである。

 

「僕の絵が…! おのれ、このガキィ~っ!!」

 

せっかくラフ画を完成させたばかりの絵も小麦粉まみれになってしまい、
自分の作品を台無しにされた李苑はヒステリックに声を荒げて怪人に変身した。
ゼルバベルの大幹部でもある彼の正体は凶暴な肉食魚の化身・ピラニアレギウスなのである。

 

「何をしている! 追え師走! あの生意気なガキを叩き殺せ!」

 

「はっ、心得ました! ウォォォォッ…!!」

 

咆哮と共にオセロットレギウスに変身した師走は、
逃げる健斗と千秋を猛然と追いかける。
そのスピードは超人的で、足の速い二人さえ遥かに凌駕していた。

 

「きゃぁっ!」

 

「追いつかれる…!」

 

走りながら後ろを振り返った千秋と健斗が、絶望的な速力の差に青ざめる。
だがオセロットレギウスの長い爪が千秋の肩に届きそうになった瞬間、
横から飛び出してきた何者かが体当たりを浴びせ、オセロットレギウスを転倒させた。

 

「千秋、大丈夫か!?」

 

「俊一っ!」

 

現れたのは、遠くから声を聞いて駆けつけた俊一であった。
赤い炎のような光が全身から迸り、熱く燃え上がっている。

 

「き、貴様ぁっ!」

 

「変身ッ!!」

 

激昂したオセロットレギウスが立ち上がって飛びかかり、
右手の爪を俊一の腕に突き立てた時には、
俊一はみなぎる魔力をスパークさせてライオンレギウスに変身し、
ダイヤモンドよりも硬い真紅の装甲で鋭い爪の一刺しを受け止めていた。

 

「俊一兄ちゃんが…!」

 

レギウスとなった俊一の姿を見て驚愕する健斗。
健斗は俊一と以前に何度か顔を合わせたことはあるものの、
俊一がレギウスだということは明かされていなかった。

 

「な…何ということだ!」

 

「千秋ちゃんのボーイフレンドが、レギウス…!?」

 

突如、レギウスに変身した顔見知りの青年が千秋と健斗を助け、
ゼルバベルのレギウスと戦い始めたのを見て、
岐阜にいる岳玄と敦、小鈴とチャンウィットも呆気に取られる。

 

「ほほう…。噂のライオンレギウスのご登場か。
 僕の芸術作品を汚してくれたその少年を庇うなら、
 君にもここで死んでもらうよ」

 

ピラニアレギウスは持ち前の凶暴性をライオンレギウスに向け、
部下のオセロットレギウスと共に牙を剥いて襲いかかった。

 

「凄まじい強さよ…」

 

スクリーンに映し出されている戦闘の様子に、岳玄も思わず目を釘づけにされていた。
ライオンレギウスはまだ技術的には未熟で動きが粗削りな面があるものの、
2対1のハンディキャップマッチを果敢に戦い、ほぼ互角の勝負をできている。

 

「つあっ!」

 

「グォォッ! おのれ、全員まとめて消えて無くなれぇッ!!」

 

ライオンレギウスのパンチを受けて倒れたオセロットレギウスは怒り狂い、
両手を合わせて巨大なエネルギー弾を発射した。

 

「くっ…!」

 

このままではライオンレギウスだけでなく、
その後ろの射線上にいる千秋や健斗まで高熱で焼き尽くされてしまう。
ライオンレギウスは敵と同じように両手からエネルギー弾を放ち、
オセロットレギウスの攻撃に正面からぶつけて押し返した。

 

「グッ、こんなもの!」

 

押し戻されて自分の元へ飛んできたエネルギー弾を、
オセロットレギウスは片手で弾いて地面に叩き落とす。

 

「あっ…!」

 

その時、誰にとっても想定外のことが起こった。
落下したエネルギー弾は偶然にもオセロットレギウスの足元に転がっていた、
先ほどまで縛られていた千秋の傍に置かれていた爆弾に命中。
誘爆し、発生した大爆発がオセロットレギウスを呑み込んだのである。

 

「しまったぁッ! おのれ…ゼルバベルに栄光あれーッ!!」

 

自らが仕えてきた組織を讃える断末魔の科白と共に、
オセロットレギウスは炎の中で壮絶な爆死を遂げたのであった。


「師走ッ!」

 

「おのれライオンレギウス、我が弟をよくも…!」

 

戦いの顛末をスクリーンで見守っていたジャガーレギウスや葉月らは、
弟の戦死というまさかの事態に愕然とし、しばし身動きできずにいた。

 

「よしっ、今だ!」

 

隙を見たチャンウィットは懐から投げ縄を取り出して投擲し、
爆弾が入れられたアタッシュケースを絡め取った。
チャンウィットが縄を引っ張るとアタッシュケースは宙を舞い、
彼の元へと飛んで来てキャッチされる。

 

「しまった! 爆弾が!」

 

「これでお前たちの作戦は水の泡だな!」

 

爆弾を奪い返そうとするジャガーレギウスだったが、
小鈴はすかさず煙幕玉を投げつけて彼らの足元で破裂させた。
煙が濛々と立ち込め、視界を遮られたジャガーレギウスらは右往左往する。

 

「おのれ、逃げられたか!」

 

煙が晴れた時には、岳玄や敦らの姿はどこにもなかった。
爆弾を持って逃げられてしまい、かくしてゼルバベルの西濃ダム爆破計画、
そして苅部四兄弟が企てた甲賀壊滅作戦は失敗に終わったのである。


「芸術的な作戦がメチャクチャだ。
 こうなっちゃ、もう描き直す気にもなれないね」

 

オセロットレギウスが倒され、岐阜では肝心の爆弾も奪われてしまったのを見て、
一気に戦意を失ったピラニアレギウスは天を仰ぎつつ撤退した。

 

「俊一!」

 

「俊一兄ちゃん!」

 

こうして安土と岐阜での同時進行の戦いは終結した。
変身を解いた俊一の元に、千秋と健斗が駆け寄ってくる。

 

「やったぜ俊一兄ちゃん!
 でも俊一兄ちゃんがレギウスだったなんてビックリしたなあ!
 姉ちゃんも早く教えてくれればいいのに…」

 

「健斗っ」

 

興奮して大喜びする健斗を、千秋が叱るように鋭い声で注意する。
倉庫内に立ち昇る爆炎を見つめて無言のまま立ち尽くしている俊一は、
体をガタガタと小刻みに震わせていた。

 

「殺した…」

 

「俊一…」

 

オセロットレギウス=苅部師走は敗死を遂げた。
これまでは敵を叩きのめして撃退するだけだったライオンレギウスにとって、
倒した相手を死亡に追い込んだのはこれが初めてである。

 

「人を、殺してしまった…」

 

レギウスは異形の怪物ではあっても人間が変身したものであり、
本質的には人間であることに何ら変わりはない。
それは自分もレギウスとなった俊一自身よく分かっていることだった。
相手が残虐な悪人だったこと、千秋たちを助けるための戦闘というやむを得ない経緯、
また予期せぬアクシデントの結果とはいえ、生まれて初めての「殺人」の経験は、
つい最近まで普通の高校生でしかなかった俊一にとっては重すぎるものであった。

 

「俊一…あの、とにかく、助けてくれて、ありがとう」

 

呆然として身動きできずにいる俊一に、
千秋は何か声をかけようとするがなかなか良い言葉が見つからない。
困り果てていたその時、千秋のポケットの中でスマートフォンが鳴った。
岐阜での戦いを終えて敵のアジトから離脱したばかりの敦からの電話である。

 

「…あ、お父さん? うん、私は無事。
 そうね。俊一も一緒よ。ごめん、なかなか言い出せなくて…。
 ええ、こっちはひとまず大丈夫だけど、でも…」

 

レギウスの魔力による映像を通して、俊一が変身した場面は岐阜にいる甲賀衆にも見られていた。
咄嗟に助けに飛び出した俊一としては、千秋の家族らに中継が繋がっていたのは想定外である。
まずいと思った俊一だったが、千秋は次第に安心したような表情になりながら何度もうなずき、
電話の向こうの父親の長話に聞き入っている。

 

「分かったわ。俊一には私から説明する。
 ええ。全部話しちゃっていいのね。ありがとう。
 そうなのよ。俊一も困ってる状況だから、お父さんたちが力になってあげてほしいの」

 

千秋が言うことの意味が、俊一にはよく掴めなかった。
この状況で、千秋が自分に一体何を話して説明するというのだろう?
そして千秋の父親たちが力になってくれるというのはどういう意味なのか?
戸惑う俊一をよそに、電話を切った千秋は呼吸を整えて頭の中で考えをまとめてから、
何かを決意したような真剣な表情で言った。

 

「あのね俊一、落ち着いて聞いて。
 実は私、俊一にはずっと秘密にしていたことがあるの」

 

俊一もまだ知らなかった甲賀一族・稲垣家の正体。
その真実が、千秋の口から語られる時がとうとうやって来たのである。