EPISODE26『壊れゆく限界』

 

 ある日の深夜。安土市内の自宅でぐっすりと眠りについていた獅場俊一は、突如、枕元に置いてあったスマートフォンが甲高い警報音を発したので飛び起きた。

 

「な、何だ……!?」

 

 それは日本政府が国民に向けて発したアラートであった。大災害や他国の軍事攻撃、テロ等の緊急性の高い非常事態が発生した時に、スマートフォンを介して国民に瞬時にそれを報せ、避難や対応を促す警報システムである。

 

「ミサイルか……」

 

「ベルシブ共和国から日本に向けてミサイルが発射されました。頑丈な建物の中や地下などに直ちに避難して下さい」というメッセージが、けたたましく鳴り続けるスマートフォンの画面に映し出されている。これまでにも年に何度か繰り返されてきた、ベルシブ軍のミサイルによる領空侵犯である。

 

「お兄ちゃん!」

 

「ああ。念のためカーテンを全部閉めよう。テレビも点けておいてくれ」

 

「うんっ!」

 

 隣の部屋で眠っていた妹の楓花もアラートの音で目覚め、一階の居間に降りてきてニュースを見るためテレビの電源を入れる。ミサイルの爆風で家の窓ガラスが割れた場合に備えて、二人は素早く部屋中のカーテンを閉めて破片が室内に飛び散るのを防ごうとした。

 

「大丈夫かな? 安土に落ちたらどうしよう」

 

「この前も確か硫黄島の辺りまでしか届かなかったし、さすがに本州までは飛んで来ないと思うけどな……」

 

 万が一、近くにミサイルが着弾した場合に備えてテーブルの下に身を隠す二人。爆風が届くくらいの距離ならばこうした対処で被害を多少なりとも軽減できる可能性があるが、もし家の近くにまともにミサイルが直撃してしまったら何をしようがどうにもならない。楓花が不安になりながらテーブルの下からテレビを見つめていると、やがて臨時ニュースの続報が入った。

 

「速報です。ミサイルは先ほど、日本の領海内、父島の東の沖合に落下したという情報が入りました。繰り返します。ベルシブ軍が発射した弾道ミサイルは、小笠原諸島の父島沖に落下したと先ほど発表されました」

 

「良かった……!」

 

 東京方面に進路を取ったミサイルは本州には届くことなく、小笠原諸島の近海まで北上したところで海に落下した。ベルシブの現時点での技術力ではこのくらいの飛距離が限界で、日本本土をミサイル爆撃するというのはまだ無理のようだし、今すぐそのような暴挙に出て日本と戦争を始めるとも考えにくい。俊一と楓花はホッと胸を撫で下ろした。

 

「しかし夜も遅くに迷惑な話だな。ベルシブは日本にこんな挑発をして、どういうつもりなのかな」

 

 ベルシブ共和国は日本の南、フィリピンとグアムの中間に位置する東南アジアの島国である。かつてはオランダの植民地で、太平洋戦争では日本軍がオランダを追い出して占領したため、アメリカ軍の攻撃で陥落するまでの短期間ではあるが日本領だった時期もあった。そのため当時に移住した日系人の子孫も多く、前大統領のアナステン紫耀もその一人。しかし親日派の民主主義路線だったアナステンはクーデターで失脚し、現在はオランダ系白人のロナルド・ファン・ダイク大統領の軍事独裁政権が急速な軍備拡大を進めて日本やアメリカや近隣の東南アジア諸国と対立を深めている。

 

「お兄ちゃん、明日は部活の練習なんでしょ? お陰で寝不足になっちゃいそうね」

 

「う~ん、俺はまあ大丈夫だけど、こうなるとあいつのメンタルがちょっと心配だな……」

 

 翌日は日曜日なので学校は休みだが、サッカー部の練習で登校する予定の俊一にとって心配なのは自分のコンディションよりもチームメイトの精神面である。また悪い影響が出なければいいが、と後輩のことを気にかけながら、俊一はベッドに入って朝が来るまで再び眠ることにした。


 翌日。安土江星高校のグラウンドでは、俊一らサッカー部の面々がシュート練習に汗を流していた。

 

「おいおい、どうした富樫!?」

 

 味方からのパスを受けてダイレクトシュートをゴールに決めるといういつもの練習。狙いを大きく外してボールをゴールポストの遥か上へと飛ばしてしまったジュマート富樫は、思わぬ失敗に他の部員たちから驚かれる。

 

「しっかりしろよ富樫。らしくないぞ!」

 

「はい……すいません!」

 

 頭を下げて謝りながら列に戻るジュマートの顔色は明らかに良くない。ボールを思い通りの方向に蹴れず、二度三度と同じミスを繰り返した彼の乱調ぶりに、キャプテンの日浦八宏からはとうとう厳しい叱責が飛んだ。

 

「やる気あるのか? ちゃんと集中しろよ。練習に真面目に取り組めない奴はどんなに上手くてもチームに要らんぞ!」

 

「は、はいっ……! 申し訳ありません先輩!」

 

 ジュマートほどのテクニックのある選手がこれだけシュートを外しまくるというのは不自然で、八宏は集中力の欠如だと解釈して怒ったが、傍で見ていた俊一は別の見方をしていた。プレーに身が入っていないのは確かだが、それはやる気がないのではなく体調が悪くて集中できないのではないか? 心配になった俊一は、練習が終わるとすぐにジュマートに駆け寄って声をかけた。

 

「おい、大丈夫かジュマート? 何か顔色が悪いぞ」

 

「すいません先輩……いや、大丈夫っす」

 

 気丈に答えるジュマートの顔は汗ばみ、息も荒い。明らかに大丈夫ではないだろうと気遣う俊一だったが、ジュマートは苦しいのを隠そうとするように首を横に振った。

 

「ヨス店長から聞いたぞ。お前、時々急に具合が悪くなることがあるんだろ? 何の病気かは分からないそうだけど、とにかく無理だけはしない方がいい」

 

「そうっすね……自分でも何だかよく分からないんすけど、日本語だと何て言うんだったかな……えっと、ホッサ?」

 

「ああ、発作な。そういうのがあるんなら、体にあまり負荷をかけるのは良くないぞ。ちょっと休んだ方がいいんじゃないのか」

 

「はい……でも本当に大したことないんで。心配しないで下さい」

 

「ジュマート……」

 

 俊一を振り切るように去っていくジュマートの足取りはやはり少しフラフラとしている。俊一が心配しながらその姿を見送っていると、不意に背後に誰かの気配がした。振り向くと、ラフな私服に着替えた八宏がどこか気恥ずかしそうな顔をしながら立っている。

 

「日浦先輩! どうしたんですか?」

 

「さっきは体調のことも知らずに、あいつにきつい言い方しちまったからな。ちょっとフォローというか、謝っといた方がいいかなって思ってさ。あいつもつらいんなら言えばいいのに、あれはどう見ても練習どころじゃないくらい具合悪そうだろ」

 

 そう言って頭を掻いた八宏はジュマートの後を追い、早足で江星高校のキャンパスを出て行った。

 

「日浦先輩、厳しい人だけど根は凄く優しいからなあ。プレーだけでなく、ああいうキャプテンとしての姿勢や人間性も見習わないとな」

 

 やや柄が悪くて怖そうな印象のある八宏だが、チームをまとめるキャプテンとして仲間への心配りも常に忘れてはいないし後輩に対してでも間違いを認めて素直に謝れる謙遜さもある。立派な人だなと感心する俊一だったが、同時に何か得体の知れない不安も胸に湧くのを感じていたのである。


「う~ん……何なんだこの具合の悪さ。目が回る……吐き気がする……」

 

 バス停への近道をしようと大通りを曲がり、狭い住宅街の中を横切って歩いていたジュマートは体調不良がどんどん悪化していくのを感じて苦しんでいた。体がなぜか凄まじく疲れていて重く、意識がぼんやりとして足もまるで酩酊したように言うことを聞かない。かなり熱もあるが、解熱剤や風邪薬を飲んでも一向に良くはならないのだった。

 

「ジュマート富樫だな」

 

「……!?」

 

 ジュマートが驚いて空を見上げると、黄色い蛾のような怪人が背中の羽を動かしてホバリングし、十メートルほど上空に制止してこちらを見下ろしているのが見えた。

 

「レギウスの力に慣れていないとそうなるのだ。体内で燃焼し続ける高い魔力に肉体が耐えられず悲鳴を上げることになる」

 

「レギウス……? お、俺が?」

 

 ゆっくりと地上に下りてきた蛾の怪人――モスレギウスは、ボイスチェンジャーで加工された男とも女ともつかない不気味な声でジュマートに語りかける。しかしレギウスの力による負荷が原因だと言われても、ジュマートには自分がレギウスだという自覚などは全くないのだった。

 

「惚けるのはよして正体を現わせ。我らゼルバベルの宿敵たる獅子のレギウスよ」

 

「うわぁっ!」

 

 モスレギウスは触覚から発射した反重力光線でジュマートの体を宙に浮き上がらせ、そのまま放り投げるようにして道端に積まれていた木箱の上に落下させた。崩れた箱の山に埋もれたジュマートは痛みを堪えて這い出るが、そこに二発目のビームが撃ち込まれて再びその身を空高く持ち上げられる。

 

「どうした。早く変身して戦え!」

 

「何を言ってるんだこいつ……変身なんて……俺にできる訳ないだろ……?」

 

 モスレギウスはジュマートの周囲の重力を操り、立ち入り禁止の空き地を囲んでいる金網に彼を叩きつけた。堅い金属製の網に背中を押しつけられ磔のようになって苦しむジュマートに、モスレギウスは変身しろと更に圧力を加える。

 

「なぜライオンレギウスになって戦わんのだ? 早くしなければ体が砕けるぞ」

 

 絶体絶命のジュマートの姿を遠くの電柱の陰からこっそりと覗き見ていたウィルヘルミナは、予想外の展開に両手を広げるオーバーリアクションを取りつつ苦笑気味に笑った。

 

「あ~、そう来ちゃったかゼルバベル……あの子がレギウスだって見抜いたのは流石だけど、生憎ライオンレギウスじゃないんだよね~」

 

 ならば彼の正体を披露して目にもの見せてやろうか。ウィルヘルミナはポケットからスマートフォン型のコンピューターを取り出し、レギウスへの変身プログラムを起動するコマンドを入力した。苦痛にあえいでいたジュマートが急に人が変わったように恐ろしげな形相でモスレギウスを睨みつけ、拳を握って全身の魔力を高めてゆく。

 

「ようやくその気になったかライオンレギウス。それでいいのだ。お前の真の姿を……グォッ!?」

 

 その時、反重力光線を放っているモスレギウスの頭の触覚を赤い矢のようなビームが狙撃した。光線の放射が途絶えて反重力から解放され、重力に引かれて落下するジュマートを横から飛び出してきた赤い獅子の超戦士がジャンプして抱きかかえる。

 

「貴様は……ライオンレギウス!」

 

「また見当外れな推理だったな。迷探偵さん。残念だがこいつは俺じゃないぜ」

 

 ジュマートを地面に下ろしたライオンレギウスが挑発するように右手の鉤爪をかざす。それを見たウィルヘルミナは咄嗟にリセットボタンを押し、ジュマートの変身を中断させた。

 

「おっと、危な……! まだライオンレギウスに正体を知られるのは早いからね。にしても、一体誰が変身してるのか私も興味あるな~」

 

 ウィルヘルミナが興味津々の目で見つめる中、ライオンレギウスとモスレギウスは住宅街の路上で戦闘を開始した。反重力光線を浴びせてライオンレギウスを持ち上げ金網にぶつけようとするモスレギウスだったが、ライオンレギウスは発生した反重力を上回るパワーで金網を力強く蹴り、光線の有効範囲を脱出してそのまま重力に引かれて落下しながら飛び蹴りを見舞う。

 

「出でよ! 聖弓獣ミレーラ!」

 

「キォォォッ……!」

 

 怯んで後ずさったモスレギウスが空に向かって叫ぶと、ケツァルコアトルを模した鮮やかなピンク色のロボット・聖弓獣ミレーラが猛スピードで飛んで来る。ミレーラが凶暴でヒステリックな咆哮と共にたどたどしい電子音声を発すると、前回の対戦でこの秘密兵器の威力を思い知っているライオンレギウスは警戒して身構えた。

 

「ピピッ……破壊、ハカイ……!」

 

「おい、まさかこの住宅地の真ん中で撃つつもりか?」

 

 ミレーラは鳥型から弓の形へと変形してモスレギウスの手に収まった。輝く矢の形をした破壊光線がチャージされ、モスレギウスはゆっくりと弓弦を引いて発射態勢に入る。家やアパートが密集したこの狭い場所で使えば周囲に大被害が出てしまう凄まじい必殺の一撃を、モスレギウスは躊躇うことなく発射しようとした。

 

「消えて無くなれ!」

 

「くっ……!」

 

 だが矢が放たれるかと思われた次の瞬間、異変が生じた。激しく震えたミレーラは発射寸前となっていたビームを急に消滅させ、元の鳥型に戻ってモスレギウスの手から滑り落ちたのだ。

 

「何っ!? どうしたのだミレーラ。しっかりしろ!」

 

「ピピッ……ググッ……キォォォッ……」

 

 地面のアスファルトの上で痙攣を起こして苦しげにのた打ち回るミレーラ。自慢の破壊兵器が突然のアクシデントで使用不能となってしまい、モスレギウスは当惑した。

 

「今だ! フレイムボレーシュート!!」

 

「グァァッ!!」

 

 反撃のチャンスと見たライオンレギウスは掌から発生させた赤い光弾をサッカーのシュートのようなジャンピングボレーで蹴ってモスレギウスにぶつける。灼熱のエネルギーの塊が直撃したモスレギウスはボディに爆発を起こして吹っ飛び、勝敗を決するほどの大ダメージを受けて呻いた。

 

「おのれ、この役立たずめ……! 次こそは貴様を倒すぞ。ライオンレギウス!」

 

 もがき苦しむミレーラを乱暴に鷲掴みにして捕まえ、武器を回収したモスレギウスは上空へと退却する。大きく溜息をついたライオンレギウスは真紅の装甲を蒸発させ、俊一の姿に戻った。

 

「あいつ……何者なんだ?」

 

 とにかく今はジュマートの身が心配だ。近くを駆け回って彼を探していた俊一は、自動販売機の前で立ち話をしている八宏とジュマートの姿を遠くから見つけた。

 

「さっきはきついこと言ってごめんな。富樫。これでも飲んで元気出せよ」

 

「いいんすか先輩? 何か、かえってすいません」

 

 八宏が自販機にコインを入れ、冷たい烏龍茶を買ってジュマートに奢っている。微笑ましい和解の光景を邪魔してはいけないと、俊一は二人に気づかれないようそっとその場を後にしたのであった。


「本日未明のミサイル打ち上げ実験について、日本政府から厳重な抗議の文書が届いています」

 

 ベルシブ共和国を支配している独裁者、ロナルド・ファン・ダイク大統領。首都タヴォルシティの中心にある丘の上から街を一望する大統領官邸の執務室で、彼は煙草を吹かしながらお気に入りの女性秘書・カトリーン小峰からの報告を受けていた。

 

「選挙で勝ったミスター羽柴への祝砲のつもりだったのだがな。お気に召さなかったのは残念だ。アメリカ政府は何と言っている?」

 

「ホワイトハウスはこれまでのところ沈黙を守っています。グアムや沖縄のアメリカ軍基地にも目立った動きは確認されておりません」

 

「かつては世界の警察だなどと息巻いていた米帝も、今では随分と大人しいものよ。中東での相次ぐ対テロ戦争で受けた打撃が、血気盛んなヤンキーどもにも相当堪えたらしいな」

 

 軍事クーデターで政権を奪取し、民主政治を機能不全に追い込んで軍拡を続けるファン・ダイク政権は日本やアメリカ、近隣の東南アジア諸国といった自由主義陣営の国々からは警戒され、日に日に対立を深めている。

 グアムやサイパンを領有するアメリカの目と鼻の先という位置関係上、あからさまに過激な行動はまだ控えているファン・ダイクだが、彼にとっては好都合なことに、アメリカのステファニー・シンクレア大統領はこれまでのところ、緊迫化する東南アジア情勢に積極的に介入する姿勢を見せてはいなかった。

 

「アメリカが今の方針を変えてくる前に、打てる限りの手は打っておかねばならん。そのための重要な足がかりとなるのが北の隣国・日本だ。あの平和ボケした金持ちの大国は色々と利用価値があるからな。総理大臣の羽柴藤晴はなかなかのやり手のようだが、残念ながら彼は私のようにワンマンで国を動かせる独裁者ではない。民主主義国家の悲しき弱点、いかにトップに有能な傑物がいようとも、周囲に足を引っ張らせてしまえばどうとでもなる話だ」

 

 ファン・ダイクにとっては政権与党が大勝した今回の日本の選挙結果は喜ばしいものではなかったが、それでもまだ策はいくらでも考えられる。彼が頭の中で今後の戦略をじっくりと思い描いていたその時、背広のポケットの中に入れていた携帯電話が鳴った。

 

「私だ。おおミーナか。進捗はどうだ」

 

 冷徹で威厳あふれる独裁者の声が、急に我が子を溺愛する父親のような甘さを帯びる。日本にいるウィルヘルミナと国際電話を始めたファン・ダイクは、彼女から実験体についての報告を聞くと遺憾そうに眉間に皴を寄せた。

 

「そうか……やはり肉体の負荷が大きいか。限界が来て実験体が壊れてしまう前に、計画を前倒しで実行に移さねばならんかも知れんな」

 

 幸い、機は既に十分に熟しつつある。不敵に哂ったファン・ダイクは電話口の向こうのウィルヘルミナを愛でるように言った。

 

「お前の判断に一任する。期待しているぞ。愛しのミーナ……我が娘、ウィルヘルミナ・ファン・ダイクよ」


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