EPISODE24『狙われた極秘計画』

 

「あなたは何者……?」

 

 木陰から現れた人相の悪い忍者装束の青年に、麗香は警戒して身構えつつ訊ねた。

 

「名乗るほどの者ではないがな。俺はゼルバベルの忍びだ。霧崎靖尚の娘――イーグレットレギウスよ、先日は我が同志ブラックバスレギウスの仇を見事に討ってくれて感謝する」

 

 ブラックバスレギウスを倒したビートルレギウスをライオンレギウスらと共に撃退した件について、睦月は嫌味な笑みを浮かべつつ礼を述べる。

 

「私はゼルバベルなんかのために戦った訳じゃないわ。むしろあなた方とは敵同士。それは分かっているでしょう?」

 

 言いながら拳を握ってレギウスに変身しようと魔力を高める麗香を、睦月は片手を挙げて制止する。

 

「待て! 確かにお前と我々は敵とは言え、この国を巡る情勢は今では複雑極まる混沌の中にある。例え普段は敵同士でも、敵の敵は味方とか漁夫の利などというもっと賢い戦略もあるだろう。例え一時的にだとしてもな」

 

「……どういう意味かしら」

 

 睦月は自分と戦いに来た訳ではない。そう悟った麗香は変身を中断し、高まりかけていた魔力を静めて注意深く相手の話を聞くことにした。

 

「貴様の両親が勤める霧崎総合病院を狙って、テロを起こそうとしている者がいる」

 

「それはあなた方のことではなくて?」

 

 失笑するようにそう訊ね返す麗香に、睦月もフンと鼻を鳴らして自嘲しながらうなずいた。

 

「それも確かにそうだがな。俺が今言っているのは我々とは別口の連中のことだ。病院に停電を起こした俺たちの仲間よりも奴らは卑劣で狡猾だぞ。どうやら入院患者の中に配下のレギウスを紛れ込ませて、内部から院長らを襲わせようとしているようだ」

 

「何ですって……!?」

 

 思わず動揺する麗香の様子を見て楽しげに嗤いながら、睦月は語る。

 

「我ら忍びの調べによれば、作戦決行は今宵、かな。奴らもなかなか機密情報のセキュリティが堅いので、確かなことは分からんが」

 

 敢えて情報の信頼性に疑いの余地を付け加えたのは意地悪な揺さぶりだろう。それを察して不快げに表情を歪めながら、麗香は鋭く切り返した。

 

「それを私に伝えて、あなた方に何の得があるというの? 罠ならそう簡単には乗らないわよ」

 

「安心しろ。罠などは何もない。ただそいつらは我々にとっても邪魔な敵なのでな。貴様が戦って奴らの計画を妨害してくれればお互いにウィン・ウィンという訳だ」

 

「私とその敵を潰し合わせるつもりね……。姑息で汚い考え方だわ」

 

「例え腹立たしくて気に喰わんやり方だとしても、あの病院に勤める義母に認められたい貴様としては戦わない訳には行かんと思うがな。違うか?」

 

「っ……余計なことを……!」

 

 屈折した自分の戦いの動機を見透かしたように嘲って言う睦月に、麗香は彼女らしからぬ強い苛立ちを露にする。だが悔しいことに、睦月の言うことは全てその通りなのだ。

 

「まあ、戦わずに両親を見捨てるというのならばそれも貴様の自由だ。そろそろ患者に偽装した工作員が病院に向かっている頃だが、その者が実際に犯行に出るまでにはまだ時間がある。どうするか、その墓の下に眠っている実の母親とも相談してじっくり考えるんだな」

 

 そう言い残すと、睦月は身軽に跳んで疾風のように消え去った。教会の墓地に一人残された麗香は逡巡するように母の墓石を振り返ったが、睦月が言うように戦わないという選択肢は彼女にはなかった。


 消灯時間が過ぎ、暗く寝静まった霧崎総合病院の入院病棟。

 先日のガソリンスタンドの爆破テロで外科の入院患者が急増したこともあり、院長の靖尚と外科医の聡美の夫婦は今夜は共に家には帰らず当直である。日付が変わろうとしていた頃、溜まっていたカルテの整理を終えた聡美は就寝している患者たちの様子を見るために彼らのいる病室を順に回っていた。

 

「どこも異常無しね……。今回の患者さんたちはマナーもいい方ばかりで助かるわ」

 

 こっそり夜更かしをしたり騒いだりしている患者もおらず、一安心した聡美は音を立てずにそっと病室を出ようとする。だがその時、暗闇の中、病室の一番奥のベッドの上から赤い炎のような光が立ち昇るのが見えた。

 

「……? ……アンディクさん?」

 

 あのベッドは今日の昼、自転車で車に撥ねられて骨折で入院したばかりのアンディク磐田という在日ベルシブ人の男性のものだ。まるで心霊現象のような奇怪な光に怖れを感じつつ目を細めて凝視していた聡美に、重傷を負っていたはずのこの外国人の患者が低く不気味な声の日本語で語りかけてくる。

 

「レギウスの自己再生能力があれば、こんなケガはすぐに治る」

 

 骨折した左腕のギブスを怪力で剥ぎ取ってベッドから起き上がったアンディクが、体から発せられる光を全身に纏って見る見る内に異形の姿へと変貌してゆく。蟹の魔人・クラブレギウスと化したアンディクは慄いて床にへたり込んでしまった聡美に近づくと、右手の大きな鋏を向けて脅迫した。

 

「レ……レギウス……っ……!」

 

「声を出すな。院長の所へ案内しろ」


「いいよ~工作員GZ-6号。そのまま人質を連れて院長の所に乗り込んじゃって!」

 

 病院の外の駐車場では、乗ってきた黒いライトバンのボンネットの上に腰掛けながらスマートフォン型の小型コンピューターでクラブレギウスと通信し、楽しげに笑っているウィルヘルミナ・デ・フリースの姿があった。

 

「自作自演の交通事故で工作員を入院させて内部から襲う作戦、やっぱり上手く行ったね。昼間に急にブレイバーフォースが病院に来たから焦ったけど、アンディクが搬送される前に帰ってくれたからホッとしたよ」

 

 俊一と楓花が街で目撃した外国人同士の交通事故は、実は被害者も加害者もベルシブ共和国の諜報組織・ザヴァックの工作員。患者として霧崎総合病院に運び込まれるようにわざと事故を起こして救急車を呼び、レギウスの回復魔法でケガを治してから院内で怪人化して暴れ出したのである。

 

「デ・フリース隊長! 南西の方角にレギウスの魔力を探知しました。現在、安土山の上空を通過中! 超高速でこちらに向かっています!」

 

 レーダーを注視していた配下の工作員が、そう言って非常事態の発生を告げる。驚いたウィルヘルミナは彼を押しのけてレーダーの画面を覗き込んだ。

 

「嘘でしょ!? 何でバレちゃったんだろ。このやり方ならすぐには嗅ぎつかれないと思ったのに」

 

 この速さで一直線に病院へ飛んで来るレギウスと言えばイーグレットレギウスしか考えられない。これまでのゼルバベルの作戦を見ても病院を狙うからには彼女の妨害があるのも当然に想定していたウィルヘルミナだったが、皆が寝静まっているはずの深夜、轟音や爆発を起こすような派手なテロをした訳でもないのに、ここまで即座に反応されるのは想定外である。

 

「う~ん、慎重に進めたつもりだったけど、どこかでドジ踏んじゃってたのかな。それとも……」

 

 ふとウィルヘルミナが病院の屋上を見上げると、そこに黒い人影が立っているのが見える。してやったりという表情でこちらを見下ろしている忍者装束の男――睦月の姿を目にして、ウィルヘルミナはそういうことかと納得したように首を振った。

 

「あいつらにリークされちゃったか。ムカつくなあ~」

 

 言葉とは裏腹にどこか状況を楽しんでいる様子で、軽薄でキュートな笑顔を崩さないままウィルヘルミナは小型コンピューターの画面を指先でタップする。

 

「工作員GZ-6号、急いで! どうやら邪魔が入りそうな感じだから。うん。話を手早く進めるためなら手荒な真似してもOKだよ」

 

 病院の中のクラブレギウスに指示を送りながら、ウィルヘルミナは冷酷な笑みを浮かべて院長室の窓を見上げたのであった。


「さ、聡美……!」

 

「靖尚……さん……!」

 

 その頃、捕らえた聡美を連れて病院の院長室に乗り込んだクラブレギウスは彼女を人質に取りながら、机に向かって徹夜で事務作業をしていた靖尚に脅迫を突きつけていた。

 

「日本政府からこの病院に、レギウス因子の分析が委託されたそうだな。霧崎院長、大切なご婦人の命が惜しければ……」

 

  聡美を抱き寄せ、その喉元に右手の鋏を近づけて脅すクラブレギウスに、靖尚は当惑しながら反論した。

 

「ま、待て! 政府からレギウス因子がこの病院に送られてきたのはたった一週間前の話だぞ。ようやく本格的に研究に取りかかったばかりで、研究成果と呼べるようなものはまだほとんど得られていない。人質を取って情報提供を要求されても、今すぐ出せるものは何もないぞ」

 

「そんなことは分かっている! 我々が欲しいのはお前たちの研究のデータなどではない。レギウス因子の分析をお前たちに任せるにあたって、日本政府からそれに関連する機密情報の提供があったはずだ。その中に『レ号計画』に関するものも含まれていたのではないかと思ってな」

 

『レ号計画』――その言葉を聞いた途端、恐怖に蒼ざめていた靖尚の顔から更に血の気が引いてゆく。

 

「し……知らん! 一体何の話だ? 国から預かったシークレットファイルの中にそんなものはなかったぞ。見当違いな脅迫はやめて、早く妻を放してくれ!」

 

「嘘があまり上手ではないようだな。霧崎院長。シラを切るならご婦人には痛い思いをしてもらうことになるぞ」

 

「うっ……」

 

 クラブレギウスの鋏の先端が聡美の首に触れる。だがその時、院長室の入口の扉が音もなく開き、外から一本の冷たい氷の矢が飛んできてクラブレギウスの手首に突き刺さった。撃たれたクラブレギウスは捕らえていた聡美を放し、負傷した手を庇いながら怯んで後ずさる。

 

「あっ……!」

 

「麗香……!」

 

 振り返った靖尚と聡美は思わず息を呑んだ。開かれた扉の前に立っていたのは娘の麗香が変身したイーグレットレギウスだったのだ。

 

「現れたな。邪魔者め!」

 

「許さないわ……!」

 

 軽やかに室内を滑空して突進したイーグレットレギウスとクラブレギウスは二人の目の前で激しい格闘を繰り広げ、やがて取っ組み合いながら部屋の窓ガラスを突き破って外の駐車場へと落下するように飛び降りていった。