EPISODE21『美しき転校生』

 

 朝。安土江星高校。

 生徒たちが順次登校してきて徐々に賑やかになってゆく2年B組の教室の中で、窓側の一番後ろにある黒津耕司の席だけは今日も無人のままである。

 

「耕司くん、学校来ればいいのにな……」

 

 天徳神社で他校の不良に捕まっていたのを耕司に助けられた昨日の出来事を思い出しながら、稲垣千秋は長らく使われていないままの彼の机を見つめて少し寂しそうに言う。

 

「あいつなあ……。ワルを気取ってるけど、根はいい奴だし実はかなり真面目っぽいような印象もあるんだけどな」

 

 獅場俊一も千秋に同調してそう言った。千秋の知る限り、耕司は小さい頃から確かに義理堅く誠実な人で、気性が荒いところはあっても無闇な暴力や弱い者いじめを楽しんだりは絶対にしなかったし、勉強も決してできない方ではなかった。だが謎のムカデのレギウスに襲われて両親を殺され、妹も不治の病に冒されて復讐を決意して以来、全ては変わってしまったのだ。

 

「はい! みんな座って~!」

 

 ホームルームが始まる時刻。担任教師の望月叶苗が教室に入ってきて、立ち上がって騒いでいた生徒たちに大きな声で着席を促す。

 

「転校生を紹介します。どうぞ入って!」

 

 望月がそう言うと、眼鏡をかけた美人の外国人女性がドアを開けて教室に入ってきた。その思わず息を呑むような美貌に(主に男子生徒たちから)どよめきが起こる。

 

「Goedemorgen(フッデモルヘン)! オランダのユトレヒトから来ました。ウィルヘルミナ・デ・フリースです。よろしくお願いします! 名前はちょっと長いので、ミーナって呼んで下さい」

 

 ウィルヘルミナが明るく流暢な日本語でそう言ってウインクすると、またも湧き起こる男たちの歓声。更に彼女は、日本人の心をがっちりと掴むキャッチーな自己紹介を口にした。

 

「私、来日前からずっと日本文化に憧れていました。日本のアニメやゲームや音楽が大好きです!」

 

「おお~っ!!」

 

 こうなるともはや只事ではなかった。ウィルヘルミナはたちまち2年B組のクラスを席捲して大人気となる。

 

「オタク文化は国境を越える、って奴だね。話が合いそうだな~」

 

 同じくオタク系でゲーム愛好家でもある永原祐樹がそう言うと、鯨井大洋も、

 

「凄え綺麗な子がうちのクラスに来たもんだな~。いかにもオランダかドイツ辺りにいそうなゲルマン系美女って感じだぜ」

 

 とウィルヘルミナの容姿に感嘆する。

 

「これは学校中のアイドルになりそうな予感だな。欧米の白人美少女って、まさに日本の男の憧れじゃん……って、痛い痛い痛い」

 

 教室の窓側の席――空いている耕司の隣の席に座ったウィルヘルミナを目で追いながらそんなことを呟く俊一の耳を、横から思い切りつねる千秋であった。

 

「もうっ! 目移りしないの!」

 

「いや分かってるよ。別にそういう目で見てるわけじゃないけどさ……」

 

 それでも、ウィルヘルミナのキュートな美しさには周囲の視線を自然と引きつけてしまう魅力がある。この日以来、俊一の他にも彼女持ちの男子生徒らが事あるごとにあちこちで、「痛っ!」とか「ぐはぁっ!」といった悲鳴を上げ、ガールフレンドたちが放つ怒りと嫉妬の一撃に悶えるようになった2年B組であった。


「ここが音楽室。その隣が家庭科室よ。この階の水飲み場とトイレは一番奥にあるわ」

 

「ふむふむ。ありがとう。Dank u(ダンク ユー)!」

 

 放課後、転校してきたばかりのウィルヘルミナに校内を案内して回る千秋。グラウンドに出ると、サッカー部の俊一がユニフォーム姿で試合形式の練習を始めようとしているところであった。

 

イラスト提供:おかめの御前

人物イラスト:かげか

背景:こだまのページ別館様 http://www.dia.janis.or.jp/~kodamax/

サッカーボール:イラストAC・ようすけ

 

 

「キャ~! 格好いい! 獅場くんサッカー部なんだね!」

 

「ああ、そうだよ。まだ補欠だけどな」

 

 赤と黒の縦縞のユニフォームがよく似合う俊一に、黄色い歓声を上げて駆け寄るウィルヘルミナ。それまでずっと親切でフレンドリーにウィルヘルミナと接していた千秋が、それを見てムッと顔をしかめる。

 

「私、サッカーも好きでよく観るんだ。ユトレヒトにも結構強いチームがあって、家はスタジアムの近所だったから、年に何回かは応援に行ってたの」

 

「そうなんだ。やっぱりヨーロッパってサッカーの本場だしな。オランダのサッカー、俺も一度でいいから生で観戦してみたいな」

 

「むむ……! ミーナさん、かなり手強い……」

 

 ウィルヘルミナは明らかに千秋よりもサッカーに詳しく、俊一ともより深く突っ込んだ趣味のトークができそうな様子。二人の会話が弾むのを見ながら、千秋は面白くなさそうに小さく頬を膨らませた。

 

「でも日本も最近はかなり強くなってきてるでしょ? 何年か前のU-20ワールドカップでは我らがオランダが負けちゃったくらいだし。優勝候補だったのに、あれはガッカリしたな~」

 

「U-20ワールドカップまで観てるのか……。それはもう本格的なサッカーファンだね。あの逆転勝ちは日本人としては燃えたな~」

 

「そうそう。あの試合でさ、最後にロングシュート決めた凄いストライカーがいたじゃない? えっと、誰だっけ……?」

 

「ああ、鈴見樟馬選手のことかな。あれは凄かったよな」

 

 若いスター選手の登竜門と言われるU-20(=20歳以下)ワールドカップ。その準々決勝のオランダ代表との試合で、世界を驚かせる見事な決勝ゴールを決めて日本代表を勝利に導いたのが鈴見樟馬だった。

 あの大会での活躍で次代の日本サッカーを担う新星として注目を集めた樟馬だったが、まさにこれからという時に忽然と姿を消すようにして引退し、今は人知れずドラゴンレギウスチームの一員となって戦っている。

 

「ねえ、そのスズミっていう選手って、今どこのチームにいるの?」

 

「えっ……? いや、もう引退しちゃったんだよ。あの大会の後すぐにさ」

 

「え~っ何で? あんなに凄い選手だったのに。もしかして、選手生命に関わるような大ケガでもしちゃったとか? 今どこでどうしてるの?」

 

「ええっと、それは……」

 

 樟馬の引退の真相や現在については勝手に口外するわけには行かない。ウィルヘルミナに興味津々で樟馬のことを質問されて困惑する俊一。そこに千秋が怒った声で割って入り、グラウンドの方を指差して言った。

 

「俊一! もうみんな集まってるわよ。早く練習に行ったら?」

 

「あ、ああ。そうだな。ごめんミーナさん。それじゃ」

 

 グラウンドの中央に集合している他の部員たちの元へ、そそくさと走り去っていく俊一。まるで大事なチャンスを逃してしまったかのように、ウィルヘルミナが残念そうに小さく首を振ったのが千秋には妙に気になった。


「だからゴメンって。悪かったよ。頼むからそろそろ機嫌直してくれよ」

 

「別に怒ってなんてないわよ!」

 

 部活動も終わった下校の時間。俊一がウィルヘルミナと仲良く会話していたのに嫉妬して、すっかり機嫌を損ねてしまった千秋は頬を膨らませながら早足で歩く。

 

「ちょっと急ぎの用事があるの。ついて来ないで!」

 

「ええっ……(汗」

 

 俊一を振り切って一人で向こうへ歩いて行ってしまった千秋。困惑しながらその背中を立ち止まって見送っていた俊一が、やっぱり後を追い駆けなければと走り出そうとしたその時、快活でヤンチャそうな少年の声が上から聞こえてきて彼を呼び止めた。

 

「放っときなって。俊一兄ちゃん。姉ちゃんのヤキモチなんて、いちいち構ってたら身が持たないよ」

 

「健斗!」

 

 街路樹の上からこちらを見下ろしていたのは千秋の弟・稲垣健斗であった。3メートルはある高い桜の木の上から身軽に飛び降りて歩道のアスファルトに着地した健斗は、二人の愉快な恋愛模様を面白がるように笑いながら言った。

 

「それよりさ、あの外国人の新しい彼女がどこにいるのか探しに行きなよ。きっと会いたがってるぜ」

 

「お前な……。ちょっと仲良く喋っただけで彼女じゃないって言ってるだろ。こじれたりしたら大変なんだから、からかわないでくれよ」

 

「ま、そうだろうね。いくら美人だからって、あんまり物騒な裏事情のありそうな人と付き合ってたら命がいくつあっても足りないもんね~」

 

「どういう意味だ? 健斗」

 

 健斗は何か重大なことを自分に教えようとしている。ただ冷やかしに来たわけではないのを悟った俊一が身を乗り出して真意を訊ねると、健斗は待ってましたと言わんばかりに得意気に自分が持ってきた情報を語り出した。

 

「何かおかしな連中があのお姉さんの周りをずっとウロウロしてる。ゼルバベルなのかどうかはまだ不明だけど、多分レギウスもいるよ。もしかしたら悪い奴らに狙われてるのかもね。どう? 俺が調べた情報、役に立つだろ?」

 

「ああ。さすが健斗だよ。もしかして岳玄先生の指示で調査してるのか?」

 

「そうだよ。最近、何か色々と不穏だって爺ちゃんは言ってるからね。外国のヤバい奴らも大勢こっそり密入国してて、また近い内にどこかで大きなテロとかがあるかも、ってさ」

 

「なるほどな。情報サンキュー! 助かったよ。でもな健斗」

 

「……何? 俊一兄ちゃん」

 

「ミーナさんより、やっぱり千秋の方に俺は行くべきだと思うんだ。だって俺の彼女はミーナさんじゃなくて千秋だし、今、先にピンチになりそうなのはそっちだしさ」

 

 明るい笑顔でそう言った俊一に、健斗は不思議そうな顔をする。

 

「ピンチって、どういうこと?」

 

「聞こえるんだよ。レギウスになるとな。お前の言う、この辺をウロウロしてるヤバい奴らの声がさ」

 

 自分の耳たぶを軽く指で叩いてみせた俊一は、まだキョトンとしている健斗をその場に残して千秋が歩いて行った方向へ駆け出した。


「もう! 俊一ったら!」

 

 ふて腐れた顔をしながら一人で道を歩いていた千秋は、道幅の広い国道に面したガソリンスタンドの前を通りがかった。反対車線には一台の街宣車が停まっており、この安土を地盤とする政治家が人々に向かってメガホンで街頭演説している。

 

「我々人類の脅威となっている、人ならざる怪物であるレギウスとは一切の妥協なく戦って行かなくてはなりません! そのためのレギウス措置法の制定を、我がR国党は全力で推進して参ります!」

 

「レギウスから国民を守る党」略称:R国党。既に日本でも多数の被害が出ているレギウス問題への早急な断固たる対応を掲げ、最近になって旗揚げしたばかりの新党である。減税か増税か、経済や外交の問題をどうするか、憲法は改正すべきか否か等、他にも数多くある争点は全てスルーして対レギウスのみに公約を絞ったいわゆるワンイシュー型の政党で、今回の総選挙でも見事に1議席を獲得し国政に乗り込んできたラディカルで血気盛んな新興勢力であった。

 

「人ならざる怪物、か……。この党がもし与党になったりしたら、俊一も逮捕されちゃうのかな」

 

 混迷する不安定な時代にはバランスの取れた正論よりも鋭く尖った極論が持てはやされ、人々はよりシンプルで力強い意見を求めるようになるという。このようなニッチな新党が誕生してすぐにいきなり政権を取るのは考えにくいとしても、こうした主張が出てくること自体が人々のレギウスに対する恐れの表れであり、今の世界の一つの流れなのかも知れないと千秋は思う。

 

「……きゃっ!?」

 

 急に道路から右折してガソリンスタンドに入ってきた一台の車が、歩道にいた自分のすぐ前を猛スピードで横切ったので驚く千秋。乱暴にガソリンスタンドの中へ乗り込んだその黒い乗用車は、給油をしようとする様子もなく店の中央辺りの位置で急ブレーキをかける。

 

「千秋!」

 

「えっ、俊一!?」

 

 唖然とする千秋の体を後ろから抱えるようにして持ち上げたのは、俊一が変身したライオンレギウスであった。戸惑う千秋を両腕に抱いたまま大ジャンプし、素早くその場から離れるライオンレギウス。次の瞬間、ガソリンスタンドの中で先ほどの黒い車が爆発した。

 

「うわぁっ! 何だ!?」

 

「テロだ! 爆弾だぞ!」

 

 車に積まれていた爆弾が起動し、周囲のガソリンに引火して大爆発が起きる。たちまち辺りは火の海となり、街宣車に乗っていた議員やウグイス嬢たちも、街頭に集まって演説を聞いていた市民たちもパニックに陥った。

 

「やっぱりな。間に合って良かった」

 

「俊一……」

 

 健斗と会話しながら、千秋のことが心配で耳を澄ませて遠くの様子を窺おうとしていた俊一は、ガソリンスタンドに車を突っ込ませて爆破するというテロ犯たちの会話をレギウスの聴力で耳にし、千秋を助けるために変身して駆けつけたのである。

 間一髪で命拾いした安堵と俊一が来てくれたことの嬉しさで、千秋は先ほどまでの不機嫌もすっかり忘れ、爆風から自分を庇うように覆い被さってきたライオンレギウスの腕に抱きついた。

 

「自爆テロ……かしら」

 

「いや、自爆はしてないな。犯人は生きてる」

 

 千秋を腕から離れさせ、ライオンレギウスは両手の鋭い爪を爆発が起きた方向に向けて構えた。炎の中、大破した車のドアを破って運転席から降りてきた魚人のような不気味な怪物が、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 

「グォォォ……!」

 

 黒い装甲に覆われたスズキの魔人・ブラックバスレギウスは、炎上するガソリンスタンドの業火を物ともせず、道路の反対側に停まっている街宣車をぎろりと睨みつけたのであった。