第19話『恩讐の忍者合戦』

 

安土市郊外。
琵琶湖の畔に佇む一軒の小さなログハウスは、とある有名な画家の住まいである。
小西李苑、30歳。
細やかな描き込みと鮮やかな色使いを特色とする絵師で、
つい先日も東京と福岡で開かれた展示会がどちらも大盛況に終わるなど、
近頃人気を博するようになってきた若手の鬼才だ。

 

「う~ん、今日はいまいち集中できないな。
 やっぱり気がかりなことが他にあると、どうにも上手く描けない」

 

一日中、琵琶湖を眺めて絵を描けるということで購入したこの住居だったが、
今は残念ながらあまり良いインスピレーションが湧いてこない。
いまひとつ筆の乗らないスケッチを途中で切り上げ、
ベランダから家の中へと戻った李苑はカーテンを閉めると、
ソファーに座って居間の壁をじっと見つめた。

 

「…小西様、こちら苅部睦月。
 作戦準備が整いました。間もなく出動します」

 

暗い室内の壁に突如、四角いスクリーンのような光の壁が浮かび上がり、
黒い忍者装束を着た男の顔がその中に映る。
驚く素振りもなく、李苑はソファーの上で足を組んで寛ぎながら、
現れた画面の中の相手とまるでテレビ電話のように会話を始めた。

 

「ああ、了解。しっかりやってくれ。
 ダムが火を噴いて崩れる様子といい、水浸しになった町の景色といい、
 きっと素晴らしい絵になるだろうな」

 

「芸術は爆発だ、と申しますからな。
 小西画伯に描いていただくに相応しい、
 極上の美しい光景を作り出すことをお約束致します。
 ダムの周辺に暮らす市民らにとっては、悲惨な地獄絵図となるでしょうが」

 

そう言ってスクリーンの中で残酷な冷笑を見せた青年は、
魔人銃士団ゼルバベルの忍者部隊の組頭・苅部睦月。
かつて甲賀を裏切った苅部四人衆の長男で、
今はゼルバベルの諜報工作に得意の忍術を活かしている男だ。

 

「ところで、人質の調達の方は上手く行ったのかい?
 僕としては岐阜で起こる洪水よりも、そっちを描く方が楽しみなんだけどな」

 

「抜かりなく。我が弟の師走が拉致に成功したと、
 たった今こちらに報告がありました。
 獲物は私も昔からよく知っている者ですが、なかなか器量のいい小娘ですよ」

 

「それは嬉しいね。じゃあそっちの作業が終わるまで、
 僕はその人質の所へ出向いてゆっくりスケッチでもしていよう。
 爆破時刻になったらまた連絡してくれ」

 

「心得まして候」

 

睦月が一礼すると、彼を映していたスクリーンは光の粒となって消滅した。
魔法で生成された中継映像で岐阜とのやり取りを終えた李苑は立ち上がり、
画材道具一式と車のキーを持ってガレージへと向かう。

 

「破壊こそ最高の芸術だ。平和で退屈な日常の風景なんかよりも、
 ずっと描き甲斐のあるエキサイティングなテーマって奴さ」

 

若く軟派な売れっ子画家の正体は、世界征服を目論むゼルバベルの大幹部。
今回の西濃ダム爆破計画の指揮官を任されていた李苑は車のアクセルを踏み込み、
ラジオから流れる音楽を口ずさみながら同じ安土市内の観音寺町へ向かった。


「作戦開始の時刻だ」

 

岐阜市近郊。長良川の畔にあるゼルバベルのアジトで、
安土にいる李苑との通信を終えた睦月はそう言って部下たちを促した。

 

「爆弾の準備は万端です。兄上」

 

「日本政府と主要テレビ局へ送りつける動画も、
 いつでも送信できるように用意が整っております」

 

苅部四人衆の次男・葉月がアタッシュケースに爆弾を詰め込み、
長女の弥生はタブレット型の小型コンピューターを操作して、
犯行声明の動画が収められたファイルを確認する。
爆弾をここから密かに車で運び出して西濃ダムに仕掛け、
爆破後にビデオメッセージを発信してゼルバベルの恐ろしさを世間に知らしめる手筈だ。

 

「では参るぞ。この高性能爆弾で西濃ダムを破壊し、
 付近の町や村を一挙に流し去って壊滅させる。
 濃尾平野を洗い流す大洪水の轟音が、
 偉大なるゼルバベルの世界征服の始まりを告げる序曲となるのだ!」

 

睦月が高らかに言ったその時、葉月が持っていたアタッシュケースに、
どこからか飛んで来た一枚の手裏剣が突き刺さった!

 

「そこまでだ! 苅部兄弟!」

 

「ムッ、来たか稲垣の奴らめ!」

 

アジトの中へ疾風の如く乗り込んで来たのは、
計画を知って安土から駆けつけた稲垣岳玄と敦、尹小鈴、
そしてチャンウィット・タンクランの四人であった。

 

「苅部睦月! わしが教えた秘伝の忍術を、
 平和を乱す悪事のために用いるのは許さぬぞ!」

 

「やはり嗅ぎつけたか、岳玄。
 だが、貴様らが邪魔しに来るのもこちらは計算済みだ。
 作戦の前祝いに血祭りに上げてくれる! 者ども出合えい!」

 

睦月が叫ぶと、大勢の下忍たちが雪崩れ込んできて岳玄らを取り囲んだ。
いずれも苅部四人衆と共に甲賀を脱退した、岳玄の昔の弟子たちである。

 

「愚者になり果てたな、我が教え子たちよ…」

 

仁王立ちの姿勢のまま、悲しげにゆっくりと目を閉じる岳玄。
隙ありと見て下忍の一人が勢いよく斬りかかったが、
岳玄は背中の忍刀を抜くこともなく、瞑目したまま裏拳の一発でこれを昏倒させた。

 

「愚かなのは貴様の方だ。岳玄!
 貴様のような気概の涸れ果てた世捨て人に従っていては、我らの力は宝の持ち腐れよ」

 

「その通り。世界を統一して新秩序を築こうというゼルバベルの大志こそ、
 鍛え抜いた私たちの忍術を捧げるには相応しいわ」

 

葉月と弥生が、かつての師である岳玄を痛罵する。
彼らは「俗世や政治には関わらぬ」という岳玄の方針に反発し、
自分たちの力で世の中を変えて行こうと、
世界征服を企むゼルバベルの思想に共鳴したのである。

 

「我ら忍者は世を忍び、影となりて生きるもの。
 日向の世界を変えようなどと出過ぎた真似をすれば如何なる災禍を招くか、
 これまでの歴史が教えているではないか」

 

「黙れ! 過去に囚われた老害の時代は今ここで終わるのだ。
 かかれ者ども! 稲垣一族を皆殺しにしろ!」

 

怒声を上げて忍刀を振り上げた睦月は唸り声を発しながら全身の気を高め、
燃えるような光に包まれて獰猛なジャガーの怪人に変身した。

 

「グォォォ…! 見たか岳玄!
 今の俺はゼルバベルの銃士の一人・ジャガーレギウスだ!
 レギウスへの進化を遂げた俺を、貴様のような老いぼれが止められるか?」

 

「………」

 

動揺をわずかにも見せることなく、無言のままじっと立ち尽くす岳玄。
それを横目に、敦は襲ってきた大勢の下忍たちを引きつけて薙ぎ倒し、
小鈴は弥生を、チャンウィットは葉月を対戦相手に選んで激しく斬り合う。

 

「ぬっ! 貴様ら、さては日本人ではないな?」

 

「気をつけて、葉月。動きも純粋な甲賀流武術とは少し違うようだわ」

 

小鈴とチャンウィットの顔つきや動作を見て、
不審に感じた弥生と葉月は警戒して咄嗟に後ろへ飛び退った。

 

「俺はタイ人でね。ムエタイを嗜んでるんだ」

 

「私はチャイニーズよ。今の技はカンフーのもの」

 

母国の格闘技をそれぞれ得意とする小鈴とチャンウィットは、
カンフーやムエタイと忍術を組み合わせた独特の戦い方を見せる。
相手は自分たちも元いた甲賀流ということで、
動きの特徴を分かったつもりでいた弥生と葉月は敵の想定外の戦い方に意表を突かれた。

 

「フン、異国の弟子を取るとは、岳玄も老いて耄碌したか。
 いくら教えても、外国人などに日本の忍法の極意が分かろうはずもない。
 下らん猿真似はやめておいた方が身のためだぞ」

 

「あ~、そういうことを言ってくる奴らには、
 言葉よりも実力で見返せって頭領に教わってるんだ」

 

「面白い教えね。ならば今すぐ実践してみせなさい」

 

「そうね。遠慮なく!」

 

カンフーやムエタイの蹴り技を織り交ぜた戦法に最初こそ翻弄された弥生と葉月だが、
元より忍者としての熟練度や経験値は彼らの方が数段上である。
すぐに攻撃パターンを把握して的確に対応してきた弥生と葉月に、
小鈴とチャンウィットは苦戦し徐々に押し返されてゆく。

 

「どうした睦月。かかって来んのか」

 

「ぐぬ…!」

 

一方、岳玄と睨み合っていたジャガーレギウスは、
まるで金縛りに遭ってしまったかのように動けずにいた。
レギウスとなった今の自分ならば岳玄など簡単にひねり潰せる…。
頭ではそう考えていても、無意識にかつての師を畏怖してしまっている。

 

「今の俺に恐れるものなど何もない!
 喰らえ岳玄! これで貴様も消し炭だ!!」

 

臆する心を振り払い、ジャガーレギウスは掌からの光弾で岳玄を狙った。
人体に当たればたちまち蒸発させてしまう、超高熱を帯びたエネルギーの塊である。

 

「つぉぉッ!!」

 

叫びと共に素早く忍刀を抜いた岳玄は飛んできた光弾の軌道を見切り、
刀を横薙ぎに振るって光弾に叩きつけた。
野球のバットで打たれたかのように跳ね返された光弾はジャガーレギウスの右肩を掠め、
灼熱のエネルギーが装甲を焼き溶かして白煙を上げさせる。

 

「グッ…おのれ岳玄!」

 

「未熟者ほど己が力に溺れる。まだまだ修行が足りぬぞ睦月!」

 

怯むジャガーレギウスに向かって敢然と言い放ち、
ゆっくりと足を踏み出して迫ってゆく岳玄。
だがその時、彼らの横で下忍たちと戦っていた敦が声を上げた。

 

「苅部四人衆…。末っ子の師走がいないぞ!?」

 

四兄弟の末弟・師走の姿がどこにもないことに、敦は気づいて不審に感じたのである。
その言葉に、ジャガーレギウスはにやりと笑った。

 

「ようやく気がついたか。
 我が弟には貴様らのアキレス腱を押さえに行ってもらった。あれを見ろ!」

 

ジャガーレギウスの指先から一筋のビームが飛び、
その光が空中に広がって長方形のスクリーンを生成した。
先ほども安土にいる李苑との通信に使用していた、
レギウスの魔力で離れた場所と中継を繋ぐという時空魔法の一種である。

 

「岳玄よ、貴様の孫娘は預かった。
 こいつを殺されたくなければ潔く降伏しろ!」

 

スクリーンに映ったのは苅部四人衆の末弟・師走と、
縄で縛られて口に猿轡を噛まされた千秋の姿であった。

 

イラスト:たすたすたす

 

「ううっ、くぅ~っ!」

 

魔法で作り出されたスクリーンの中で、何とか声を出そうと必死にもがく千秋。
彼女のすぐ近くには爆弾が置かれている。
さしもの岳玄や敦も、これには声を失った…。

 

「しまった…! 千秋!」

 

「フフフ、さあどうする岳玄! 孫娘の命が惜しくないのか!」

 

爆弾の起爆スイッチを画面にかざして指をかけながら、
師走は兄と同じネコ科の野獣を模した怪人の姿に変身する。
オセロットの力を持った超戦士・オセロットレギウスの咆哮が、

スクリーンを通して岐阜の岳玄らの元に響いた。


「千秋…。どこへ行ったんだ」

 

通話中、突然悲鳴を上げて音信不通になった千秋を心配して、
すぐに家を飛び出した俊一は千秋の家がある安土市の観音寺町に来ていた。
もう学校の授業が始まっている時間だが、そんなことを言っている場合ではない。

 

「戦うのは控えるって言った矢先だけど、やっぱりダメだな」

 

こうした事件は警察かブレイバーフォースに任せて、
自分がレギウスの力で解決を図るべきではないのかも知れない。
そんな話をしたばかりではあるが、大切なガールフレンドの身に危機が迫っているのに、
自分にできることを何もせずにいるなどというのは俊一には到底無理な話だった。
とにかく、一刻も早く千秋を助けること。今の彼が考えているのはそれだけだ。

 

「どこにいる? 千秋…」

 

目を閉じてじっと精神集中した俊一は、周囲の物音に耳を澄ます。
レギウスに覚醒してから使えるようになった魔法の一つで、
魔力によって一時的に聴覚を強化し、遠くの小さな声や音まで聞き分けることができるのだ。

 

「この音じゃない。これも違う…」

 

小学校の児童たちの元気な歓声、ゲームセンターやパチンコ店の喧騒、
遠吠えする飼い犬の鳴き声、国道を無数の車が行き交う走行音…。
耳に入ってくる様々な無関係の雑音を選別してカットし、
千秋を探す手がかりとなる音声を必死に探す俊一。

 

「…フフフ、孫の命が惜しいか岳玄。
 稲垣千秋を解放してほしければ、直ちに降伏しろ!」

 

1キロメートルほど向こうから、そんな誰かの声が聞こえてくる。
これだ! と俊一は思わず拳を握った。

 

「誘拐されて、人質に取られてるのか…?」

 

千秋の声は聞こえないが、会話の内容からして状況は明らかに切迫している。
俊一はレギウスの力でアップした脚力で全力疾走し、
常人離れした猛スピードで現場へと向かった。