第18話『影の一族・甲賀忍軍』

 

「お父さん! お帰りなさい!」

 

「父ちゃん、急にどうしたの?」

 

「おお千秋、健斗。こんな遅くに待っててくれたのか。済まんな」

 

夜の10時を過ぎた頃。
既に閉店していた上総堂の暖簾を潜って店に入ってきたのは、
千秋と健斗の父親で岳玄の息子・稲垣敦であった。

 

「敦。ご苦労だったな。
 お前の好きな月見そばが出来ておるぞ。まずは食べろ」

 

「おう親父、ありがと。腹減ってたんだ~」

 

疲れた様子で店のカウンター席に腰を下ろし、
岳玄が出してきた月見そばをかき込むようにして遅い夜食を取る敦。
アルバイトの仕事を終えて一休みしていた千秋、
敦が来ると聞いて店で待っていた健斗が左右に座り、久々の親子の会話に花が咲く。

 

「これ、横浜のお土産のカステラとシューマイだ。
 明日にでも二人で一緒に食べなさい」

 

「わ~い、ありがとう父ちゃん!」

 

敦は全国にチェーン店を持つラーメン屋「天正軒」の社長で、
日本中の店舗を常に忙しなく視察に回っているため、
安土にある稲垣家の自宅は留守にしがちで、
父の岳玄が作ったそばを食べる機会も滅多にない。
今回も東京や横浜の各支店を巡って現場に指示を与えるなどし、
社長の仕事をハードにこなしてきたばかりである。

 

「ごちそうさまでした!
 親父、ちょっとそばの味が変わったな。前よりも美味くなったよ」

 

「そば作りの道も追い求めれば果てしなきものだからな。
 日々進歩、精進あるのみよ。それより…」

 

「ああ。そろそろ仕事の話に移ろうか」

 

仕事の話――。
父の口からこのワードを聞いた千秋はすぐに察して席から立ち上がり、
置いてあった荷物を持って家に帰ろうとする。

 

「ねえ父ちゃん、俺も会議に混ぜてよ。
 修業して、もう結構腕を上げたんだぜ」

 

「ダメだ。まだお前には早いよ。
 もう夜も遅いし、家に帰って寝なさい」

 

「ちぇっ、つまんないの~!」

 

「ワガママ言わないで。さ、帰るわよ」

 

ふて腐れた顔で不平を言う健斗の手を引き、そそくさと店から出て行く千秋。
子供たちを家に帰した後、小鈴とチャンウィットが用心深く戸締りを確認し、
店の全ての窓を閉めてカーテンを下ろす。

 

「セッティング完了です」

 

上総堂の窓は全て、銃弾でも割れない強化ガラスでできており、
カーテンも内部の声を決して外に漏らさない遮音用の特殊素材が使われている。
単なるそば屋にしては異様に厳重すぎるセキュリティを施された店内は、
ここから全く別の顔を見せるのである。

 

「では父上、注進申し上げる」

 

それまで岳玄のことを「親父」とフランクに呼んでいた敦が、
急に姿勢を正して畏まり、古風な言葉遣いで報告した。

 

「ゼルバベルは既に次の作戦に向けて動き出しているようだ。
 我が天正軒の名古屋・熱田支店で勤務する従業員の下忍が、
 西濃ダムを爆破して付近に大洪水を起こそうという奴らの計画を察知した」

 

「我ら忍びの使命は、影となりて悪を討つこと。
 甲賀忍者の総力を挙げ、奴らの非道を阻止せねばならん」

 

厳かにそう言った岳玄の正体は、実はこの現代に生きる忍者にして、
甲賀の忍びたちを率いる甲賀一族の頭領なのである。
息子の敦も、やがては父の跡取りとなる甲賀流宗家の御曹司。
江戸時代が終わり、日本の近代化と共に消滅したかに思われていた忍者だったが、
人も知らず世も知らず、この21世紀にも未だ存在し続けていたのだ。

 

「西濃ダムというのは、今年になって完成したばかりの、
 岐阜県の西側に建設された大型ダムですね」

 

「これがもし破壊されたら、濃尾平野にある多くの町が水浸しになってしまうわ」

 

チャンウィットと小鈴が、そう言って顔を見合わせる。
タイと中国の出身であるこの二人も、甲賀流が史上初めて受け入れた外国人の門下生で、
厳しい修業の末、今では日本人にも引けを取らない立派な忍者となっている。

 

「更に、これは同じ愛知の岡崎支店にいる配下の者の調べだが、
 今回のダム爆破作戦を指揮しているのは苅部睦月。
 かつて我ら甲賀を裏切ってゼルバベルに組した、あの苅部四人衆の長兄だ」

 

全国各地に支店を持つラーメン屋である天正軒は、
実は従業員に数多くの甲賀忍者を抱えており、
日本中に散らばった彼らが集めてくる情報が、
社長で甲賀の指揮官でもある敦の元に集積されるシステムとなっている。
岐阜のダムを狙った今回のテロも隣県の店舗にいる下忍らの調べで分かったものだが、
特に岡崎の忍びが掴んできたのは重大な意味を持つ凶報であった。

 

「苅部四人衆…。かなりの強敵ですね」

 

「僕らは直接、相対したことはまだないですが、
 伊賀など他の流派からも恐れられている凄腕の忍者たちだと耳にしています…」

 

小鈴もチャンウィットも、敵の名を聞いて思わず戦慄する。
苅部四人衆、または苅部四兄弟とは、
忍びの世界では名を馳せている元甲賀のエリート忍者集団である。

 

「苅部の兄弟か…。
 素質あふれる良い子供たちだったが、わしの育て方が悪かったのか、
 せっかくの才能を斯様な悪事に用いるようになってしまったのは遺憾の極みよ」

 

「いや、父上の責任ではありますまい…」

 

心痛をぐっと噛み締めるかのように岳玄は目を閉じた。
長男の睦月、長女の弥生、次男の葉月、三男の師走の四人は、
いずれも幼い頃から岳玄が忍術を教え育ててきた愛弟子で、
並外れた才能を持つ優秀な忍者たちだった。
だが、成長した彼らは頭領である岳玄のやり方にやがて反発するようになり、
別のリーダーに付き従って甲賀衆を離脱、あろうことか悪の軍団ゼルバベルに加わったのである。

 

「四人の内、長兄の睦月と末弟の師走は既にレギウスに覚醒しているとの情報もある。
 忍法だけでなく超人的な魔力も手に入れているとなると、
 なかなか厄介な相手になる…」

 

「とは言え、手をこまねいて見ているわけにも行きませんね。
 若。奴らのアジトはどこなんですか?」

 

「ターゲットの西濃ダムから、そう遠くない場所だ。
 岐阜市の北、長良川の上流の森の中にゼルバベルの秘密基地があり、
 ダムを爆破するための高性能の小型爆弾をそこで製造している」

 

忠実な部下であるチャンウィットからの問いに答えつつ、
敦はテーブルの上に地図を広げて場所を指し示した。

 

「既に爆弾は完成していると見て間違いない。
 犬山支店に属する忍びが調べたところによれば、作戦決行は明日の正午」

 

「時間がないわけですね。テロの準備はもう万端整っているはずだわ」

 

小鈴の言葉に重々しくうなずいた岳玄は、
やがて意を決したように威厳のある声で言った。

 

「直ちに岐阜へ向かい、爆弾が運び出される前に奴らの基地に斬り込みをかけるぞ。
 甲賀秘伝の忍法を悪のために使おうとする不届き者たちを、
 決して許してはおけぬ」

 

今回こそは、道を踏み外した昔の弟子たちを涙を呑んで斬らねばならない。
悲痛な思いを胸に秘めながらも、決然と宣する岳玄の心に迷いはもはやなかった。

 

「行くぞ。警察や地球防衛軍の助太刀も無用。
 闇に堕ちた甲賀忍者の始末は、我ら甲賀忍者の手でつける…!」

 

岳玄、敦、小鈴、チャンウィットの四人は戦闘準備を整え、
夜の内に安土を出て長良川のゼルバベル基地へと急行した。


翌朝。早くに目が覚めてしまった千秋は、
祖父の岳玄と父の敦がどちらも家にいないことに気づいた。

 

「お父さんもおじいちゃんも、出かけてるのかな…」

 

ゼルバベルのダム破壊作戦を阻止するため、
祖父たちが昨夜の内に岐阜へ向かったことは、
軍議に参加していなかった千秋や健斗には一切知らされていない。

 

「もう眠れないし、ちょっと運動してくるかな」

 

パジャマを脱いで着替えた千秋はボールを持って近所の公園へ行き、
学校へ行く前にバスケットコートを使って遊びがてらの練習をすることにした。
安土江星高校の女子バスケットボール部に所属している千秋は、
小さい頃からバスケが大好きなのである。

 

「う~ん、集中できないなぁ…」

 

得意なドリブルからのシュートを打ってみるが、なかなか上手く入らない。
ゴールの前に立ってフリースローを投げても、惜しいところで外れてばかり。
昨日から俊一のことで気を揉んでいてどうにも落ち着かず、
メンタルが不安定気味になっているのがミスを連発している原因だろう。

 

「ま、ボーイフレンドが困ってるこんな時に、
 気にせず完璧に集中できちゃう方が女としては問題かもね」

 

そんな理屈をつけて仕方ないと自分を納得させつつ、
足元に転がってきたボールを拾い上げる千秋。

 

「やっぱり正直に話すべきなのかな。
 おじいちゃんたち甲賀忍軍なら、俊一をしっかりサポートしてくれるはずだし」

 

千秋は甲賀一族の頭領の孫として生まれた身だが、
岳玄は孫の千秋には、「この子は血で血を洗う残酷な忍びの世界には入れたくない」と、
敢えて忍者として育てようとしなかったため千秋に忍びの心得はない。
千秋としても忍者になりたいという希望などはなく、
普通の一市民として平穏に生きる道を望んでいた。
ただ、それでも甲賀流宗家の娘であるのは変わりなく、
千秋が助けを求めれば祖父や父、それに従う大勢の甲賀忍者が力になってくれる。

 

「でも、どう話したらいいんだろう…?」

 

よく考えると、千秋の立場は複雑である。
実家が忍者だというのは当然ながら絶対の秘密で、
例え恋人や親友だろうと決して明かしてはいけないと固く口止めされているから、
「うちは忍者で、俊一を助ける力がある」と簡単に俊一に持ちかけるわけには行かない。
それをするにはまず、父や祖父に事情を話して俊一に正体を明かしてよいか訊ねる必要があるが、
そうすると俊一がレギウスだという秘密を勝手に家族にバラしてしまうことになり、
今度は俊一に対して不義理をする形になってしまう。

 

「そうは言ってもこの状況だし、
 私がまず行動しないと、俊一がずっと苦しむだけかも知れないわね」

 

俊一には少し悪いが、祖父たちが帰って来たら思い切って相談してみるのが、
結果的には最も俊一のためにもなるだろう。
そう考えつつポケットからスマートフォンを取り出した千秋は、
そろそろ俊一も起きている頃だろうと、まずは状況を伺うために電話をかけてみる。

 

「もしもし俊一? おはよ! 今日は学校来れそう?」

 

「ああ、まだちょっと気分が落ち着かないけど、大丈夫だ。
 地球防衛軍に目をつけられてる中で外を出歩くのは、やっぱり怖いけどな…」

 

電話に出た俊一の声は思ったよりは元気そうだったが、
それでもまだ不安げな様子も感じられる。

 

「でも、別にブレイバーフォースに正体がバレちゃったわけじゃないんでしょ?
 もうレギウスには変身しないようにすれば、
 見つかって捕まるようなこともないんじゃないかと思うけど」

 

「そうだな…。それはいい考えだと思う。
 力があるからって正義のヒーローの真似とか、出過ぎたことだったのかもな」

 

平和や人命を守るのは本来ブレイバーフォースの使命であって、
民間人の高校生でしかない俊一が無理に責務を負うようなことではない。
今後は戦いには極力関わらないようにするという千秋の提案は、
ひとまず当面のピンチを凌ぐには適切な対処法かと思われた。

 

「とにかく、どんな状況になっても私は絶対に俊一の味方だからね。
 それだけは忘れないで……きゃっ!?」

 

電話に夢中になっていた千秋は、
背後から音もなく忍び寄ってきた人影に気づくことができなかった。
後ろから肩を掴まれ、濡れたタオルを鼻と口に押しつけられた瞬間、
気持ちの悪い眠気が襲ってきてたちまち気絶する。

 

「千秋? …おい千秋! どうしたんだ? 千秋っ!」

 

短い悲鳴と、落ちたスマートフォンが地面にぶつかる音がして千秋の声が途絶えたので、
驚いて呼びかける俊一だったが返事はない。
やがて何者かが電源を切ったらしく、
通話終了と共に千秋のスマートフォンは一切の反応をしなくなってしまった。

 

「ククク…。甲賀宗家のご令嬢が何とも不用心なものだ。
 老いぼれの岳玄め、これで貴様も終わりだぞ!」

 

睡眠薬を染み込ませたタオルで千秋を気絶させ、
拾ったスマートフォンの電源をオフにして回収したのは、人相の悪い忍び装束の青年…。
もし顔を合わせていれば、千秋にも見覚えがあったはずの人物である。

 

「あれっ? 姉ちゃん!」

 

何やら悩みを抱えているらしい姉にまたイタズラをしようと、
オレンジジュースを入れて膨らませた水風船を持って公園にやって来た健斗は、
自転車を降りた瞬間、停めてあったライトバンに千秋が運び込まれて乗せられる場面を目にする。

 

「あいつは、苅部師走…!」

 

ほんの一瞬、こちらを向きかけた誘拐犯は健斗も知っている顔だった。
苅部師走。小さい頃は千秋と健斗もよく世話になっていた岳玄の弟子の一人で、
今は甲賀を裏切って敵となっている苅部四人衆の末弟だ。

 

「大変だ…! 姉ちゃんが誘拐される!」

 

忍びの世界とは距離を置いて育った千秋とは違い、
健斗は忍者に憧れ、頭領である祖父の元で修業をしている見習いの甲賀忍者である。
走り出そうとしているライトバンに死角から素早く駆け寄った健斗は、
持っていた水風船を投げて車の後部にぶつけた。
風船が割れて中のジュースがナンバープレートを濡らし、
オレンジ色の水滴をぽたぽたと路面に落としながら車は走り去ってゆく。

 

「よ~し、追っかけるぞ!
 甲賀忍者・稲垣健斗の実力、見せてやるぜっ!」

 

自転車に飛び乗った健斗はペダルを漕ぎ、
道路のアスファルトについた水滴の跡を追ってライトバンを追跡した。