第11話『噴火前夜』

 

 ディアグル帝国のサウリア大陸植民地総督でもあるベルティ皇子は、皇帝レオ三世の四男。皇族きっての美男子として知られるが、性格は温厚で品位がありながらも優柔不断、華美や豪奢を好むお坊ちゃま気質で、そのため父帝には後継者候補からひとまず外され、半ば左遷のような形で帝都を追われて海の向こうの植民地へ送られていた。

 

「……ユリアからの書状だって?」

 

 似たような境遇ながらもネデクス島で誇りを持って鎮守府を指揮している妹のユリアとは違い、サウリア大陸に来てからのベルティは己の不遇を儚むばかりで植民地経営には関心がなく、政務をおろそかにして贅沢と遊興にふける毎日。

 シグート族の統治に関してもただ場当たり的な搾取と武力による締めつけをするばかりで、支配を受けている現地の民からの評判はすこぶる悪い。そんな植民地の現状を耳にしたユリアは、1歳年上の兄を諌めるために書状をしたためて送ったのである。

 

「民に対しては慈悲をもって治め、兄上の寛大さと人徳、そして我が国の優れた文明性を異国の者たちに示されることが肝要かと存じます……か。相変わらず、理想が高くて口うるさい妹で困ったものだね」

 

「そう仰られますな。皇帝陛下が殿下をこのサウリア大陸へ派遣されたのは、ひとえに殿下の豊かな才能を見込まれ、ご成長を期待されてのこと。ユリア様のご諫言はお耳に痛いかとは存じますが、そうした高い理想を掲げてこそ人は大きくなれるというものです」

 

「そうは言ってもなあ……。父上から疎んじられているこの私に、こんな遠い辺境の地でどんな理想を追い求めろというのか」

 

 ベルティの側近として仕えるトーレ・フォッツ伯爵は主君を宥めて励まそうとするが、ここで良からぬことを囁いてくるのが、もう一人の側近のアベリー・クライフェルト伯爵である。

 

「お気になさいますな。殿下は難治の地であるこのサウリア北部をよく治め、大変お見事な手腕を振るっておられます。遠国のネデクス島にはそれが正しく伝わっていない様子なのは残念ですが、人の噂というのは大方そのようなものゆえ致し方ないかと」

 

 隣でトーレが眉をひそめるのも気にせず、耳障りの良いお世辞を述べてアベリーは主君をその気にさせる。

 

「まあ、トーレの言いたいこともよく分かるよ。ちゃんと考えておくから、もう下がれ」

 

「はっ……」

 

 どちらかと言えば不器用な性格な武辺者のトーレは、弁舌の滑らかさではアベリーには全く敵わないし、自分可愛さのために主君の機嫌を取ってばかりいるのは真の忠義ではなく、時には怒りを買うのを覚悟の上で率直に諫言するのも必要だと考えている。まだ若く、穏和で人の意見に流されやすいベルティのような主君ならば特にそうだろう。ただ残念ながらベルティは自分にとって嬉しいことばかりを言ってくれるアベリーの方を可愛がり、トーレよりも耳を傾けて重用するようになっていた。

 

「黄金郷……?」

 

 トーレを追い払うように下がらせ、折り畳んだ書状を脇に置いて葡萄酒をすするベルティに、アベリーはここで自分が調べた耳寄りの情報を奏上した。

 

「はい。この大陸の西の奥地、険しい山岳の中の秘境にあるという黄金の谷。シグート族の間では昔から有名な伝説なのだそうです。これをもし発見し、そこにあるという大量の黄金を手に入れられれば、帝国にとっても殿下にとっても大きいかと思いまして」

 

「なるほど。それは魅力的だね……」

 

 バイアピオス大陸への野心を示している東のジェプティム王国との一大決戦に備え、今のディアグルは莫大な軍資金を必要としている。そのため植民地からの富の吸収を進めることは急務だと本国からも言われており、黄金郷の発見によってベルティがそれを一気に増やせれば、ジェプティムとの戦争の行方すらも動かす大きな功績として評価されるであろう。

 

「もし国運を賭した大戦争の軍資金を賄えるだけの黄金を殿下が確保できれば大手柄、皇帝陛下の覚えもめでたく、ここだけの話ですが、将来の殿下の帝位継承のためにも他のご兄弟たちを出し抜く大きな一歩となりましょう」

 

「そうだね。確かに悪くない話だ。私が父上の跡取りに選ばれるためにはジェプティムとの戦で武勲を立てるのが一番だと思っていたけれど、こんな西の果てに島流しにされたんじゃ残念ながら東方への出陣も叶いそうにない。でも軍資金の調達という形で勝利に貢献できればそれもまた大功、父上も再び私に目を向けて下さるようになるかも知れないな」

 

「それと、これはまだ確かな情報ではございませんが……その黄金郷、十年前に反乱を起こして負けたシグート族の敗残兵どもが多数逃げ込んでおり、しかも彼らの長を務めているのは亡きライー大酋長の遺児のヘラクという若者だとか。奥地に身を隠してひっそりと余生を送っている分にはまだ良いでしょうが、もし奴が大酋長の息子という自分の血統を喧伝してシグート族を糾合し、我らに刃向かってくれば植民地全体を揺るがす一大事となり得ます」

 

「それは看過できないね。よし分かった! 直ちに兵を集め、奥地への探検隊を編成しよう。黄金郷の在り処を突き止め、そこに潜んでいる反乱軍の残党を討伐して、山ほどの黄金を持ち帰り帝都におられる父上に献ずるんだ。そのライーの息子という族長の首も一緒に持参できれば、更に手柄は大きくなるだろう。これは重要な遠征だ。私自ら奥地まで出馬し、黄金郷に乗り込もうじゃないか!」

 

「心得ました。では早速に出陣の支度を進めましょう。胸が踊りますな」

 

 こうして、黄金を獲得し反乱の芽を事前に摘むための奥地への遠征が企図された。ベルティにとっては自分の武を父帝に示し、評価を上げる絶好の機会である。彼が大いに乗り気なのを見て、アベリーはにやりと笑った。


 トゥルジア大陸南部・ジェプティム王国の王都ラージェオン。

 その中心にそびえる王宮の離れに築かれた小さな御殿は、病のため王位を退いた先代ファラオ・ネルカフラー十六世の御座所となっている。その一室で、隠居したファラオは寝台に横たわりながら高熱にうなされていた。

 

「父上、お久しぶりです。大事ございませんか」

 

「おおネフェリサ。よく戻って来てくれたな。わしはもう長くはない。冥府へ旅立つ前に、お前の顔をまた見ることができて嬉しいぞ」

 

 熱病に苦しんでいるネルカフラーの見舞いに訪れたのは、14歳になる娘のネフェリサ王女であった。剣や槍を持った大勢の兵士による厳重な警備――敵の侵入よりも、むしろネルカフラーの脱走を防ぐための見張りのように彼女は感じた――の間を通され、病室に入ったネフェリサはすっかり衰弱して皴だらけになった父の手を取る。

 

「そんなことを仰らずに、どうか頑張って下さいませ。侍医たちも、きっと良くなると言っています」

 

 トゥルジア大陸の南半分を領土としているジェプティムは、北半分に割拠する諸国を全て属国として従える形で大陸全土を統一しており、ネルカフラーの娘でナディセス一世の異母妹であるネフェリサが北部鎮守府の総督となってそれらの属国の統治に当たっている。

 所詮、王族の経歴に箔をつけるための名誉職としての就任で、まだ若いネフェリサに実際に属国に対して何かをできる実権はほとんどないが、それだけに彼女は臣従する国々に強圧的な支配を敷いている今の総督府の方針に心を痛めていた。

 

「いや、病の問題ではない。真に恐ろしいのはナディセスじゃ。あの者にとって、父親で先代ファラオののわしは今や邪魔者でしかない。わしが一日も早くミイラとなってピラミッドに埋葬されるのを、あ奴は望んでおろう」

 

「そんな……! 兄上はとても優しいお方です。父上にそんなひどいことをされるはずがありません。確かに今は随分と厳しい人になってしまわれましたけれど、それはきっとファラオとして国を背負っていくという責任感のため。内外の情勢が落ち着けば、また昔のような優しい兄上に戻ってくれるはずです」

 

「情勢を落ち着かなくさせておるのはナディセス自身であろうよ。確かにあの子はとても心優しい、親切で正義感の強い子だったが、まるで別人になったように、今ではすっかり冷酷な男に変わってしもうた」

 

「……私が、兄上を元の優しい兄上に戻してご覧に入れます」

 

 ネフェリサは決意したようにそう言うと、一礼して病室を出て行った。父が最後に重要なヒントとなる一言を科白に含めて娘に聞かせようとしていたことには、彼女は気づくことはなかったようである。

 

「早く帰って来ておくれ。愛しい我が息子ナディセスよ……」


「もう鎮守府へ戻るのか? せっかく帰って来たのだ。この時期の王都は暑さもなく過ごしやすい。好きなだけゆっくりして行けば良いではないか」

 

 玉座に座る若きファラオ・ナディセス一世は、自分の足元に跪く妹にそう言って王都へのしばらくの逗留を勧めるが、ネフェリサは毅然として、鎮守府での仕事にすぐに戻りたいと希望する。

 

「いえ、兄上。鎮守府の総督として、すべき仕事が山ほどあるこの大事な時に都でのんびり寛いでなどいられません。ヨシェルもハルヴァニアも、戦のための新たな税や奴隷の徴発に不満を漏らしております。彼らを宥めて理解を求め、必要ならば税や労役の一部減免など、不満を和らげる対応策を考えなくてはなりません」

 

「鎮守府総督の地位など、お前の経歴作りのために任じた形ばかりのものに過ぎん。面倒な政務は家臣たちに任せて、属国からの貢物を集めて楽しんでおれば良いのだ。それに真面目に職務に当たるにしても、総督の仕事は属国の民どもの福祉を図ることではなく、奴らからいかに富と利を多く絞り取れるかを考えることだぞ。不満など、兵を送って力ずくで黙らせてしまえば良いだけだ」

 

「それは、兄上……」

 

 兄に諫言しようとしたネフェリサだったが、恐れて言葉に詰まってしまう。そんな妹の心中を見透かして、ナディセスは愉しげに笑った。

 

「分かっておる。もっと慈悲の心を持てと申すのであろう。そう怖がらずとも、余は血を分けた妹の首を刎ねたりなどせぬし、とやかく口うるさいことを言うつもりもない。せいぜい頑張って隷属民どもの機嫌を取ってやるがいい。ただし、火急に進めねばならぬ戦の準備には、くれぐれも支障なきようにな」

 

「はい……」

 

 結局、何かを変えることはできなかった。急いで鎮守府に戻ったとしても、それはきっと同じだろう。それでも、ネフェリサは戻らないわけには行かなかった。できないと言って何もせずにいるのだけは、嫌だったから。


 トゥルジア大陸北西部・ハルヴァニア共和国。

 古くから知られる商業の民で、世界を股にかけて交易を行なう海洋民族ハルヴァニア人が建国し、その豊かな経済力と強力な海軍でかつては大陸の盟主として繁栄を誇ったこの国も、今は大陸南部から興隆してきたジェプティムの軍門に下り、その属国となって臣従している。

 

「ジェプティムのファラオの横暴には、もはや我慢がならん!」

 

 伝統的に商人の力が強かったハルヴァニアには王や皇帝はおらず、元は商人ギルドの会議から発展した豪商と貴族たちからなる元老院が国政を司っている。その元老院も、今はジェプティムの命令通りに決議を行なうファラオの協賛機関でしかなかった。しかしそんな元老院の議会が今、かつてないほど激論に沸騰していたのである。

 

「バイアピオス大陸への出兵のために兵と軍船と兵糧の動員、その上、更に20億ルペンもの戦費を供出せよだと? ただでさえ敵国に物資を売るなとのファラオの命令で、セレネナやアシュタミルへの輸出を規制されて多額の貿易赤字となっているのに、そんな莫大な出費に我が国の国庫が耐えられると思うのか!?」

 

「今年の凶作に加え、働き手となる大勢の民をジェプティムの奴隷として賦役に回したせいで農村はどこも人手不足に陥って荒廃してしまっておる。このまま手をこまねいておれば、税収が激減するばかりか農民一揆が起ころうぞ」

 

「世界の帝王になるなどという若いファラオの大それた野心に、これ以上付き合わされてはたまったものではない。反乱だ! 今こそジェプティムの圧政に反旗を翻し、我がハルヴァニアの栄光を取り戻そうではないか!」

 

 バイアピオス大陸への侵攻の準備を進めるジェプティムからの度重なる苛斂誅求に、痺れを切らしたハルヴァニアの貴族や豪商たちは独立戦争を始めようと息巻いていた。

 古来、ハルヴァニアはトゥルジア大陸の覇権を巡ってジェプティムと互角に戦ってきた歴史ある大国。彼らの誇りは、いつまでもかつての宿敵にひれ伏していることを良しとはしなかったのである。

 

「だが、問題はどうやって事を成功させるかだ。我らだけでジェプティムとその属国らに立ち向かっても勝てるかどうか……」

 

「ヨシェルも我が国と同じくジェプティムの圧政に苦しんでおり、内部には反乱の兆しが見られるという。まずは彼らを味方に取り込み、援軍を送るよう求めるべし」

 

「それはいい。バイアピオス大陸の諸国とも繋がりの深いヨシェルを窓口に使えば、セレネナ軍やアシュタミル軍、それにネデクス島にいるディアグル軍の応援も期待できよう」

 

 元老院の中でも発言力の強い有力貴族のケドル家を中心に、ヨシェル士師国を皮切りとして西方へ外交戦略を展開していくという案が上がるが、大商人の一族で、ケドル家とは代々不仲なラオメル家の者たちはこれに異論を唱える。

 

「いや、ヨシェルの新しい士師はまだ幼い少年。十分な指導力もなく、ろくに国内をまとめられていないと聞く。そのような危なっかしい味方と馬を並べて戦えば、かえって足を引っ張られよう」

 

「むしろ同じトゥルジア大陸の中にこそ味方を求めるべきだ。勇敢なゼッシリア人たちと連合軍を組めば、ジェプティム軍と決戦しても十分に勝算は立つ」

 

 ハルヴァニアの隣国で、同じジェプティムの属国であるゼッシリアは勇猛な戦士の民として知られ、数の上でも強さの面でもその軍勢にはかなりの期待ができる。彼らにも共にジェプティムの支配から脱しようと呼びかけて共闘すれば、きっとジェプティム軍を撃ち破れるだろうとラオメル家とその一派は主張した。

 

「ゼッシリア人のような残忍な蛮族と手を携えるなどもっての外だ。やはりここはヨシェルやバイアピオス大陸の文明国と組むべし!」

 

「バイアピオス大陸の連中など信用できるか? ヨシェル人もウェスパ教などという訳の分からぬ民族宗教を信じていて、我らとは随分と物の考え方が違う。同じトゥルジア人のゼッシリアの方がまだ文化も価値観も近く、話も通じよう」

 

 問題なのは、獰猛で残虐な戦闘民族として各地で猛威を振るってきたゼッシリアと、その侵攻による被害を幾度も受けてきたヨシェルやバイアピオス大陸の国々の間には歴史的に深い遺恨があり、両方を同時に味方につけるのは恐らく不可能だということである。ではどちらを選ぶのか、元老院は真っ二つに割れて紛糾した。

 

「話にもならぬ。これではどうせ失敗するだろう。降参してジェプティムの属国にならざるを得なくなった以前の戦の二の舞だ」

 

 若い元老院議員の一人で、軍人でもあるマジーフ・ベルシャザルは、苦々しげにそう呟きながらそっと議場から退席した。まだ20歳の若い彼にとっては、派閥や利権に凝り固まった老人たちの不毛な言い争いなど聴くに堪えなかったのである。

 

「こんな論争を延々と続けている間に、計画がジェプティムに露見して水の泡だ。例えどちらかを味方につけて決起したとしても、鈍重な年寄りどもの会議が軍の采配を握っているようでは勝てはせん」

 

 このような乱はとにかく迅速に行わなければ成功しないが、議会政治の難点は何といっても意思決定の遅さにある。このままでは話がまとまる前に情報が漏れてジェプティムに企みを察知されてしまうだろうし、派閥の論理に囚われて一致団結することができない貴族や商人たちの合議では、例え戦争になっても独裁者であるファラオの軍隊の迅速な討伐に対してはほとんど何もできず、たちまち粉砕されてしまうだろう。

 

「このままではハルヴァニアは滅びてしまう……やはりこの俺が立ち上がらねば、どうにもならんようだな」

 

 無能な老人たちにこれ以上任せてはおけない。才気を熱くたぎらせた憂国の奸雄が今、歴史の表舞台に躍り出る決意を固めたのであった。


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