第10話『モーク平原の決戦』

 

烈風が吹き抜ける平原に、鬨の声が響く。

雲霞の如き大軍勢が、広い大地を埋め尽くしていた。

 

「頑張って! ディアグルの帝国騎士団が丘を下りて駆けつけてくれるまで、

 何としても持ち堪えるのよ!」

 

この地を統治しているシグート部族連合王国の女王イリカは、

まだ15歳になったばかりの赤い髪の少女である。

女王の誕生日を祝う部族の祭りが盛大に催された直後に、

その祝賀ムードを打ち壊すように南から襲来したトルテガ帝国の大軍は、

必死に抗戦するシグート族の戦士たちを蹴散らし、イリカのいる本陣まで迫ろうとしていた。

 

「ディアグル軍は、まだ動かないの!?」

 

「動きません! 再三に渡り、使者を遣わしておりますが……」

 

小高い丘の上に陣取ったディアグル帝国の植民地軍は、

防戦一方の戦況をじっと傍観したまま助けに来る気配を一向に見せない。

火薬を知らなかったシグート族が彼らから高値で輸入した狼煙を何度も空に上げて、

イリカは繰り返し味方に救援要請の合図を送った。

 

「バイアピオス人の奴らなんて当てにできるか!

 俺たちを助けるために血を流すなんてこと、あいつらがしてくれるわけがないさ」

 

「確かにこの様子だと、どうやら俺たちは見捨てられたようだな……」

 

「もう先鋒は総崩れだ。敵がここまで攻めて来るぞ!」

 

攻め寄せる敵。動かない味方。

戦況がどんどん悪化するに連れて、勇敢なシグート族の戦士たちにも動揺が走る。

こんな時、あの人がこの大陸にいてくれたら……と、

イリカは頼りになる親友の明るい笑顔を思い浮かべてぐっと奥歯を噛み締めた。


バイアピオス大陸の西に広がるサウリア大陸。

セレネナ人の勇敢な船乗りによってこの新大陸が発見されたのは、つい百年足らず前のことである。

以来、広大で豊かなこのフロンティアにはバイアピオス大陸から多くの船が来航し、

各国が支配するいくつかの植民地や交易拠点が築かれていた。

 

サウリア大陸の北部には、狩猟採集を生業とする牧歌的なシグート族が暮らしており、

南には強大な専制国家のトルテガ帝国が君臨している。

ただどちらも、バイアピオス大陸の国々から見ればその武力は弱体で、

征服するのは全く難しい相手ではなかった。

今から十年前、シグート族は反乱に立ち上がり、ディアグル帝国の植民地軍と決戦に及んだが大敗。

カリスマ的指導者だったライー大酋長が戦死すると部族連合としての統一を保てなくなり、

内紛で四分五裂したシグート族は各地の小部族ごとにバイアピオス諸国に分割統治されることになってしまった。

 

「現地に元々あった社会制度や政治体制を完全に解体して直接統治しても、

 民心を得て安定的に治めていくのは困難だわ。

 ここはシグート族の中から求心力のある者を選んで王に立て、

 その国を従わせる形で間接統治するのが賢明よ」

 

当初、総督府がそれぞれの植民地内のシグート族を直接に支配していた各国だが、

全く文化の違う異民族にバイアピオス式の支配を敷いて搾取したことで各地で不満が爆発。

そこで亡きライー大酋長の遺児であるイリカを王とするシグート部族連合王国を擁立し、

彼女に部族の人々をまとめさせた上で属国として臣従させる間接統治の方式に切り替えた。

この曲がりなりにも一応の自治権を持つシグート国家の樹立のため尽力したのが、

セレネナ貴族共和制連邦のリーネ・キャンヴェリオン公爵だったのである。

 

とは言え、誕生したばかりのシグート部族連合王国は弱体で、

宗主国であるバイアピオス大陸の諸国にあちこちの土地を植民地として召し上げられ、

その領土は虫食い状態で王権も極めて微弱。

そしてサウリア大陸南部に覇権を築いていたトルテガ帝国も、

かつてのライー大酋長の時代の勢威をすっかり失ったシグート族を餌食にしようと侵攻を開始した。

こうして起こったのが、トルテガ軍とシグート&ディアグル連合軍が相まみえたこのモーク平原の会戦である。


「そろそろ助太刀してやるべきじゃないのか? クライフェルト伯爵」

 

モーク平原を見下ろす丘の上で、ディアグル帝国の第二皇子、

ベルティ・ゲルノト・ドロヴァは家臣である若い貴族にそう言った。

 

「まだ早いでしょう。誰かさんの余計な入れ知恵のせいで、

 シグート族の奴らは軍備を無駄に強化し過ぎました。

 それが我々の脅威となる可能性を鑑みれば、もう少し静観され、

 奴らの兵力をトルテガ軍が削ってくれるのをお待ちになった方が後々のためというもの。

 むしろ一旦惨敗して、シグート軍が壊滅状態になった後で出て行かれても宜しいかと存じますよ。

 蛮族どもが兵など保有していても、どうせ我々に対する反乱ぐらいしか使い道はないのですから」

 

「ううむ……それもそうか。相変わらず、アベリーは知恵が回るな」

 

ディアグル帝国の貴族の一人、アベリー・クライフェルト伯爵は、

配下の騎士たちを攻め出させようと考えたベルティ皇子を諌め、

冷酷な笑みを浮かべながら眼下で繰り広げられている戦いを楽しげに見物し続けている。

トルテガは南部に巨大な領土を持つ軍事大国とはいえ、

まだ鉄器文明すら芽生えておらず石器を主武装とするサウリア大陸の軍勢など、

精鋭のディアグル騎士団にしてみれば後でどうにでもなる相手だ。

わざわざシグート族の兵たちを守るために、急いで飛び出していく必要などはない。

 

 

シグート軍は勇敢な戦士揃いとはいえ、兵力はわずか三千。

トルテガ軍はその十倍の三万の大軍を鳥の翼のように左右に広げ、包み込んで殲滅しようとしている。

丘の上に布陣した一万のディアグル軍は単独でも三倍のトルテガ軍を破れるほどの実力差はあり、

彼らが攻めかかって敵の右翼を壊滅させれば戦況はすぐに逆転するが、

このままそれが間に合わなければイリカのいる本陣はトルテガ軍に包囲されてしまう。

 

「もはやこれまでです。退却をお命じ下さい!」

 

「このまま包囲されれば全滅してしまいます!」

 

「ううっ……」

 

ディアグル軍が動く様子がないのを見て、イリカはやむなく敗北を認め、

全軍に退却を命じようとした。

ところが、時すでに遅し。

トルテガ軍は船団を繰り出して戦場の西を流れる大河を一気に下り、

平原の北側に上陸した二千の兵をシグート軍の背後に素早く展開させたのである。

思いがけない奇策によって予想を上回る早さで敵の包囲網が完成し、

イリカは逃げ場を失ってしまった。

 

 

「そんな……お父さん!」

 

イリカは本来決して戦士となるような豪胆な性格などではなく、

元々は素朴な15歳の少女が王としての責務から勇気を絞り出して戦場に立っているに過ぎない。

敵に四方を取り囲まれ、戦死という恐怖が間近に迫ってきたのを感じて、

天国にいる父ライーの顔を思い浮かべて涙ぐむイリカ。

だが押し潰されそうになった彼女の精神がもはや限界に達しかけたその時、

川の下流の方から突如として大きな進軍ラッパの音が響いてきた。

 

「何とか間に合ったわね。速攻で敵を叩き、シグート軍を救出するわよ!」

 

禍々しいドラゴンの像を船首に飾りつけたヴァイキングのロングシップ。

かつてバイアピオス大陸の人々を恐れさせた海の猛者たちの船は、

そのヴァイキングの末裔であるリーネが率いるフリュージア公国の騎士たち七千騎が乗る軍船だった。

海から川へ入って下流から現れた彼らは岸に停泊していたトルテガ軍の船を火矢で焼き払うと、

ヴァイキング船特有の凄まじい機動力で激流を乗り越えて川を遡上し、

 窮地のシグート軍を後ろから追い抜いてトルテガ軍の本隊の真横に上陸する。

 

 

「イリカさん! 大丈夫!?」

 

「エギルちゃん! リーネさんが来てくれたのね!」

 

リーネと契約した聖具獣のエギルが空を飛び、

トルテガ兵の人波の上を飛び越えてイリカの元へやって来る。

 

「リーネお姉ちゃんたちは上流に回って敵の左翼をやっつけるよ!

 シグート軍ももうちょっとだけ踏ん張って、一緒に敵を挟み撃ちにしてってさ」

 

「分かったわ。全軍、勇気を出して!」

 

人語を話せるファフニールのエギルを介してリーネからの伝言を受け、

満身創痍のシグート軍は最後の力を振り絞って反撃を開始。

その間にフリュージア軍は陸地への布陣を完了し、

トルテガ軍の左翼を構成する一万の部隊に側面から突進する。

 

「全騎突撃! 一気に斬り払え!」

 

リーネの指揮の下、ヴァイキングの血を誇りとする勇猛なフリュージア軍が唸りを上げ、

トルテガ軍の左翼を強襲して包囲の輪に風穴を開ける。

既に勝負ありかと思われていた戦況はまさに一瞬で鮮やかに逆転した。

不意に側面に出現した敵に左翼を崩されたトルテガ軍は中央の本隊を押し出して対抗するが、

勢いに乗るフリュージア軍はこれも難なく蹴散らし、逆にトルテガ軍の総大将を討ち取ろうと猛進。

本隊が危機に瀕したトルテガ軍は右翼や敵の背後に回らせていた別働隊にも攻撃中止を命じ、

あと一歩のところまで来ていたシグート軍の殲滅を諦めて敗走したのである。

 

「やったわ。大勝利ね!」

 

陽が暮れる頃には、トルテガの大軍は逃げ去ってフリュージア騎士たちが勝ち鬨を上げていた。

モーク平原の戦いは、かくしてシグート&フリュージア連合軍の勝利で幕を閉じたのである。


その日の夜。

シグート軍の陣営ではリーネらフリュージア軍の諸将を招き、

援軍への感謝を込めて歓待の宴席が設けられていた。

 

「リーネさん、助けに来てくれて本当にありがとうございました!

 ヨシェル士師国の方へ行かれていたと聞いていたから、

 てっきりこちらへは当分来られないと思ってたのに」

 

イリカと3歳年上のリーネとはとても仲が良く、

イリカにとってリーネは自分たちの国の建国に奔走してくれた恩人でもある。

エギルもすっかりイリカに懐いており、彼女の胸に飛び込んで優しく撫でられながら、

気持ち良さそうに甘える声を上げて二人の話を聞いていた。

 

「ヴァイキングの子孫たるもの、海の上ならいつでもどこでも縦横無尽よ。

 東の情勢は近々大きく動きそうな気配だけど、

 だからこそ今の内にこっちにも顔を出しておこうと思ってね。

 今回は大変だったみたいだけど、国内の方は上手く治まってるかしら?」

 

「はい。一緒に考えて下さった新しい法も好評で、

 土地を巡るいさかいが公正に解決できるようになって平和になりました」

 

「それなら良かったわ。

 鉄の剣200本をフリュージアから持参したから、

 シグート軍の武器として兵たちに支給しておいて。

 どれも私の家来の騎士たちが使ってた中古品だけど、質は上等よ」

 

シグート族の自治政府の樹立に尽力したリーネは他のバイアピオス大陸の諸侯とは違い、

武力を振りかざして富を強引に収奪するのではなく、

現地の人々の生活や文化を尊重しながら自分たちの進んだ技術や制度などを伝え、

友好的に交易や投資を行なって発展の手助けをしていた。

これは弱者を踏みにじることを非とする騎士道精神の表れであると同時に、

破壊して略奪するよりも現地の産業をしっかり育てた方が将来的に得られるものは大きいという、

彼女の長期的なビジョンに基づく政策でもある。

 

「これはこれはキャンヴェリオン公爵。

 昼間の戦では相変わらず見事な戦いぶり、感じ入りましたよ」

 

賑やかな酒宴の場にふらりと姿を現わしたのはディアグル軍のアベリーであった。

隣の席に勝手に座り、上質の麦酒を注いで美味そうに飲み始めたその白々しい態度に、

リーネは苛立ちを隠そうともしない。

 

「イリカたちを見殺しにしようとした癖に、呆れたものだわ。

 それとも栄光あるディアグル帝国軍ともあろう方々が、

 トルテガの大軍の前に臆病風にでも吹かれたのかしら?」

 

「滅相もない。我らとしても戦機は慎重に見計らった上で加勢するつもりだったのですが、

 キャンヴェリオン公爵の獅子奮迅のご活躍の前に敵がたちまち逃げ出して、

 出番を失ってしまったのは残念ですよ」

 

このアベリーという若くハンサムな帝国貴族の軽薄さが、リーネはどうしても好きになれない。

一方のアベリーはリーネに少なからず好意を寄せているようで、

こうして度々彼女の元を訪れては親交を深めようとしているのだが、

他国の貴族としての最低限の外交儀礼は守りながらもリーネの態度は釣れなかった。

 

「ところで、私が皇帝陛下から所領として賜っているカレッカから、

 フリュージア領のサミークにシグート族の連中が十人ほど逃亡したそうで。

 すぐに捕まえて送り返していただけませんかね。キャンヴェリオン公爵」

 

「鞭で叩いてメチャクチャな扱いをするから逃げられるんでしょうが!

 丁重にお断りするわ。逃亡してきた者たちは我が植民地で保護し、領民として迎えます」

 

サウリア大陸の北部に各国が持っている植民地の中で、

善政を敷いていると言えるのはフリュージアのサミーク植民地の他には少なく、

大半は原住民を差別して奴隷のようにこき使う苛政ばかり。

それもリーネがアベリーのことを気に入らない理由の一つだが、

セレネナの貴族である彼女がディアグルの貴族であるアベリーに文句を言うことはできず、

イリカの心中を慮りつつも今はただ黙認しているしかなかった。

 

「ところでキャンヴェリオン公爵。

 この大陸の西の奥地にあるという、黄金郷の伝説は耳にされたことがおありかな?」

 

「いいえ。初めて聞くわ。イリカは知ってる?」

 

リーネが話を振ると、イリカは少し考えてからうなずいた。

 

「ええ。噂には……。でも本当に実在するのかどうか、

 まだ実際に辿り着いた人は誰もいなくて何とも言えない伝承だと思います」

 

シグート族の間でも信憑性は疑わしいとされている、夢のような話。

だがアベリーは、既に黄金郷の存在を確信しているかのように言った。

 

「それが、どうやら本当だと考えて良さそうなんですよ。

 我が手の者を何人か、奥地に探検に行かせて調査してみたんですがね。

 まだその場所自体は発見できていないものの、

 奥地に住む部族の者たちに話を聞くと、黄金郷は確かにあるんだと皆が口を揃えて言うんです」

 

「黄金郷か……。もしその土地の住民と接触して交易ができれば、

 相当の収益が見込めそうね」

 

話半分という感覚で聞いていたリーネが何の気なしにそう言うと、

アベリーは嘲笑するように口元を歪め、それからゾッとするようなことを口にした。

 

「交易? 相変わらずお甘いですね。

 どうせシグート族に我々とまともに戦えるような武力などはない。

 攻め込んで皆殺しにして、黄金を全部奪ってしまえばいいんですよ」

 

「……!」

 

隣で聞いていたイリカが青ざめ、リーネはムッとして咎めるような目を向ける。

リーネの足元で遊んでいたエギルも、イリカの膝の上に飛び乗ってグルグルと威嚇するような唸り声を上げた。

帰れと言わんばかりの二人と一匹の不快げな視線を感じたアベリーは麦酒の残りを飲み干すと、

わざとらしく緩慢な動作で席から立ち上がって言った。

 

「あ、そうそう。これはまだ未確認情報なんですがね。

 その黄金の谷に住んでいるシグート族には赤い髪をした若い族長がいて、

 名前をヘラクというらしい……と誰かが言ってたみたいですよ」

 

「ヘラク……!?」

 

イリカは驚いて息が止まりそうになった。

十年前、父であるライー大酋長が討ち死にした戦いで行方不明となった、

自分と同じ赤い髪をした2歳年上の兄。

ヘラクとは、その兄の名前なのである。