*画像は、エレクトロニック・アーツのPCゲーム『ザ・シムズ3』のスクリーンショットを使用しております。
「では準備万端、いよいよ実験を開始するとしよう。
この血清を飲むのじゃ!」
安土市内にある倉庫の中では、捕らわれていた楓花たち三人が口に貼ったテープと手足の縄を外され、
代わりに鉄製の鎖で柱に繋いだ手錠を両手に嵌められた状態で壁際に並んで立たされていた。
「か弱い民間人のガキどもを相手に大袈裟な気もするがな。
本当にここまでしないと危険なのか?」
「レギウス因子を人体に注入する研究は今ようやく始まったばかりじゃ。
従ってまだまだクリアできておらぬ問題点も多くてな。
当面の課題としては、この血清を飲んでレギウス因子を取り込むとショックで精神が錯乱し、
自我を失って凶暴化する恐れがある。
一種のアナフィラキシーという奴じゃな。
見境なく暴れ出してわしらが襲われてしまっては敵わんじゃろう」
レギウス化した被験者たちが暴走した場合に備えて厳重に身動きを封じてから、
ゾラン・ゼムノヴィッチ博士が作ったレギウス因子を含んだ血清を、
セルゲイ・ベグノフ大尉がコップに注ぎ、まずはテニスウェアを着た高校生の口に近づける。
「や、やめろ! 何をするんだ! そんな変な物、俺は絶対飲まないぞ!」
「ガタガタ抜かすな。そんなに不味いもんじゃねえみたいだからよ」
脅すようにベグノフに睨まれた男子高校生は身動きさえ取れないまま、
とうとう観念して目を瞑りコップに口をつける。
ベグノフがゆっくりとコップを傾けると、冷たい赤色の液体は彼の喉を通って体内に流れ込んでいった。
「次はお嬢さんの番だ。さあ召し上がれ、可愛いレディ」
「だ、誰か助けて! お願いやめてぇっ!」
黄色いパーカーを着ている女子大学生も怯えて必死に抵抗しようとするが、
もはやどうすることもできず最後は素直に要求に従うしかなかった。
ゼムノヴィッチとベグノフは先程からずっと英語で喋っているため、
この液体が何なのかという説明は彼女たちは全く理解できていない。
飲めばたちまち死ぬか病気になってしまうような毒かと恐れていた二人だったが、
予想に反して飲み心地は悪くはなく、飲んですぐに体に何か異変が起きたりもしなかった。
そう、すぐには……
「さて、最後の一人じゃな。怖がることはないぞ。
このわしが作り出した人間を超人へと進化させる夢のような発明品、
その素晴らしき恩恵にお前も与かるがいい」
「嫌っ……助けてお兄ちゃん! お兄ちゃんっ!!」
ゼムノヴィッチから血清の入ったコップを渡されたベグノフが楓花の前へと迫り、
コップを口元に差し出しながら恐ろしげな笑みを浮かべる。
だがその時、倉庫の厚い煉瓦の壁が轟音と共に外側から蹴り破られて砕け、
真っ赤な獅子の姿をした超戦士が猛然と倉庫内へ乗り込んできた!
「ぬっ!? 貴様は、もしやライオンレギウスか!」
「よくも楓花を……!」
鎖と手錠で拘束されている楓花たちの方に視線を向けると、
ライオンレギウスは青い両眼に燃えたぎるような熱い怒りを迸らせて牙を剥いた。
「えっ? 私のことを知ってるの……?」
一瞬、自分の名前をライオンレギウスが口にしたような気がして不思議に思う楓花だったが、
騒然とした混乱の中、離れた場所で短く呟かれた一言を正確に聞き取るのは難しく、
聞き間違いではなく本当に「楓花」と言ったのかどうか確信までは持てなかった。
「か、怪物だわ……!」
「いや、あれは噂のライオンレギウスですよ。きっと大丈夫……!」
猛獣の仮面をつけた人外の戦士の乱入に恐れを抱く女子大学生だったが、
男子高校生の方はレイクブリッジでのオルカレギウスとの戦い以後、
インターネット上で話題になっている謎のヒーローの噂を知っていたので期待に目を輝かせる。
ベグノフとゼムノヴィッチを睨みつけて牽制しつつ、
三人の元へ近づいてきたライオンレギウスはそんな期待を裏切ることなく、
手に生えた鋭い爪で鎖を切って彼らを拘束から解放した。
「逃げろ」
「は……はいっ」
「ありがとう。ライオンレギウスさん!」
ライオンレギウスが楓花の前で意識して発した、低くて抑揚のない声による短い一言に、
それでも楓花はどこか奇妙な違和感を覚える。
「(どこかで聞いたような声……?
でもとにかく、噂のライオンレギウスが私を助けに来てくれたんだ……!)」
レイクブリッジで目撃者の一人が撮影したというライオンレギウスの画像は、
楓花も何度かSNSなどで見たことがある。
ペコリと頭を下げてお礼をした楓花は他の二人と共に、
ライオンレギウスが壁に開けた大きな穴をくぐって倉庫の外へ脱出した。
「おのれ! 大事な実験体を!」
「この日本で俺たちゼルバベルの作戦を何度も邪魔してるっていう、
赤い獅子のレギウスのお出ましか。
面白い。ちょっと相手になってやろうじゃねえか」
楓花たちを逃がされてしまったゼムノヴィッチが地団太を踏んで悔しがるのを尻目に、
ベグノフは全身に邪悪な魔力を纏い、長く太い牙の生えた大柄な異形の獣人に変身した。
北洋の海獣であるセイウチの化身・ウォルラスレギウスである。
「行くぞ! つぁっ!!」
「ほう、いい蹴りだな。そいつはカンフーの技か?
だが、本物の戦争の白兵戦ってのは格闘技の試合とは次元が違うぞ」
ウォルラスレギウスは単に頑丈でパワフルというだけでなく、
軍人のベグノフが変身しているだけあって訓練度も高い。
ルガツォフ軍にも受け継がれたソ連軍式の軍隊格闘術・システマを駆使し、
研ぎ澄まされた鋭い攻撃を叩き込んでくるウォルラスレギウスに対し、
ライオンレギウスは甲賀忍者たちの指導の下で修業を積んできた中国拳法のカンフーと、
タイに伝わる古武術であるムエタイの技を使って果敢に反撃する。
「喰らえっ! シャイニングレオンキック!!」
ライオンレギウスの右足に電流のような赤い光が迸り、魔力が足先に集束して眩しく発光する。
エネルギーを充填したライオンレギウスは光り輝く右足を勢いよく振り上げ、
ムエタイのテックワァーの型でウォルラスレギウスの胸に渾身のハイキックを叩きつけた。
レギウスの攻撃魔法と海外の伝統武術の足技を融合させた、
俊一が修業の末に編み出した新たな技・シャイニングレオンキックである。
「くっ、意外とやるな。だがその程度で……」
「ベグノフ大尉! お遊びはもういい。撤収じゃ」
蹴られた胸の装甲から火花を散らしてよろめいたウォルラスレギウスが、
好戦的な愉悦を浮かべていよいよ本気を出そうとするが、
ゼムノヴィッチ博士はそれを制止して退却するよう叫んだ。
被験者たちに逃げられてしまった以上、実験はここまでで中止するしかなく、
この倉庫に踏み留まって戦い続ける理由は博士にはない。
「フン、博士の仰せじゃ仕方ないか。
また会おうぜ。ライオンのスーパーヒーローさんよ」
捨て台詞を吐きながら、ベグノフの姿に戻ったウォルラスレギウスはやむなく撤退。
ゼムノヴィッチと共に倉庫の外へ逃げて行った。
「逃がしたか……! それにしてもゼルバベルの奴ら、
楓花たちに一体何をするつもりだったんだ?」
変身を解いたライオンレギウスは俊一の姿となって溜息をついた。
一人では喰い止め切れない数の敵が楓花たちを追って出て行った場合に備えて、
外では黒津耕司が追っ手の迎撃のために待機している手筈になっているのだが、
あの二人の他に敵はおらず、どうやらそこまで念入りに策を仕込んでおく必要もなかったように思われた。
「まあ、もしもの時のための保険みたいな話だからな。
黒津の奴、暇を持て余してもう帰っちゃったかな?」
「ハァ、ハァ、ここまで来れば、もう安心かな……」
「全く、死ぬかと思ったよな……」
テニスウェアの男子高校生と一緒に倉庫から逃げ出した楓花は、
安全な場所まで走ったところで疲れ果ててしまい、へなへなと地面に座り込んだ。
「でも良かった。怖かったけど、まさかあのライオンレギウスが助けに来てくれるなんて……」
「間近でレギウスを見たのは俺も初めてだよ。
あれが……レギウス……うっ……ううっ!?」
「ど、どうしたんですか? 大丈夫?」
突然、男子高校生が体に異変を感じて苦しみ出したので楓花は驚いた。
さっきの妙な液体を飲まされた影響だろうか。
心配して介抱しようと駆け寄る楓花だったが、次の瞬間、彼の顔を見て顔色を失うことになる。
「グォォォ……!!」
「きゃぁっ!」
まるでゾンビか幽鬼を彷彿とさせる恐ろしい形相になり、
理性を失って目を血走らせた男子高校生が、
獣のような鋭い爪を立てて楓花に襲いかかってきたのである。
楓花が絶体絶命となったその時、深緑色のジャケットを羽織った精悍な青年が二人の間に割り込み、
強烈なパンチで男子高校生を地面の芝生の上に殴り倒した。
「俺の出番は無しかと思ったが、そう楽にも行かねえか。
ケガはねえか? お嬢ちゃん」
「あ、あなたは……?」
「お前の兄貴の不良友達、ってとこかな」
指の骨をポキポキと鳴らしてヤンキーのような仕草をしながら、
立ち直って強い殺気を向けてきた高校生にガンを飛ばす耕司。
「お兄ちゃんの……不良友達?」
「いいから、早く逃げろって」
「は、はい! あの、ありがとうございますっ!」
訳が分からず戸惑いながらも、とにかくここは耕司に任せて逃げる楓花。
横目でそれを見届けると、耕司は凶暴化した男子高校生に猛然と突進する。
「グガァァッ!!」
「何なんだこいつは……!
どう見てもただの人間の腕力や耐久力じゃねえぜ」
疑似レギウスと化した高校生の人間離れしたパワーに苦戦する耕司。
レギウスの覚醒者である耕司も普段から力や肉体の丈夫さは人並み以上だが、
その耕司と互角に殴り合いができるというのは常人の業ではない。
「野郎、舐めんじゃねえっ!」
もはや手加減無用と見た耕司の全力のケンカキックが、
黄緑色のテニスウェアの上から高校生の腹部に勢いよく突き刺さった。
蹴られた腹を押さえ、呻き声を上げて倒れた高校生はそのまま頭を抱えて苦しみ始め、
やがて全身から湯気のようにどす黒いエネルギーを立ち昇らせながら大きく咆える。
「グォォォーッ!!」
「なっ……何だと!?」
驚愕する耕司の目の前で、その高校生は魔のエナジーを激しく燃やして光に包まれ、
尻尾の先端に巨大な鋏のついたハサミムシの怪人・イアーウィグレギウスに変貌したのである。
「おいおい、こいつはクレイジーだぜ。――変身ッ!!」
すぐさまウルフレギウスに変身し、イアーウィグレギウスに応戦する耕司。
鋭い爪で相手の装甲を切り裂こうとするウルフレギウスだったが、
イアーウィグレギウスは長い尻尾を振るって鋏で攻撃し、
逆にウルフレギウスの左腕を挟んで捕まえる。
「くたばりやがれ! ブレーザーヴォルフパンチ!!」
左手を掴んで押さえられたウルフレギウスは黒く輝く破壊光線のエネルギーを右の拳に集め、
イアーウィグレギウスの顔面を思い切り殴りつけた。
不良のストリートファイト流の荒々しい喧嘩殺法によるパンチをレギウスの魔力で強化した、
耕司が開発した得意技・ブレーザーヴォルフパンチである。
「グォォッ!!」
数メートル遠くまで殴り飛ばされたイアーウィグレギウスは公園の隅に並んでいたドラム缶を倒し、
その向こうに落下して地面に転がった。
倒れたドラム缶を跳び越えてすかさず追撃を図るウルフレギウスだったが、
彼が着地して周囲を見回した時にはイアーウィグレギウスの姿はどこかへ消えていたのである。
「逃がしちまったか……。
体にどんな細工をされたんだか知らねえが、
あんな凶暴なレギウスが街の中をうろつくのは正直ヤバ過ぎるな」
これは至急、東京の斯波旭冴にも報告しなければならない事案である。
変身を解いて人間の姿に戻った耕司はポケットからスマートフォンを取り出すと、
すぐにその場で電話をかけた。
「あっ……!」
耕司に窮地を助けられて何とか逃げることができた楓花だったが、
今度は同じく血清を飲まされた、青いデニムのショートパンツを穿いた女子大学生とばったり出くわしてしまう。
「ガゥゥゥー!!」
途中で一人だけ別方向に逃げていた彼女にも先程の高校生と同じ症状が出ており、
目つきが明らかに異常な上、首などの皮膚の一部が黒く変色しかけているようにも見える。
楓花を見ると、この女性の疑似レギウスも人間とは思えない獰猛な咆哮を発して襲いかかってきた。
「何とか間に合ったようだな。大丈夫か!」
「えっ……!?」
間一髪で楓花の前に現れて立ち塞がった水色のジャケットを着た青年は、
楓花の危機を察知したクリスの指令を受けて緊急出動してきたドラゴンレギウスチームの鈴見樟馬であった。
「グォォォォ……!」
「これはまずいな……。女性に暴力なんて気分のいいものじゃないが、
どうやら話し合いが通じるような状態じゃなさそうだ」
兄の影響でサッカーはそれなりにテレビでよく観る楓花に万一気づかれることがないよう、
元サッカー選手の有名人だった樟馬はサングラスを掛けて素顔を隠している。
唸りを上げて飛びかかってきた女子大生の動きを冷静に見切って足払いで転ばせた樟馬は、
立ち直ろうとしたところに素早くスタンガンを押しつけて電流を浴びせ気絶させた。
「よし! 確保成功だ!
もう20年以上も昔にユーゴ紛争で死んだはずのゼムノヴィッチ博士が、
まさか日本でゼルバベルに加わってたなんて驚きだが、
この女性に一体どんな悪どい実験をしたんだか……」
保護と真相解明のため、意識を失って倒れた女子大生の身柄を基地に運ぼうとする樟馬だったが、
次の瞬間、上空から強い魔力を帯びた飛翔体が高速で急接近してくるのに気づき、
素早く地面を転がってその何者かの真上からの体当たりをかわした。
「実験体は渡さないぞ!」
「お前は……!?」
空の彼方から舞い降りたのは、かつて安土市内の野球場に現れて毒ガスを散布し、
俊一がライオンレギウスに覚醒するきっかけを作ることになったオウルレギウスであった。
オウルレギウスは両手を広げ、掌から毒ガスを放射して樟馬と楓花に浴びせようとする。
「危ない! こっちだ!」
「きゃぁっ!」
神経性の毒ガスから楓花を守ろうと、手を引いて素早くその場から後退させる樟馬。
あの任務失敗の汚名を返上するため魔力の特訓を重ねてきたオウルレギウスのガス攻撃は以前よりも格段に強力で、はるかに致死性を増している。
「ゼルバベルの邪魔をする者には死あるのみだ!」
樟馬たちが毒ガスを避けて離れた隙に、オウルレギウスは倒れている女子大生を抱き上げると、
翼で羽ばたいて空へ飛び去ってしまった。
「こちら樟馬。獅場楓花の安全は確保したが実験体はゼルバベルに奪われた。
至急追跡する! 悠生も応援のためすぐに出動してくれ!」
呆然としている楓花に何かを言い残す暇さえなく、
CSC安土タワーの基地と無線で連絡を取りながらオウルレギウスを追って走り出す樟馬。
後には、目の前での急展開について行けずに立ちすくむ楓花だけが残された。
「そこにいたのか」
「ひゃっ!?」
背後からまたしても誰かが現れて声をかけてきたので、怯えてビクッと肩を跳ねさせる楓花。
しかし振り返ってみると、そこに立っていたのは敵などではなく兄の俊一だった。
「お兄ちゃん! やっと来てくれたのね!」
「ああ。遅くなってごめん。無事で良かったな。楓花」
「お兄ちゃん……ううっ……お兄ちゃぁんっ!!」
いつも頼りにしている大好きな兄が助けに来てくれるのを、心の中でどれだけ待ち続けていたことか。
俊一の温かな笑顔を見た途端、それまで必死に堪えていた楓花の感情は決壊して涙があふれ出した。
兄に飛びついてしばし泣きじゃくった楓花を優しく抱き締めた俊一は、
楓花が落ち着くのを待ってから近くの公園に連れて行ってひと休みさせた。
既に夕方となり、外はもう薄暗くなってきている。
「ところで楓花。犯人たちは何か重要そうな情報を言ったりしてなかったか?
例えば目的とか、奴らが起こそうとしている次の事件に繋がったりするような……」
「ううん、かなり早口の英語ばかりだったから、ほとんど意味が分かんなかった。
ただ、血みたいな赤い色をした変な飲み物を私以外の二人に飲ませて、
それから少ししたら二人が急に怖い顔になって暴れ出して……」
「赤い飲み物……?」
来たるべき安土城占拠作戦に合わせてゼルバベルが用意している血清については、
この時の俊一には知る由もない。
恐ろしい体験をしてショックを受けてしまった楓花の心の傷は心配だが、
一週間後に安土城で開催される大好きなアイドルのサイン会はきっと良い癒しと気晴らしの機会になってくれることだろう。
そう考える俊一だったが、それが再び妹の身を危険に巻き込む大事件となってしまうなどとは、
これまたこの時点では全く予想だにしないことだったのである。