「どーも申し訳ありませんでしたァァッッ!!」
「………」
ここは東京にある海防大学のキャンバスにあるテニスサークル「GREEN SMASH(グリーンスマッシュ)」の部室である。
怒りの形相で仁王立ちしている沢渡優香の前で、牧村光平と錦織佳代がひたすら平身低頭して土下座をしている。
その近寄りがたい光景を横目に見ながら、同サークルメンバーの寺林柊成、葉桐涼介、日野愛都紗がヒソヒソ話をしていた。
「おい、なんで牧村君と錦織さんが沢渡さんに土下座してるんだ?」
「もしかして牧村のやつが錦織さんに浮気でもしたとか?」
「まさかあの牧村くんが!? でももしそうだとしたら同じ女性として許せない!」
互いに根拠のない憶測を話し合っている柊成たち3人をよそに、
優香は光平と佳代にいつ終わるとも知れないお説教を延々と続けていた。
「私は光平くんの難しい立場だって分かってるつもりよ。
でも私になんの相談もなく、いきなり数日もいなくなるなんてひどいじゃない!」
「お、仰る通りで…」
「佳代だって事前に知ってたのに、私に何にも話してくれないだなんて同罪よ!」
「ごもっともです…」
安土から帰って来たばかりの光平と佳代は恐る恐る大学へと顔を出したところ、
案の定予想していた通り優香の雷が待ち受けていた。
なぜこんなことになっているのか? 経緯は数日前、光平が安土に赴く前に遡る…。
その日、牧村光平は鎌倉にある松平宗瑞(まつだいら そうずい)の屋敷に呼び出された。
松平宗瑞――内閣総理大臣を2期務め、国会議員の職を退いた今も与党最大派閥の影の領袖として政財界に隠然たる影響力と莫大な資金力を持つ。徳川親藩大名の末裔にあたり、政治家(外務副大臣)だった光平の亡き父・陽一郎の政治の師でもあった宗瑞は、今は光平の後見人的な立場にあった。文字通りの国家の重鎮、フィクサーとも呼べる存在である。
「ご隠居、ご無沙汰してます」
「水臭いぞ、たまには顔を出せ」
宗瑞自身も今は血の繋がった身寄りは少なく、決して表には出さないものの、内心では光平のことを実の孫のように可愛がっている節がある。
茶室へと招かれた光平は、そこで宗瑞の立てた茶をご馳走になる。
「結構なお点前でした」
光平が茶碗を畳の上に置くと、宗瑞の傍らに控える秘書の月影一郎太(「月影」という姓からも分かるように、彼もまたその正体は、佳代と同郷の月影一族に連なる忍びの者。月影一族頭領・百目の跡取り息子であり、佳代からは「若」と呼ばれる)が、スーツの懐から一通の封筒を取り出し、光平の目の前にそっと差し出した。
「これを…」
「何ですかこれは?」
「開けてみなさい」
光平は宗瑞に言われるがままに封筒を開けると、中身はほぼ限度額なしで使用できるブラックカードと、身分証明証らしきIDカードが入っていた。
「そのIDを持っていれば、官公庁、警察や自衛隊の関連施設は無論のこと、あらゆる民間企業、
そして各国の大使館や在日米軍基地すら日本国内では自由に出入りできないところはない。
ブラックカードの方は当面の交通費と活動資金に使いなさい」
「話がよく見えませんが?」
「実はな光平君。安土に国家転覆を図る動きがある」
宗瑞は、西日本を影から操る吉野の老人、そして悪のレギウスたちを統率しているゼルバベルと呼ばれる組織のことについて打ち明けた。
「なるほど、僕にそれら不穏分子の動向を探れという訳ですね。
せっかくですがお断りします。僕はもう戦いからは身を引いた一介の学生です」
「断るのか?」
「僕は権力の道具として使われることを潔しといたしません。人の自由は権力では縛れぬもの」
「さて、それは困ったな。これは総理から直々たっての要請でもあるのだが…」
「そんな政治絡みの面倒ごとに巻き込まれるより、
平和な世の中を気ままに貪っていた方が僕の性に合っています」
「だがの光平君、一朝事あらば、その平和な世の中も打ち砕かれる」
「………」
「ここは曲げてどうか引き受けてもらいたい。君しか頼れる相手がいないのだ」
光平を前にして、両手をついて頭を下げる宗瑞。
「あまり気は進みませんが、考えてみましょう」
こうして渋々宗瑞からの依頼を引き受けることになった光平だったが、もう一つ気がかりなことができた。ガールフレンドの優香のことだ。明日久しぶりのデートの約束があるのだ。きっと彼女もとても楽しみにしていることだろう。しかしこうなっては予定はキャンセルするしかない。やむを得ず光平は彼女の携帯にメールを送った。
その日の夜、明日のデートの予定について光平からの連絡を自宅の部屋で今か今かと待っていた沢渡優香のスマホに届いたのは、「ごめん。明日の予定は急な用事でキャンセル。この埋め合わせは必ずする!m(_ _)m」という内容のメールなのであった…。
「光平くんったら……今度会ったら、こうしてやるぅぅ~ッッ!!!!!!」
((_ヾ(≧血≦;)ノ_))きぃぃぃぃっ!
優香が怒りのあまり力強く握りしめたスマートフォンには、あちこちにひびが入っていたのであったww。
しばらく優香からは口もろくに聞いてもらえないだろうと覚悟していた光平だったが、幸いにも今度優香の壊れたスマホを新機種に買い替えにショップへ行く際に光平も一緒に付き合うことで折り合いがつき許してもらえた(尤もそれは、新品のスマホの購入費用は、全て光平の負担というのは暗黙の了解だったが…)。
佳代からは「自分にも(優香を不機嫌にさせた)責任の一端はあるので、新品のスマホ代の何割かを負担しようか?」との申し出があったが、光平は気持ちだけ受け取っておき断った。優香は光平と一緒に外出できる新しい口実ができただけで満足なのだ。それは光平にもよく分かっていた。
「なあ、佳代ちゃん。俺たちはまたとんでもない騒動に巻き込まれてるのかもしれないな…」
「えっ…?」
巨大な敵・堕神との激しかった戦いを生き抜き、今は青春と平和な生活を謳歌している牧村光平。
レギウスの事件が頻発し始めた安土とは違い、まだ東京は比較的平和が保たれていた。
だがそれを音を立てて崩れる日が近いことも光平は直感していた。