ベルシブ共和国で発生した反政府ゲリラの学校占拠事件の解決から一夜明け、日本では遂に解散総選挙の投開票日を迎えた。
レギウス問題というかつてない難局の中で国の舵取りをどうすべきか民意を問う選挙とあって国民の関心も高く、投票率は普段を大きく上回り各選挙区で白熱した接戦が展開されたが、最終的には与党の自由憲政党が過半数を取る大勝利。羽柴藤晴総理大臣の続投が決まり、彼が内閣改造で示した今後のビジョンが多くの国民の支持を得られたと判断して良い結果となった。
「万歳三唱!」
「おめでとうございます。羽柴総理!」
「いや、これはあくまでスタートを切れたというだけに過ぎん。大変なのはこれからだよ」
選挙前に提示した内閣の顔触れと方向性に国民からゴーサインが出されたとは言え、大事なのはこの体制で今後どうやってレギウス問題を初めとする国難に対処していくかである。最大野党である左派の民主革新党も他の雑多な泡沫政党を喰う形で議席数を微増させており、対極の政治理念を持つライバルとしてより侮れない存在となっているのだ。
「政権交代にまでは遠く及ばなかったのは私の力不足……。
とは言え、リベラル路線からレギウス問題に当たっていくという我が党の方針にも、
国民の皆さんからかなりの支持がいただけたのは間違いない。
自憲党政権よりも優れた対案を出していくことでこの流れをより加速させ、
次の選挙こそは必ず勝利を掴めるよう努力していこう!」
民革党の榎下淳吾党首は政権を奪取できなかったことには悔しがりつつも、右派寄りの小政党を駆逐して勢力を伸ばした今回の結果にはまずまず手応えを感じている様子である。
一方、敗戦ムードに沈んでいたのは高畑且元を党首とする大和政友会であった。
「議席半減とは厳しい結果だな……。国民に声が届かなかったか」
「正直なところ、我が党の売りの一つだった断固たる対ベルシブ外交が、
途中で急に日和ってしまったのが支持者が離れた原因ではないでしょうかね……」
高畑がベルシブの工作員のハニートラップに引っかかったせいでベルシブの独裁政権に迎合せざるを得なくなり、それまでのベルシブへの強気な対抗路線を支持していた右派志向の有権者に見放されてしまったのが敗因だと分析する声は党内に多い。
逆に今回初めて国政選挙に挑んで見事に1議席をもぎ取った新興勢力の代表は、レギウスに対して徹底した対決姿勢を打ち出した「レギウスから国民を守る党」=通称R国党であった。
「人ならざる怪物であるレギウスとの共存など初めから不可能!
レギウスによる数多くの非道なテロで恐怖に怯えている国民の必死の声が、
今回の1議席という形で結実したものと心得ております。
この声を裏切ることなく、我が党はレギウスとは徹底して戦って参ります!」
初当選を果たしたR国党の柱谷直也党首はそう息巻き、寛容にレギウスとの共存を探ろうとする民革党を「お花畑」と批判して真っ向勝負を挑むのみならず、テロや犯罪には厳しい対応を取るとしている自憲党に対しても甘いと断言してより全面的なレギウス排斥論を唱える。
相次ぐレギウスによる凶悪事件が醸成した社会不安が、人権の観点からすれば過激とも言える新党の誕生を招いたのである。
「改めまして、厚生労働大臣に就任しました仲里深雪です。
レギウスの問題は国民一人一人の命と生活に直結する事柄ですので、
国民目線に立った実効的な対策を打ち出せるよう努力して参ります!」
かくして始動した第二次羽柴内閣だが、今回の内閣改造で最も注目を集めた人事は、レギウス問題にも大きく関わることになる厚生労働大臣にまだ若い34歳の仲里深雪が抜擢されたことである。元スキー選手で、出場したアムステルダム冬季オリンピックでは銀メダルを獲得。その人気と知名度から地元の青森の選挙区で高い得票数を得て当選したスポーツ界出身のいわゆるタレント議員で、現役時代の経験を活かして日本ではまだまだマイナーなウィンタースポーツの普及に努めてきた実績はあるものの、実力は未知数でこのような畑違いの要職にいきなり選ばれたのは大きなサプライズであった。
「厚労大臣として、レギウス問題に対して具体的にどのような施策を考えていますか?」
という記者からの質問に、仲里はこのように答えている。
「現状、我々はレギウスという存在に対してまだまだ無知であるということを、
大前提としてまず最初に認めなければなりません。
よく分からないものに対して適切な対応を取るというのは困難で、
必要以上に恐れて警戒するのも偏見や人権侵害を生みますし、
逆に過剰に楽観視して必要な対処を怠るのも危険です。
レギウスとは何なのか、しっかりとした根拠に基づいて正確に理解するために、
いくつかの医療機関や研究所にレギウスに関する科学的な分析を委託し、
そのデータに基づいて現実に即した政策を考えていくつもりです」
現役のスキーヤーだった頃から仲里は不合理な精神論や感覚的な思いつきなどには頼らず、最先端のスポーツ科学を積極的に活用したデータに基づく合理的な練習を成功の基盤としてきた。スキーの世界で培ってきたこのスタイルは政治家になってからも応用できると彼女は考えており、この前例のない混乱の中でもあくまで冷静に、現実をしっかりと分析した上で確かなエビデンスに基づくレギウス対策を実施していきたいと所信表明したのである。
「続発しているレギウスの問題に対処するため、
専門の対策本部を政府内に設置することを決定致しました。
今後はこの対策本部にレギウス関連の様々な情報を集積して一元化し、
議員と有識者らによる会議によって有効な施策を練っていく所存であります」
羽柴総理はレギウス問題を緊急性の高い国家的重要課題と位置付け、震災や伝染病などの大規模災害が起きた際に設置されるのと同様の対策本部を政府内に設立。国会議員のみならず学者や医師など各分野の専門家も集め、様々な問題におけるレギウス対策を考案・推進してゆく機関としての活動をスタートさせた。
無論、仲里厚労大臣もこの対策本部のメンバーに名を連ね、主に医療や福祉・人権保護の面からレギウスという存在への対応に取り組んでゆくことになる。
選挙を終えて一息ついた羽柴総理は、遠く海の向こうのワシントンDCに国際電話のホットラインで選挙戦の勝利を報告していた。電話をかけた先はホワイトハウス。通話の相手はアメリカ合衆国大統領――アメリカ史上初の女性大統領で、79歳の老婦人ステファニー・シンクレアである。
「前例のない状況だけに、なかなか票読みが難しく予測のつかない勝負でしたが……。
何とか無事に政権を維持することができました。
かねて話し合ってきた我々の目指している方向性が、
日本国民からも理解と了承を得られたと言っていい結果だと受け止めています。
ミセス・ステファニー」
「これからの国際政治、特に東南アジアの懸案であるベルシブの問題の解決において、
日本には大きな役割を背負っていただかなくてはなりません。
そのためにはまず日本の政権が盤石で長期的に安定していることが不可欠。
万が一、ミスター羽柴がここで総理大臣の座を降ろされるようなことになれば、
以前から練り上げてきた私たちの戦略も根本から崩れてしまいかねないところでした」
落ち着いた気品と知性を感じさせる声で、シンクレア大統領は今回の日本の選挙結果に喜びの意を示す。温厚な人柄の穏健派として知られ、アメリカ領であるグアムやサイパンの間近で軍備を増強しているベルシブの独裁政権に対しても積極的な干渉をせず状況を見守るに止めている彼女の方針には弱腰外交との批判も多いが、これは決してシンクレア政権が弱気だったり無関心だったりしているということではない。
「現在の東南アジア情勢は非常に複雑でデリケートです。
もし私たちアメリカがベルシブの問題に対して前面に出て行けば、
ただでさえ攻撃的なファン・ダイク政権を暴発に追い込む恐れがあるばかりか、
その背後で糸を引いている他の大国をも巻き込んで最悪の場合、世界大戦にもなりかねない。
だからこそ、我々は日本に期待しているのです」
「分かっていますよ。表向きに事を荒立ててしまえば多くの人々が戦禍の犠牲になる。
ベルシブと歴史的に繋がりが深く、戦後ずっと平和主義を貫いて国際社会の信頼を勝ち得てきた
我が日本だからこそ果たせる役割というものがある。
無論、我々も現実の厳しさや、硬軟織り交ぜることを知らないほどお人好しではありませんが」
自衛隊のPKO派遣や経済援助などでベルシブの発展を手助けしつつ、軍拡と弾圧を進めている独裁政権に対しては毅然として軌道修正を迫り、必要とあらば水面下でも様々な手を打ちながら、より犠牲の出ない形でベルシブを平和と民主化の道へ導いていく。これはファン・ダイク大統領が公然と敵視している超大国アメリカにはできない、極めて微妙で巧みさと時には狡猾さが求められるミッションである。
現在、世界の主要国の中で先頭に立ってベルシブ問題に取り組もうとしている日本がもし失敗すれば、その時はいよいよアメリカが前面に出てベルシブの軍事独裁政権と対決せねばならず、そうなれば世界は東南アジアを震源とする大動乱に包まれるのだ。
「戦いは既に、我が日本国内を舞台に始まっています。
レギウスの力を利用したベルシブの工作にしっかりと対抗できるよう、
選挙の公約にもあった新たな組織を直ちに立ち上げるつもりです」
「いよいよですね。期待しています。ミスター羽柴」
羽柴総理が以前から計画を温めてきた、対レギウス専門の特殊部隊。満を持して、その組織は結成の時を迎えることになったのである。